車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 香川県旧財田町(三豊市)

2021年03月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧三豊郡財田町(さいたちょう)は香川県の南西部に位置した町です。三豊郡山本町、仲多度郡仲南町に。また県を跨いで徳島県三好郡池田町・三好町に隣接。町域は讃岐山脈の山間地と財田川沿いの沖積地からなり、農業が中心産業。特産物にタケノコ、ミカン、キュウリがあり、農産物の缶詰加工工場もあります。町内に鎮座される「雨宮神社」の雨乞い「弥与苗(やよな)踊」・百足退治の伝説を歌った「八千歳(やとせ)踊」は県の無形民俗文化財に指定されています。画像は樹齢700~800年ともいわれる香川の保存木「財田駅前のタブノキ」「町の木:モッコウ」「町の花:コスモス」を制定。

旧キャッチフレーズは「人と自然にやさしく、豊かで活力のある町、財田町」

明治23年(1890)、町村制の施行により、三野郡財田村が発足。

1899年、郡制の施行により三野郡と豊田郡が合併、三豊郡となる。

1970年、財田村が町制を施行、三豊郡財田町が発足。

2006年、三豊郡仁尾町、高瀬町、豊中町、山本町、詫間町、三野町と合併し三豊市財田町となりました。

町域にはご当地マンホールの類は見つけられず、唯一自治体名のある空気弁一枚を見つける事が出来ました。

昭和44年(1969)12月19日制定の町章は「財田町のサを図案化したもので、2羽の鳩が向きあって平和と調和を保ちつつ、両翼に大きくひろがる羽根は「伸びゆく財田」そのふくらみは「豊かな財田」を象徴するものです。」旧公式HPより

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旧三豊郡豊中町(とよなかちょう)は香川県の南西部に位置した町です。観音寺市、三豊郡仁尾町・高瀬町・山本町に隣接。町名は、三豊平野の真ん中にあることから「豊中」としました。中央は財田川北岸の三豊平野で、特にブドウの栽培が盛ん。豊中町本山甲には、四国八十八ヵ所70番札所本山寺があります。「町の木:金木犀」「町の花:芙蓉」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により三豊郡本山村・笠田村・桑山村が発足。
1955年、本山村・上高野村・笠田村・比地大村・桑山村が合併し、三豊郡豊中村が発足。
1957年、豊中村が町制を施行し三豊郡豊中町が発足。
2006年、三豊郡仁尾町、高瀬町、山本町、財田町、詫間町、三野町と合併し三豊市豊中町となりました。

昭和43年12月2日制定の町章は、豊中町の頭文字「「と」と「T」を象ったものです。」

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旧三豊郡山本町(やまもとちょう)は香川県の西部に位置した町です。観音寺市、仲多度郡仲南町、三豊郡豊中町・高瀬町・財田町に。また県を跨いで徳島県三好郡池田町に隣接。町域はくの字に折り曲げたような外形で北東及び南に細長く広がり、辻字小松尾には四国八十八箇所霊場第67番札所 大興寺(小松尾寺)が所在。「町の木:梅」「町の花:牡丹」「町の鳥:うぐいす」「町の魚:鮎」「町の獣:うさぎ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、豊田郡財田大野村・辻村・河内村・神田村が発足。
1899年、郡制の施行により豊田郡と三野郡が合併、三豊郡となる。
1955年、辻村、河内村、財田大野村、神田村が合併し、三豊郡山本村が発足。
1957年、山本村が町制を施行、三豊郡山本町が発足。
2006年、三豊郡仁尾町、高瀬町、豊中町、財田町、詫間町、三野町と合併し三豊市山本町となりました。

昭和32年11月3日制定の町章は「全体の形で「山」を象ったものです。」

(※)旧三豊郡豊中町・旧山本町のご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

撮影日:2011年6月16日


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