車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

須佐(すさ)神社~其の一 in 島根県出雲市佐田町

2018年06月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市佐田町須佐、須佐川のほとりに鎮座される「須佐(すさ)神社」。「須佐大宮」とも称され、御祭神は『須佐之男命』『稲田比売命、足摩槌命、手摩槌命』を配祀。

『出雲国風土記』に【須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命(かやなるみのみこと)を祖とすると伝える。】

鳥居を潜り静謐な空気に満ちた境内を行くと随神門があり、それぞれに神像が祀られています。

左の随神門には、赤の狩衣を身に着けた『櫛磐間戸神(くしいわまとのかみ)』。かたわらには黄金に彩色された神殿獅子。小金の体に朱のたてがみ・・アイラインを塗ったような目に赤い唇・・こんな化粧の女優・・ハリウッド映画で見た記憶が・・・(-"-)

右の随神門には、黒の狩衣(かりぎぬ)を身に着けた『豊磐間戸神(とよいわまとのかみ)』。かたわらには白金に彩色された神殿獅子が何故か艶っぽく流し目(笑)。二神は『天照大神』が「天の岩戸」を出た後、二度と誰も入らぬようにと殿門を守った神です。

【「須佐神社」は明治に至るまでに幾度か神社名が変わっており、奈良時代には須佐社、平安時代には須佐神社、室町時代には十三所大明神、天文年間には大宮大明神、近世では須佐大宮あるいは出雲大宮、そして明治4年に須佐神社と制定されました。】神社案内より

拝殿から続く本殿は方2間の大社造、天文23年(1554)の造営とされます。出雲大社と共に典型的な大社造りの建造物として、島根県重要文化財に指定されました。

須佐神社の境内に入って最初に目にする「潮の井」。注連縄の結界に守られた内には井戸のようなものがあります。

伝聞に寄れば、「潮の井」は日本海とつながっており、満潮の時は附近の地面が潮の花をふくと云われるとか・・「『須佐之男命』自ら潮を汲み、此地を清め給うた」と伝えられており、神社にとっては非常に大切な場所とされています。

”出雲屈指のパワースポット”と、どこかの怪しい人がテレビを使って太鼓判を押した「須佐神社」。 その所為で酷い目にあったのが、本殿の背後に聳える推定樹齢1200年とされる「大杉」の御神木。屈指のパワーがあると言った所為で、樹皮をはがして持ち帰るというおバカたちが続出。多分・・「そいつにだけは絶対に!パワーは届かない!」(笑)

明日の「須佐神社~其の二」では境内に祀られる摂社などを紹介します。

参拝日:2011年5月16日

 


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