内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その4) ―ブッダのルーツの真実―

2021-01-18 | Weblog

激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その4)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア     (その2で掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録                (その2で掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
 1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在(その3で掲載)
 2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題  (その3で掲載)
 3、生きることに立脚した悟り                        (その3で掲載)
 4、不殺生、非暴力の思想 (その3で掲載)

 5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ 
アジア、ヨーロッパの思想を大陸横断的に見てみると、ブッダ思想の誕生(紀元前623年頃~紀元前5世紀)からほぼ半世紀後に中国に孔子思想(紀元前551年から紀元前479年)、そして約1世紀後にギリシャにソクラテス、プラトン思想(紀元前469年頃から紀元前399年)が誕生し、それぞれ中国やヨーロッパの思想、哲学の基礎を築いた。
紀元前2000年から紀元前1000年頃のアーリアンの人口移動を見ると、ブッダ思想にもアーリアンの思想、文化の影響。今度はブッダ思想、文化が中国やギリシャなどに運ばれ、相互に影響か。民主主義の原点となる人類平等思想や弱者救済、福祉、そして殺人や暴力への戒めの思想など、ブッダ思想に既にその萌芽。
飛鳥時代に日本に伝来したブッダの思想、文化は、ヨーロッパからアジアへのダイナミックな人口移動の流れと徐々に進展する民族融合の過程で誕生し、そして中国やヨーロッパの思想、文化と相互に影響。日本の思想、文化は、本来極東に限定された局地的なものではなく、ヨーロッパとアジアに広がるダイナミックな思想、文化の流れと繋がっていることを理解することが必要。
(All Rigths Resarved.)        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア     (その2で掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録                (その2で掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
 1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在(その3で掲載)
 2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題  (その3で掲載)
 3、生きることに立脚した悟り                        (その3で掲載)
 4、不殺生、非暴力の思想 (その3で掲載)

 5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ 
アジア、ヨーロッパの思想を大陸横断的に見てみると、ブッダ思想の誕生(紀元前623年頃~紀元前5世紀)からほぼ半世紀後に中国に孔子思想(紀元前551年から紀元前479年)、そして約1世紀後にギリシャにソクラテス、プラトン思想(紀元前469年頃から紀元前399年)が誕生し、それぞれ中国やヨーロッパの思想、哲学の基礎を築いた。
紀元前2000年から紀元前1000年頃のアーリアンの人口移動を見ると、ブッダ思想にもアーリアンの思想、文化の影響。今度はブッダ思想、文化が中国やギリシャなどに運ばれ、相互に影響か。民主主義の原点となる人類平等思想や弱者救済、福祉、そして殺人や暴力への戒めの思想など、ブッダ思想に既にその萌芽。
飛鳥時代に日本に伝来したブッダの思想、文化は、ヨーロッパからアジアへのダイナミックな人口移動の流れと徐々に進展する民族融合の過程で誕生し、そして中国やヨーロッパの思想、文化と相互に影響。日本の思想、文化は、本来極東に限定された局地的なものではなく、ヨーロッパとアジアに広がるダイナミックな思想、文化の流れと繋がっていることを理解することが必要。
(All Rigths Resarved.)

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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その3) ―ブッダのルーツの真実―

2021-01-18 | Weblog

激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その3)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア     (その2で掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録                (その2で掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
 1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在
 2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題
 ブッダは、シャキア族の王子シッダールタとして支配階級であるクシャトリア。
 城外で「病、老、死」で苦しむ人々を見て、救いの手を求めて悟りの道へ。
 一つは、人類平等の思想に立脚。
 もう一つは、「病、老、死」は現代の課題でも。課題に普遍性。
 3、生きることに立脚した悟り
 極端な抑制と苦行は、欲望自体を消滅させず、「解脱」に導くものでもないことを悟る。そして生命の摂理に従って自然に生きることの中に真理を見出し、生きることに立脚して悟り。「中庸の道」、「中道の法」と言われる教え。80歳に至るまで、生きる教えを説く。
 4、不殺生、非暴力の思想
 ブッダは、コーサラ国のヴイルダカ王がシャキア王国を攻撃するとの知らせを受け、進軍する路上の枯れ木の下に座り、何度もヴイルダカ王に深い憂慮を伝えた。王は兵を引き返すが、再三に亘り進軍を繰り返し、進軍を許す結果に。しかしブッダは一人身を挺して進軍を阻み、その間多くの人々に避難する時間を与えと見られる。(非暴力を自ら実践)
 他方ヴイルダカ王には苦痛に満ちた末路が。(殺生への戒め)
 後世においては、アショカ王(在位紀元前269年より232年頃、ブッダの活動拠点だったマガダ国のマウリア王朝時代)は、「カリンガの闘い」での大量の殺戮。報いを恐れ不戦と不殺生を誓い、ブッダ教を深く崇拝。(ブッダ教の普及)
 また、インドが第一次世界大戦後英国からの独立運動(インド国民会議)を起こした際、マハトマ・ガンジーが非暴力の不服従運動。(不殺生、非暴力の実践)
 翻って見ると、ブッダの時代は、インド亜大陸においてア―リアン・グループの流入と先住グループとの戦いを繰り返しながら16大国が群雄割拠していた時代であり、相対的な安定期にあったと見られるが、未だ部族間の抗争が続いており、殺傷行為はいわば日常的であった時代に、‘不殺生、非暴力の教え’を説いたものであるので、当時としては非常に先駆的な思想であった。しかし、その思想は時を経るに従い、次第に組織化する社会において秩序維持等の観点から、掟や戒めとなり、そして今日の法律、規則に発展し、現在では世界のほとんどの国、地域において適用されている思想となっている。
 国家関係においては、現実論からすると、こうした徹底した非暴力主義は、今日の世界においては疑問が。戦争や武力紛争の無い世界は理想でしかなく、非現実的。
 しかし武力紛争の無い世界が「理想」であれば、理想に向かって努力することが人類の知恵ではないか。もとより、備えは行った上でのこと。
 人類の歴史を作ってきたのも、どの分野でも理想に基づくもの。

