車泊で「ご当地マンホール」

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年の初めの神楽三昧「日本武尊」

2022年01月05日 10時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

『日本武尊』は第12代景行天皇の皇子で、元の名を『日本童男(やまとおぐな』と言いました。16歳の時父景行天皇から西方の熊襲(くまそ)征伐を命ぜられ、その時倒した相手から名を譲られ『日本武尊』と名乗るようになります。
神憑り的な力で古代日本を平定し、その後の大和朝廷の体制を固めたと伝えられる英雄ですが、その強さゆえ、父親である天皇から恐れられ、やがては理不尽ともいえる悲劇的な死を迎えます。神楽では【日本武尊】【走水】【伊吹山】という演目で上演されます。

2013年7月6日「安芸高田神楽特別公演」で、「来目木神楽団(安芸高田市)が演じた【日本武尊】。長い髪で顔を隠し、いきなり現れた二人は、西国の人に害を及ぼす賊の烙印を押された『熊襲健(くまそたける)兄弟』。

16才の『童男』は、叔母の『倭比売(やまとひめ)』から女性の衣服と懐剣を授かり、熊襲征伐に赴きます。首尾よく熊襲の所に着くと、ちょうど酒宴のまっ最中。『童男』は叔母から授かった衣で女装をすると、酒宴の席にまぎれてこみました。そうして隙を窺って『熊襲健兄弟』に切りかかり、見事任務を遂行しました。

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2015年4月19日「因原交流神楽大会」で、「高原神楽団(邑南町)による【日本武尊】。まずは、まだ幼さの残る(設定の)『日本武尊』の口上からスタート。

その後は『熊襲健兄弟』の出番ですが、ここでは家来が増えて、三人で登場します。何故か・・主役の日本武尊よりもイケメン風味の熊襲兄弟とその家来。

可憐な美少女に変装して(ここ、笑う所ではないです)酒宴の席に入り込み、隙を窺う『童男命』・・・・女性が男装する宝塚と違い、男性が女装する歌舞伎や神楽、化粧も大変だろうなと余計な心配をしてしまう(笑)

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7月7日「安芸高田神楽特別公演」の二日目。「中北神楽団(安芸高田市)が演じた【日本武尊】。槍を片手に、長い髪で顔を隠して熊襲健兄弟が登場するシーンは、いずれも同じ設定のようです。長い髪は「平ガッソ」と呼ばれるもので、主に賊や鬼、敵役が使用します。

女装した童男主従は宴の中に潜り込み、言葉巧みに強い酒を進めながら二人の隙を窺います。

やがて始まるきらびやかな戦いの場面。『童男命』は、壊中の短剣でまず兄・建の胸を刺し、続いて弟建を捉えますが、この時押し伏された弟は「この国に我に勝る者はおらじと思うたに、この上は我が名を一字取り日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と名乗りたまえ」と言い残します。熊襲を平定した『日本童男(ヤマトオグナ)』が、『日本武尊』となる、重要な神楽です。

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熊襲を征伐した『日本武尊』は休む間もなく、父帝から東国征討を命ぜられます。2019年4月21日、「因原交流神楽大会」は「宮乃木神楽団(広島市)【走り水】

相模の国を平定し『弟橘媛(おとたちばなひめ)』という美しい妻を迎え、更に東国へと進む日本武尊。しかし一行を待ち構えていたのは、これまでの戦いで武尊に敗れ鬼と化した者たちでした。積もった怨念は『底津王(そこつおう)』『霊怪士(りょうのあやかし)』と化し武尊を待ち構えています。

そんな事とはつゆ知らず、従者を伴って華々しく登場する『日本武尊』。名も改め、美しい姫を后に迎えて、我に怖いものなしとばかりの自信満々。

さて『日本武尊』も男前ですが、年若い従者も今風のかなりなイケメン。かく言う私も含めて、宮乃木神楽団に女性ファンが多いのが頷ける・・(^^;)

等と言ってる場合ではなく、見る間に空は黒雲に覆われ、荒れ狂う海中から『霊怪士』たちが襲い掛かってきたのです。木の葉のごとく翻弄される舟。流石の『日本武尊』も嵐の海で海の怨霊と戦うのは圧倒的に不利。主従は次第に追い詰められていきます。

その時すかさず「この海を渡りたいなら、汝が一番大切なものを差し出せ」と迫る『底津王』。言葉を失う『日本武尊』・・・一番大切なものは・・

『日本武尊』の思いを察し、相模での出会いを歌に残し、自ら荒れ狂う海の中へ身を投げる『弟橘媛』。差し出す手も間に合わず、見る間に鬼神と共に海中に沈む愛しい人・・間もなく荒れ狂う波は何事もなかったかのようにおさまり、ただ青い海原が広がるだけ。

愛する姫を失った『日本武尊』。「弟橘よっ!!吾が妻よ~~~」愛する妻を呼ぶ声はむなしく海面に消えていき、待ち受ける新たな敵のもとに向かったのです。

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2013年5月26日、神楽ドームの昼公演「横田神楽団(安芸高田市)の【伊吹山】は、その後の『日本武尊』の物語。無事に東国を平定し、今は亡き妻の御霊を弔う日々を送っていた『日本武尊』。

しかし戦いの傷も心の傷もいまだ癒えぬ武尊のもとに、更に近江国の伊吹山に立てこもる鬼人を成敗せよとの勅命を持って『韋駄天権内』が駆けつけます。この一連の景行天皇の無茶ぶりって、息子への恐怖以前に、嫉妬じゃないのか?と思ってしまう私(^^;)

