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内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

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Policy Essayist

総人口の約25%「高齢者」は正しいか?!   (総合編)

2014-02-05 | Weblog

総人口の約25%「高齢者」は正しいか?!      (総合編)

 総務省統計局は、9月17日、65歳以上の「高齢者」が3000万人を超え、総人口の24.1%となり、過去最高となった旨公表した。

 従来の年齢基準での統計数値としては正しいのだろうし、1990年代より確実に進む高齢化、長寿化の傾向の中では不思議はない。しかし、65才以上になると「高齢者」、或いはお年寄りや老人と言われるのは国民の実感とはかけ離れている上、このように国民を年令により区別し、グループ化することに違和感を持つ人は少なくない。長寿化により「高齢者」の定義も変化しなくてはならない。男性にしても女性にしても、年令による身体的、精神的な状況には個人差があると共に、定年や年金受給年令に達する65歳になると制度上「高齢者」として区分され、社会への積極的な係わり合いから遠ざけ形となるので、疎外感を与えることにもなる。

 現在就労者数は約6,400万人であるので、就労者2人で「高齢者」1人を支える計算になる。長寿化が更に進めば、現在の統計基準では「高齢者」の比率がどんどん増加することになり、将来は就労者1人が「高齢者」1人を支える計算になりかねない。現在の統計基準では「高齢者」は65才以上で、‘定年退職’となり社会の生産活動から卒業し、その多くが年金生活者となる。いわば社会的な被扶養者となるが、就労者2人以下で「高齢者」1人を支えるような社会は、就労者、特に青年層にとっては負担感が重過ぎるので、誤解を与え易い統計基準と言えないだろうか。

 1、65才で老人扱いは早過ぎる

 欧米等では、年金対象年令近くになると退職し、トレーラーハウスで気楽に各地を旅して回りたいという人もいる。だが日本では65歳で退職、生産活動からの卒業となると、一つは所得が無くなることへの不安や不自由さを感じさせる一方、生きがいを求める人が多いようだ。平均寿命は、男性79.6才、女性86.4才、男女平均で約83才であるので、平均的に男性では退職後約15年間、女性では21年程の期間があり、その間「高齢者」として生産活動から卒業させられ、その多くが事実上就職の道を絶たれることになるので、社会との関係が疎遠になってしまうのが現実のようだ。1、2年程度は良いが、15年から20年間社会から遠ざけられ、所得の道を絶たれるのは長過ぎる。その上、65から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とされる。しかし65才になったからといって人生これで終わりだと思っている人は少なく、多くの人は社会との関わり合いを望んでいる。65才になるとたそがれ人生になり、終活に明け暮れるのでは折角の経験が活かされない。

 特に日本は、国家公務員を含め終身雇用制を採っているので、学卒後多くの人が定年になるまで同じ会社、組織に属し、人生で最も長く会社、組織の同僚や上司や部下と接して来ているので、退職するとその接点が無くなるばかりか、65才定年制により、65才以上になると再就職なども事実上阻まれる結果となる。日本は、多くの場合学卒優先の終身雇用であり、公務員でも27才前後を新規採用の年齢制限とし、65才を定年とし、そして65から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とするなど、年齢により国民を細かく分割し過ぎているように見える。それによるメリットもあるが、年令により国民を一律に細分化し、年令グループにより就職や社会保障等において制度的な差別化を図っている形となっている。

 特に国民に開かれていることが望ましい国家公務員や地方公務員について、新規採用年令を27才前後とする一方、独立行政法人など政府関係機関の役員への応募を原則65才以下とし、閣議で決めていることは、国民の行政への参加の機会を年齢で阻むものであり、望ましくない。

 人の年令には身体能力や意識の面で個人差があり、65才以上を一律に「高齢者」として仕分けし、生産活動から外すことは、多くの場合個々人の希望に沿わない。更に就労者2人、或いは将来は2人以下で「高齢者」1人を支えるような結果となる社会モデルは就労者、特に若い世代に過酷であり、統計基準としても画一的に過ぎると言えよう。65才以上の人を、一律にご高齢、老人と称するのも受け取る側にしてみるとまだまだやれるのにと思う人が多くなって来ているようだし、疎外感を与えているようでもある。

 そして70才から74才までを「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」と区分し、行政上医療費の自己負担比率を変えたり、自動車運転免許の取得、更新条件を変えたりしているが、能力、意識の上で個人差があるので余りにも一律過ぎると見られている。公務員の‘新卒採用’を27才前後でと年令制限することも合理性を欠く。また報道等においても、容疑者や犯罪者等の年令を表記するのは良いが、その家族や友人、関係者の年令を表記し、また女優タレント等の年令をその都度表記するのは、日本特有のことであり、多くの場合視聴者の関心でもないし、個人情報やプライバシーの観点から行き過ぎとも言える。映像や声で伝える場合は、視聴者が判断出来ることが多い。

 1990年代以降の日本の着実な長寿化により男女平均の寿命が現在約83才であることを考慮すると、外見上、或いは本人の意識の上で「高齢者」或いは老齢者と言って差し支えないのは、75才以上、将来的に長寿化が更に進む場合は80才としても良いのではないだろうか。75才以上の人口に占める比率は現在11%強、就労人口に占める比率は約22%であるので、国民が支えなくてはならない「高齢者」の比率としてはまだ高いが、容認出来る数値と言えよう。長寿化に伴って年令区分や意識が追い付いていないと言えそうだ。基本的には、日本社会が年令意識、年長者尊重意識(シニオリテイ・コンプレックス)が強いこともあって、年令により国民を区分し、行政上も区分化、制度化する傾向が強過ぎるのではなかろうか。

 このような観点から、65才以上については統計上“年長者”と総称し、所得の上でも体力や意識の上でも社会保障上の配慮が必要となる75才から80才以上を「高齢者」とする方が国民の実感に近いのではないだろうか。

 2、長寿化により必要な就職や社会保障など、制度面での年令区分の見直し

 問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収850万円以上(年金は除く)の人達については、所得において現役世代と遜色はないので、年金については凍結するか、20%から25%の支給とする。また医療費については現役世代と同様に支払うこととするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。

 財政が潤沢な時代であれば従来通りで良かろうが、財政、特に社会保障の財源が不足しているので、従来通りに支給等するために就労者、特に若い世代に追加的な負担を強いることは、社会保障のための負担感がより強くなり、活力を失わせかねない。なお、65才以上でも年収850万円以上の人達には、年金料支払いは免除すべきであろうが、医療費保険料などについても現役同様に徴収することもやむを得ないのではなかろうか。基本的に、今後経済は高度経済成長モデルから安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識や観念が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。

 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を持てるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、通常社員であろうと派遣、アルバイト等であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るようにしなければ達成困難であろう。

 また重要なことは、若い世代に安定的な職業機会を確保して行く一方、65才以上の年長者層に仕事の機会を提供することだ。それにより、社会的負担を軽減すると共に、年長者にやり甲斐や社会的接点を提供することになる。そのため退職後については、職能別、分野別の専門参与ポスト(仮称)を設け(原則3年間、能力、年令制限は設けず、健康等により更新可能)、報酬は最終報酬の40%から60%程度とし、企業グループ内で経験技能を活かすこと促進することが望まれる。このようなシニアー職能制が公務員を含めて普及すれば、それぞれのグループ内だけでなく年長者に対する職業機会が普及することになろう。

 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。

(2013.11.19.)(All Rights Reserved.)


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