5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ (その4に掲載)
(All Rights Reserved.)

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Remarks by U.N.S.G. Guterres on the online Conference with Chinese President Xi are questionable!

2021-01-18 | Weblog

Remarks by U.N.S.G. Guterres on the online Conference with Chinese President Xi are                                             questionable!

                                                                                                            October 7th, 2020

 Celebrating the 75th Anniversary of the United Nations, United Nations Secretary-General Antonio Guterres had an online conference with Chinese President Xi Jinping on September 23, 2020.

The remarks by Chinese President Xi show marked differences between its external posture and the actual domestic reality in China
  President Xi Jinping of People's Republic of China (PRC) expressed the following points during the on-line meeting with UNSG, based on the report by Chinese News Xinhua:

He reaffirms to the international community to uphold multilateralism and abide by the commitments to the UN Charter.
Noting that COVID-19 is still rampant in the world, China firmly supports the key initiatives of the UN system, especially the World Health Organization.  China also firmly supports the UN system in strengthening international           cooperation in COVID-19 prevention and containment. It will make COVID-19     vaccines a global public good after putting them into use, and also contribute  to the vaccine accessibility and affordability in developing countries.
 (3)Noting the emergence of many new problems amid the pandemic, these problems are related to peace and development in one way or another.

 In this regard, the UN Security Council should play the role of a collective security mechanism, and the Security Council permanent members should play an exemplary role.

 Pursuing unilateralism and seeking hegemony are unpopular and will surely be rejected.

 The COVID-19 pandemic has magnified the problems of maladaptation and mismatch in the global governance system.

 There is only one system in the world, namely the UN-centered international system, and only one set of rules — the basic norms of international relations based on the UN Charter.

 China never pursues ideological confrontation, advocates 'decoupling' or seeks hegemony.

China will not sit idly by and allow its national sovereignty, dignity and development space to be undermined. Instead, China will firmly safeguard its legitimate rights and interests and uphold international equity and justice.
 All countries are called on to rise above differences between countries, nationalities, cultures and ideologies so as to promote efforts in building a community with a shared future for humanity.

 

  Although his remarks may be well received basically by the international community including the United Nations, most of them sound to be quite different from the actual situation inside China, which adopts One-Party Democracy and a Socialism Market Economy among other things.

 

 2、Courteous yet accommodating response by UN Secretary-General Guterres

 United Nations Secretary-General Antonio Guterres, while listening cheerfully to Chinese President Xi, stressed the importance of multilateralism, international cooperation, and a powerful United Nations as the world faces challenges, including the COVID-19 pandemic and climate change.

 He expressed his gratitude to China's consistent and firm support for multilateralism. And he welcomed a series of important initiatives and measures President Xi announced at the UN General Assembly in September, 2020, in such spheres as the  practice of multilateralism, coping with climate change and promoting sustainable development.

 He also expressed his support for China's efforts to promote jointly in building ‘a Silk Road of Green Development’.

 He highly appreciated China's role in safeguarding the world peace.

 UN Secretary-General Guterres said that the United Nations would support China in deepening cooperation with Africa and other developing countries, and expressed the UN’s willingness to strengthen cooperation with China and he expected that China would play a leading role.

 

 It is quite natural for the UN Secretary-General to appreciate China’s role and his willingness to strengthen relations and cooperate with China, especially when the United Nations celebrates the 75th anniversary. But if we realize the clear differences between what Chinese President Xi was telling to the World and what the Chinese Government is actually doing inside China, including Tibet and Xinjiang Uygur, some of the remarks made by UN Secretary General Guterres are questionable and inappropriate. Or a lack of knowledge about actual China.

