車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

柏原あちこちウォッチ~Ⅱ~ in 兵庫県丹波市柏原町

2023年07月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

昨日に続いての柏原町の町歩き、スタートは昭和50年3月27日に市指定文化財となった「太鼓やぐら」。藩政時代は大手門の付近に置かれていました。内部は三層で、最上層の楼上には「つつじ太鼓」と名付けられた大太鼓が吊るされています。

建立の時期は定かではありませんが、藩邸の造営が正徳4年(1714)である事から、それに近い時代につくられたと考えられています。現地に移されたのは明治時代初頭のようですが詳しい記録は残されていません。

太鼓櫓の右隣に鎮座されるのは『大年神』を御祭神とする「大歳社」

鳥居の内、拝殿前より神域を守護されるのは浪花系の狛犬さん一対。足の付け根まで伸びたゆるやかなウェーブの鬣がとてもお洒落。

「太鼓やぐら」にほど近い一画、安藤博士の生家跡地に建立された『安藤 広太郎』像。明治から昭和期に活躍した農学博士で、世界で初めて稲の人為交配による新種の作成に成功した人物です。

そこから大手通を抜けて「柏原藩陣屋跡」へ。柏原藩陣屋は柏原藩2万石の居館及び政庁として正徳4年(1714)に造営。途中火災に見舞われましたが、廃藩置県を迎えるまでその役目を果たしました。

 

現存する建物は、陣屋の表御門にあたる長屋門と表御殿の一部ですが、全国でも数少ない陣屋遺構として、また明治以降小学校として使用された経緯から幕末から近代に至る学制の変遷を考えるうえでも貴重であるとして、国の史跡に指定されています。

陣屋長屋門の道路向かい、柏原歴史民俗資料館の北隣に、昭和28年5月に建立された「ステ像」があり、台座には『田 (でん )ステ』が6歳のときに詠んだ【 ゆきのあさ 二のじ二のじの げたのあと 捨女 】の句が刻まれています

「ステ像」の北側に建立されているのは、丹波国柏原藩初代藩主『織田 信包公』

そう言えば、木の根橋の斜め向かいには『織田上野介信勝命』を御祭神とする「織田神社」が鎮座されています。柏原藩主織田家三代当主であった信勝には子が無く織田家は廃絶。信勝の母はそれを嘆き、邸跡に霊廟を祀ったのが「織田神社」の始まりとされています。

明治18年(1885)に旧氷上郡各町村組合立高等小学校 として建築された兵庫県下最古級の校舎で、県指定文化財の「旧氷上高等小学校」。寄棟造の本体に、ペディメントを持つ二階建ての玄関ポーチが付けられた、明治初期に建設された洋風建築に多く見られる形式です。

現存する棟札には、国家的な経済破綻状況や不作などにより混乱・困窮した世情の中で「教育は国家の根底なり、学校は教育の土壌なり」の精神でこの学校創立を発起したことが記されています。改修工事と重なってしまいましたが、無事に美しい外観を見る事が出来ました。

【 雉子(きじ)鳴けり 少年の朝 少女の朝 】細見綾子

訪問日:2014年11月19日

 

コメント (4)
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