内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

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Policy Essayist

親方の指導責任か親の責任か、時津風部屋時太山の死

2009-02-13 | Weblog
親方の指導責任か親の責任か、時津風部屋時太山の死
2007年6月、時津風部屋の序の口力士時太山(当時17歳)が苦しい稽古に耐えかねて何度も部屋を脱走していたが、親の説得で実家から部屋に戻った後、時津風親方(当時)の指示により、兄弟子により過酷な「ぶつかり稽古」などが行われ、死亡した悲惨な事件が起きた。
 この事件は、傷害致死事件として起訴されており、係わった兄弟子3人については、執行猶予付き(5年)の有罪判決を受けている。当時の親方も傷害致死罪で起訴されており、2月12日、その初公判が行われた。親方は、「教えてやれ」などとして兄弟子に指示したことは認めたが、「暴行」を指示したことは否認した。
 伝統的に稽古場には竹刀や棒が置いてあり、ふがいない弟子をそれで叱咤したり、過酷な練習やぶつかり稽古を繰り返す「かわいがり」がどの部屋にも大なり小なり存在していたことは良く知られている。まだ少年の時太山に対しどのような行為が行われたかは裁判に委ねたいが、それがどのようなものであれ、結果としての親方の指導、管理責任は免れないところである。また今後若い力士の指導、教育方法についても改善が必要であろう。
 ご家族の方には心からの哀悼の意を表したい。これからの命を失った無念さ、悔しさを思うと言葉も無い。しかし、子供の指導やしつけについて親がもっと責任と愛情を持つべきであり、この事件についても考えさせるところがある。
 故時太山は、苦しい稽古に耐えかねて脱走したり、父親に電話を掛けたりしていたと伝えられている。事件が起こった直前にも実家に帰り、止めたいと訴えたが、父親に説得されて、部屋に帰らされたという。時太山は、何回も親にSOSを送っていることになる。1回、2回のSOSなら兎も角、何回にも及ぶ子供の訴えを何故親が気付き、手を差し伸べられなかったのだろうか。
 いろいろな事情で、息子の将来を案じて相撲部屋に入れたのであろう。それを詮索する積もりはない。ぐれたり、望ましくない方向に進まないように案じる親の気持ちも十分に分る。甘やかさないで子供を叱咤激励するのも多くの場合親の愛情からであろう。
 しかし子供が何回もSOSを送り、止めたいと言っている気持ちを把握出来なかったのか。父親は子供を相撲部屋に返すに当たって、宜しく、鍛えて欲しいなどと電話でもしたことであろうが、せめて子供と一緒に部屋に行き、親方と相談出来なかったのか。
 あたかも悲劇の父親として、親方の指導責任を追及し、厳罰を願う気持ちも分らないではないが、それで親の責任が薄れるものではない。子供は親の持ち物や自由に出来るものではない。一個の独立の人間として、個々の意見や意志を尊重し、愛情を持って指導することが重要なのではないか。
 最近、親子の殺傷事件や育児放棄、子供の自殺、孤独死などが伝えられている。親方などや学校の先生の指導、監督責任の問題もあるだろうが、それを闇雲に追求する余り、親や家庭の愛情、責任を置き去りにしてはならないように思えて仕方がない。子供が親の愛情や信頼を感じていなければ、親の叱咤激励は罵倒でしかなく、決して子供には届かない。(09.02.) (Copy Right Reserved.)

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