 3、China’s external posture differs from its reality inside China

 Although most of the remarks above made by Chinese President Xi are appreciated from the widely-shared international standard based on democracy, freedom, human rights, and free market economy, what he is saying to the World  is different from what China has been doing inside China, including Tibet and Xinjiang Uygur, and, in part, Hong Kong.

Delay of China’s detailed notice to the World, in particular, WHO on the Buhan-originated Corona Virus
 While Chinese President Xi said that China would support the UN system in strengthening international cooperation in COVID-19 prevention and containment, it failed to provide to WHO accurate information immediately after the detection of Corona Virus in Buhan in January, 2020. Also it failed to stop the outgoing of foreign nationals and Chinese people from China, while it quickly restricted the movement of Chinese people from Buhan. Such delayed measures on the part of China let the Corona Virus spread outside China, and prevented WHO to recommend the World to take preventive measures as quick as possible, especially the closure of airports and others, and declare it as COVID-19 Pandemic.

 The very swift and world-wide spread outside China of the Buhan-originated Corona Virus itself proves that there was certainly such a delay. In fact, President Xi apologized to the people in Buhan for the delay of prompt measures after the Chinese Government imposed the lockdown there. It seems, to a greater degree, that he owes an apology to the rest of the World for causing the worldwide spread of Buhan-originated corona virus, instead of denying it and criticizing other country. 

 The World community wants to know the fact first so that we could take measures as quick as possible. Denying it only magnifies doubt and distrust over the Chinese sincerity.

 China’s governing system is based on One-Party (Communist Party) Democracy and the Socialism Market Economy
  Although we welcome China’s external posture to uphold multilateralism and abide by the commitments to the UN Charter, it firmly adopts One-Party-  Democracy and the Socialism Market Economy internally.  We don’t call One-Party -Democracy based on Communist Party a Democracy. Because it denies plural political parties and freedom of belief and speech, We don’t call the Socialism Market Economy, which is centrally managed and restricted, a Free Market Economy.

 Therefore, the movement and activities inside China by not only Chinese people themselves but also foreign nationals are restricted in one way or another, while Chinese people are permitted free access to the international market and  free movements within any countries in the world.

  If China wants to keep such freedom of activities and movement externally, it should allow foreign people similar freedom in the spirit of reciprocity. If not, it is fair to say that all countries have the right to take similar restrictive measures to Chinese activities there to the extent their nationals’ activities are restricted in China.

 While we certainly welcome China to be a member of the international community in principle, UN Secretary-General Guterres should also have invited China to accord to foreign nationals inside Chine similar freedom of activities and movement in the spirit of reciprocity and fairness.

China’s massive military buildup and accelerated military activities especially in the East China Sea
 Chinese President Xi claimed that “the UN Security Council should play the role of a collective security mechanism, and the Security Council permanent members should play an exemplary role.”

 We are puzzled. Isn’t it China who made difficult for the Security Council to take prompt security measures by vetoing on many cases?

 Isn’t it China who occupies the Spratly and Paracel Islands by force, whose territorial rights are claimed by as many as 6 neighboring countries, and were building militarily usable facilities on those islands? Isn’t it China who rejected the ruling of the Permanent Court of Arbitration (PCA) in 2016 that “there was no evidence that China had historically exercised exclusive control over the waters or resources, hence there was no legal basis for China to claim historic rights over the nine-dash line (the Spratly Islands area),” advocating unanimously the claim made by the Philippines. The tribunal also criticized China's land reclamation projects and construction of artificial islands in the Spratly Islands, destroying the vast coral reef. We don’t call such acts “exemplary.” On the contrary.

  President Xi also urged that “pursuing unilateralism and seeking hegemony are unpopular and will surely be rejected.” If he really thinks so, he is invited to show a good example by accepting the ruling and settling other disputes with the countries concerned. 

  In this regard, I should like to propose a negotiation on Disarmament and Confidence Building in East Asia.

 

  UN Secretary General should have asked Chinese President to settle those issues as quick as possible, while appreciating China’s positive role to be played on other issues as well. And he should not have expressed his support for China's efforts to build ‘a Silk Road of Green Development,’ which is in line with China’s  recent strategy of “One Belt One Road,” stretching from China to Europe on the Eurasian Continent and the Sea, because it appears to be somewhat expansionistic and hegemonistic.

