車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

国津比古命神社&宇佐八幡神社 in 愛媛県松山市(旧北条)

2020年11月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛媛県

松山市八反地に鎮座される「式内社:国津比古命(くにつひこのみこと)神社」。御祭神は『天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)』

創建由緒「当社は延喜式神名帳に所載の古社で、文徳天皇仁寿元年正六位上を授与。 応神天皇の御宇に物部阿佐利が風早の国造に任じられて、饒速日命、宇麻志摩遅命を祭祀せられた。物部氏、風早氏は氏神として尊崇し、神田、神器を奉献され、社名は初め櫛玉饒速日命神社と称したが、阿佐利命を合祀して国津比古命神社と改めた。 後に頭日八幡宮と改称したが、中御門天皇の享保年中に旧号に復した。」愛媛県神社庁

二の鳥居脇より神域を守護されるのは、天保9年(1838)8月吉日建立の狛犬さん一対。阿吽共にとても穏やかな笑みを浮かべて参拝者を出迎えてくれます。

鳥居の先にはさらに石段が延びており、登りきった先の左手に国津比古命神社楼門が端正な姿を見せています。

愛媛県指定有形文化財の楼門は「慶安二年(1649)に市内阿沼美神社に建立されたものを元禄年間(1688-1703)に、この地に移したと伝えられるが、建立年については、慶長十年(1605)に初代松山城主加藤嘉明が建立したもとという説もある。」松山市教育委員会

内陣には随身様が守護の任に当たられているのですが・・・間違って夜間に出会ってしまったら・・😱、全速力で泣き叫びながら逃げる自信あり。

石段はさらに続き、その先にやっと拝殿が見えてきました。大切に保存されていた「石額」は延宝九年の鳥居扁額として用いられたものですが、諸事情あって保管されることになった旨が説明されています。

楼門の右手奥、櫛玉比賣命神社の社号標の横に続く石段を登ると、『櫛玉比賣命(くしたまひめのみこと)』をご祭神とする「式内社:櫛玉比賣命神社」の境内に至ります。

由緒に「軽島豊明朝臣物部阿佐利を風早の国造として下らしめると、其祖饒速日命の妃を祭祀し櫛玉比売命神社と称した。」愛媛県神社庁

一つの境内に御祭神の社殿と向き合うように鎮座される后神「櫛玉比賣命神社」・・神様の世界であっても、夫婦神が同じ地にいられるのは、とても素敵だと思いませんか😊

【元 朝 や  揆(き) い ま 到 る  第 一 鼓】井上春甫

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松山市磯河内に鎮座される「宇佐八幡神社」。御祭神は『足仲彦命、誉田別命、気長足姫命、天照皇大神、宗像三女神』

一の鳥居内より神域を守護されるのは天保9年(1838)8月吉日建立の構えタイプの狛犬さん一対。「石工・中谷元右衛門」。 阿吽共に尾を高く上げており、吽形さんだけが、いかにも大事そうに玉を抱えています。

由緒に「往古安波居坂に日女宮の古祠あり天照大神を祭る、延暦二三年厳島宮より三女神を合祀、延長元年宇佐八幡宮を勧請す。天慶年中河野好方祈願し藤原純友を討ちて凱旋奉幣す。其後河野氏栗上氏議して現在の地に遷し宇佐八幡宮と称す。」愛媛県神社庁

本来であれば社殿もしくは本殿の画像を添えるはずなのですが、〆鳥居の奥に続く三重太鼓橋のような石段に恐れをなし、参拝はここにて済まさて頂きました。🙏🙏

参拝日:2011年6月12日


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