車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 香川県旧詫間町&旧仁尾町(三豊市)

2021年03月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧三豊郡詫間町(たくまちょう)は香川県西部に位置した町です。三豊郡三野町・仁尾町に、海を隔てて仲多度郡多度津町、観音寺市、さらに県を跨いで岡山県笠岡市、広島県福山に隣接。三豊平野の北部から荘内半島にかけて町域が広がり、中心集落の詫間は坂出港・高松港に次ぐ県下第3の貿易港でおもに木材を輸入。三野津湾の埋立地には木材加工団地や、造船・合板などの工場があり、海岸部では養殖漁業が行なわれています。北西部に紫雲出山、妙見山を頂く荘内半島を持ち、西側は響灘に面しており、北部には詫間湾を挟み粟島・志々島が浮かんでおり、その先には備讃瀬戸が広がっています。荘内地区は、かつて「浦島」と呼ばれていたことがあり、町内には浦島太郎に由来する地名がいくつか存在します。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、三野郡詫間村・荘内村・粟島村が発足。

1899年、郡制の施行により三野郡と豐田郡が合併、三豐郡となる。

1942年、詫間村が町制を施行、三豐郡詫間町(第一次)が発足。

1955年、 詫間町、荘内村、粟島村が合併、三豐郡詫間町(第二次)が成立。

2006年、三豊郡仁尾町、高瀬町、豊中町、山本町、財田町、三野町と合併、三豊市詫間町となりました。

マンホールには、亀の背中に乗って竜宮城に行く浦島太郎がデザインされています。

昭和36年(1961)1月1日制定の町章は「全体で「タ・ク・マ」を図案化したものです。」

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旧三豊郡仁尾町(におちょう)は香川県の西部に位置した町です。観音寺市、三豊郡詫間町・三野町・高瀬町・豊中町に隣接。江戸時代、仁尾では丸亀藩や土佐藩から茶の取引を許可され、茶のほか搾油、魚、肥料問屋や酒、醤油、酢などの醸造元の大きな店が数多くあり栄えてきました。沿岸部には漁港のほか、刃物、縫製、模造真珠などの工場があり、塩田跡の埋立地には住宅のほかエビ養殖場、太陽熱試験発電所、海水からウランを採取する工場などが立地。町域ではミカン、ビワなどの果樹栽培が盛んです。「町の木:松」「町の花:ツツジ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、三豊郡仁尾村が発足。

1899年、郡制の施行により三野郡と豊田郡が合併、三豊郡となる。

1924年、仁尾村が町制を施行、三豊郡仁尾町が発足。

2006年、三豊郡高瀬町、豊中町、山本町、財田町、詫間町、三野町と合併し三豊市仁尾町となりました。

マンホールには、200年以上前に始まったと言われる「仁尾竜まつり」にちなんだ龍と町章「町の花:ツツジ」「町の木:松」がデザインされています。

大正13年(1924)4月1日制定の町章は「古くは「仁保」と書かれていた事によるもので、「ニ」「ホ」を図案化したものです。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月15日


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