Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

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2011年02月03日 | Weblog
今日は、節分である。
明日は、立春。
 
旧暦で、新しい年が始まる。
福豆も、ヒイラギも用意してある。
昨日、買い物にいったときは
今日、恵方巻きをつくる予定であった。
 
しかし、やめた。
 
恵方巻きは、関西の習慣といわれているが
私の家は、大阪の商家だが、小さいとき
そんな習慣は、特になかった。
もっとふるい、船場あたりの習慣であったのを
某有名海苔店の社長たちと某放送局でイベントを
し始めたのが、だんだん広がったという。
それを、イベントをした本人から聞いた。
しかし、私は、行事物の食事は、そのまま
のっかることにしている。
献立を考えなくていいし、季節なり行事なりの
理屈にあっていて、合理的だからだ。
 
 
昨年は、大きな子どもが三人いたので
海苔巻きをたくさんつくった。
今日は、次女が食事がいらないという。
それと、私は、夜中、不愉快なことがあった。
 
そして、今朝もいまいちの気分のまま
着物をきて、お化粧もし、頭も結って、まあまあ、どこにいっても
恥ずかしくない格好なのに、一歩も外にでていない。
 
家にこもって、お習字をしていた。
お習字は、下手くそだったが、だんだん、感覚をとりもどし「書道」らしくなっていった。
 
子どもがのこした半紙に書き散らしていたが、
最後に娘が高校時代に学校でかった半紙の箱をあけて
あああ・・。とおもった。
良質の和紙が一箱。
 
これ、全部、お金がかったんだよね・・。
しらない間にお金をかけているよね、って。
 
私は 昔つかっていた
硯で、墨をすり、自分の筆でかいていった。
墨汁もその辺にあったが、墨をすりながら、
幼稚園のとき、お習字教室で、墨をするのが
退屈でいやだったこと、足が痛かったこと。
先生は、厳しかったことを思い出していた。
 
いくのを嫌がって母にひどく叱られ、机の足に
紐でしばりつけられたことがあった。
小学校高学年になると、先生が私にきつくあたるようで
いやだった。
それを母にいって、やめたいといった。
先生は、「○○ちゃんに、上手になってもらいたいから
きつくいったのに」というようなことをいったらしい。
 
その教室にはいったとき、私は、最年少だった。
硬筆(鉛筆)のときは、指にたこができて痛かった。
 
楽しいこと、おかしいこと、笑うこと、なんて、あまりなかった。
緊張した幼児時代のお習字の教室。
 
大学にはいって、変体仮名を書きたいとおもったとき
また、先生に習いにいった。
先生は、書道家として、偉大だった。
漢字が専門なのに、私には、特別、仮名をさせてくれた。
先生は、小さいときから、書道の修行をしていたので
安藤 聖空先生にも、可愛がってもらったそうだ。
 
私は、展覧会などに、出展することなく
好きなことをしていた。
私の実力は、測るものがない。
なにをしても、無冠なのだ。
 
オルガンも、劣等生であり、ピアノにつながらなかった。
大学も、親が期待するところに受からず、自分がせめて
いきたいとおもったこところも、及ばなかった。
お琴も、高校のときにたしなんだだけ。
お花も、職場で、習っただけ。
そろばんも、親との約束の3級をとったら
さっさとやめた。
着付けも、アドバイザー2級で、妊娠して、続かなかった。
英語も、イギリスの語学カレッジのグレードが取れるチャンスがあったのに
主婦で、子連れで、インタビューの勉強をする気力がなかったので
受けなかった。
フラワーアレンジメントを初めてならったのも
本場である。
今みたいに、アレンジメントも、アロマもガーデニングも
日本では盛んじゃなかったころから
私は、たしなんでいた。
いまさら、必死で、資格をとる気がしないのである。
 
でも、すべて、無冠。
それでいて、結構、いろんなことを鑑賞し、自分なりに
やってしまう。
で、いったい、それが、なんなんだ!と自分に腹がたってきた。
 
母や、身内に「専業主婦だから、気楽でいいね」
「時間があるやん」「旦那のお金で生活していていいね」なんて
いわれると、意味もなく、腹がたつ。
 
主婦としては、私は、優秀でない。
お稽古しても、師範にもならない。
先生になって、収入があるわけでもない。
 
そして、夫に疎まれ、子どもにののしられる。
それのどこが気楽なんだ?と思う。
 
私は、私なりに、努力し、勉強する人であったのに
今、その価値を認めてもらえない。
自分のプライドを否定される。
 
ばかばかしい・・・。
 
この大筆も相当古くて、いたんでいるから
もう、すてよう・・。とおもってふとみると
「麗水清賞」の文字が目にはいった。
 
麗水先生のもとで、かった筆だったか?
ああ、また、捨てられない。
 
私は、もう、若くないから
母からもらった着物をきて
子供が残し和紙に今までつかってこなかった
高い墨と筆で、たまに文字をかこうと
硯箱をリビングにおくことにした。
 
始末の時期にはいったのだ。
人のお古ばかり・・・。
どこまで、着つぶし、書きつぶせるかな?