勅命は絶対!尊は舞楽行脚の者に姿を変え、権内と共に伊吹山に向かい、鬼人に近づきます。この時の鬼人もまた長い髪で顔を覆っており、これが神楽の中での”悪”の位置づけのようです。

そしてここでもまた鬼人たちは酒宴を張っており、武尊たちを舞楽行脚の者と信じて招きいれます。舞楽を見たいと言う鬼人に、剣舞を披露する『日本武尊』。

機を見て鬼人に切りかかりますが、この時、鬼人はすばやく鬼の面をつけて変化し、鬼と人との激しい立ち回りが舞台上に繰り広げられます。

鬼も人も見せ場満載の激しい戦いの場面。見事鬼神を打ちとった武尊主従に、客席からは盛大な拍手。

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7月6日、「安芸高田神楽特別公演」では、「高猿神楽団(安芸高田市)が【伊吹山】を演じました。こちらでは二人の鬼人の登場から始まり、そこから酒宴のシーンへと舞台は移ります。

「いざ、勝負~、勝負~」の合図で始まる戦いの場面。この時登場人物全員の衣装が地味で、しかもモッコリと膨れているのは、早変わりの為の準備。

激しい立ち回りの最中に糸を外した瞬間、目も鮮やかに変化した衣装は照明を跳ね返して、まばゆいばかりに輝き、観客を魅了します。

フィギュアのスピンに似てますが、手には長い刀を持ち、しかも敵味方複数が入り乱れながらも決してぶつかる事無く、それでいて、全員の姿が間違いなく観客席から順に見えるように、計算し尽くされています。お手軽なデジカメでは、その一瞬を捉えるなんてとても無理な話、なので臨場感重視で(笑)

クライマックスの鬼との一騎打ち。満身創痍の『日本武尊』でしたが、見事、敵を成敗できました。殺される鬼の所作もまた素晴らしく、観客たちは次のシーンを知りながらも、舞台に見入ってしまうのです。

しかし、伊吹山で鬼神の毒気に触れた『日本武尊』は、ここで本当に力尽きてしまいました。共にお側にと願う従者に、「お前は帝へ報告を」と言い残し、現世と黄泉の国を隔てる霧の中に消えてゆきます。このシーンは『日本武尊』関連の神楽では初めてだったので、思わずウルウル。

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最後は2013年12月7日、「本郷太刀納め神楽」で「上河内子供神楽団(安芸高田市)が演じた【新編・伊吹山】。
子供神楽というのは、この会で初めて観覧したのですが、いや、全てにおいて凄いの一言。場面は『日本武尊』が后の『弟橘姫』と従者を伴い、東国平定に向うところから始まります。

走水までやって来た日本武尊の一行。しかし突然荒れだした海は三人を飲み込もうと襲い掛かってきました。『弟橘姫』は自ら海神に身を捧げて贄となります。
「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」朗々と詠いながら・・

どうサバを読んでも小学校低学年か幼稚園くらいのお子さんが、この難しい言い回しを謳いあげる。謳い終わった瞬間に観客席から巻き起こった賞賛の声と拍手の嵐、私自身、鳥肌が立ちました。

東国平定を終えた『日本武尊』ですが、又しても伊吹山に住む鬼神を退治せよとの朝命を受けます。そして鬼神たちの登場。そのサイズの小ささを全く感じさせない堂々たる所作に、客席から大きな拍手。

実は神楽での主役は、名のある貴人や武人ではなく「鬼」というのは、もはや常識の世界。鬼の所作の凄さが、神楽団の力のバロメータになると言っても、決して過言ではありません。30k前後といわれる衣装を着け、早回しのごとく激しく続けられる戦いの場面は、想像を絶します。

また時にはスローモーションの一コマのように、そうして数秒とは言え片足立ちのままの決めポーズも見せなければなりません。

激しい戦いの末、伊吹山の鬼神を討ち果たした『日本武尊』を迎えたのは、『弟橘媛』の魂でした。
【大和は 国のまほろば たたなずく青垣 山ごもれる 大和しうるわし】
懐かしい故郷を偲びつつ、従者の涙に見送られてはるか彼方の世へと旅立つ『日本武尊』・・・

舞台を終えて挨拶に出た、迫力満点の大蛇や鬼たちの正体に、もうただただ拍手!おばちゃんなって思わず泣いちゃったよ。横を見たらご亭主殿もウルウル (´;ω;`)

そしてお囃子を担当したのも、1人を除いて、幼稚園児から中学生までの子供たち。地域の大切な伝統である神楽を次の世代に伝える・・・それは間違いなく実を結んでいるのですね。

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日本武尊が弟橘姫を失った走り水は、今の神奈川県横須賀市の北東端のあたりといわれています。この時海に身を投げた姫の袖が流れ着いたのが千葉県の袖ケ浦と云われ、日本武尊は弟橘姫の形見となった袖を握りしめ「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影を みるぞ悲しき」と歌を詠みました。また、最後の戦いの場となった伊吹山は滋賀県米原市、岐阜県斐川町、関ケ原町にまたがる伊吹山地の主峰。標高1,377 mの山上には日本武尊の像が祀られています。

大阪府羽曳野市軽里には、宮内庁より「白鳥陵古墳」と治定された『日本武尊』の陵があります。日本書紀には「日本武尊は遠征の帰り道、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり、白鳥となって大和琴弾原(ことひきはら)を経、古市に飛来し、また埴生野(はにゅうの)の空に向かって羽を曳くように飛び去った」と伝えられています。

昭和20年8月に発行された『日本武尊』の肖像を描いたお札は、当時の最高額の千円札。左に描かれているのは滋賀一宮の建部大社本殿、『日本武尊』が御祭神として祀られています。

 

まだまだ気分は正月 五日

 

 


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