  (4) China’s bothering human rights records and oppression of self-determination

  Chinese President Xi called on all countries “to overcome differences between countries, nationalities, cultures and ideologies so as to promote efforts in building a community with a shared future for humanity”. We agree what he was saying in principle, but we are largely puzzled. We are largely puzzled because China has notorious records contrary to human rights and self-determination in Tibet and Xinjiang Uygur, and, in part, Hong Kong. There is a clear disparity in words and deeds.

 Secretary General Guterres of the United Nations should have drawn President Xi’s attention that the United Nations was worried about the human rights situation in those areas. Without saying any of these, he must have given a wrong message to Chinese President Xi. (2020/10/07  M.K.)

Global Policy Group

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アジア地域包括的経済連携(RCEP)、中国への条件付与が不可欠  (再掲)

2021-01-18 | Weblog

アジア地域包括的経済連携(RCEP)、中国への条件付与が不可欠  (再掲)

 2011年11月にASEAN諸国の提唱により協議が始まったアジア地域包括的経済連携(RCEP)は、2019年11月4日、バンコクで開催され首脳会議において、インドを除く15カ国が2020年中の協定署名に向けた手続きを進めることで合意した。
 アジア地域包括的経済連携(RCEP)は、ASEAN10カ国に加え、日本、韓国中国、インドとオーストラリア、ニュージランドの16カ国を対象として関税の自由化、サービス分野における規制緩和や投資障壁の撤廃を目的として協議が行われて来た。しかしインドは、中国の市場アクセスへの懸念につき対応されておらず、自国の農業・酪農、消費部門が影響を受けるとして参加を見送った。インドのモディ首相は、今回のRCEP合意について、関税の違いや貿易赤字、非関税障壁など、「インド国民の利益に照らし合わせ、肯定的な答えは得られなかった」との考えと伝えられている。
 中国、インドを含むRCEPが実現すれば、世界の人口の約半分に当たる34億人、世界のGDPの約3割の20兆ドル、世界の貿易総額の約3割10兆ドルを占めるメガ地域経済圏となる。
インドを除く15カ国は、インドの参加を期待しつつも、2020年中の15カ国での発足を模索しているが、基本的に次の問題が内在しており、慎重な対応が求められる。
 1、「社会主義市場経済」を標榜する中国との差は埋められるか
 中国は「社会主義市場経済」を標榜しており、自由主義市場経済と異なり、基本的に中央統制経済を維持している。従って石油ガス、銀行その他の戦略性や公共性のある多数の基幹産業が政府(国務院)か共産党管理下の「国有企業」であり、補助金を含め政府や党からの実質的な支援を受けている。政府や党が100%株式を所有する中央企業などのように、その下に中央企業が持ち株会社として管理監督する子会社が多数存在する。従って表面上‘株式会社’となっていても国が保有或いは統制している企業体が存在する。
 このように国家や共産党に補助金や直接管理で保護されている企業や産業が存在し、国内産業は保護、規制しつつ、海外市場や海外投資については自由貿易、多国間主義を求めるのは、衡平を著しく失する。このような企業、産業からの輸出については、輸入国側、投資受け入れ国が、輸出国側の補助金等の保護の度合いにより相応の関税を課す事を含め、一定の防護措置をとることを認めるべきであろう。そうでなければフェアーな競争とは言えない。スポーツに例えれば、筋肉増強剤を使用している選手と競争しているようなものだ。
 この観点からすると、米国による中国に対する関税措置や貿易交渉姿勢は‘保護主義’などではなく、公正な要請と言えよう。
 1990年代に入り急速に経済成長した中国は、2001年12月、世界貿易機関(WTO)に加入した。当時のおおよその見方は、13億人の巨大市場である中国貿易が自由化され、世界市場が拡大する一方、中国経済自体も国際経済秩序に組み込まれ、市場経済化を加速させるものと期待された。
その期待の一部は達成されたが、WTOへの加入により最も利益を得たのが中国であり、いわば独り勝ちの状況となっている。
 中国は、WTO加入に際し金融の自由化、諸法制の整備などの是正が求められ、若干の改善は見られている。しかし中国は、体制上『社会主義市場経済』を標榜しそれを堅持しているので、先進工業諸国が採用している‘自由主義経済’や‘市場経済’とは異なり、上記の通り、国営基幹産業を含め、基本的に国家統制経済であり、国家の統制や国家補助、国家管理が強い。また実体上、元の為替レートや株価への統制や管理も行われ得る体制となっている。中国は、米国の通商交渉姿勢について、国際会議や記者会見等において、‘米国は保護主義的であり、自由貿易を支持する’などとしているが、国内で中央統制経済を維持しつつ、世界では自由貿易とは身勝手と言える。ASEAN諸国も、当面は中国経済の恩恵を受けているが、RCEPが発足すると国内産業が圧迫され、不利益の方が際立つ可能性がある。現在、世界貿易機関(WTO)の改革が検討されているが、国家補助を受けている企業や産業が世界市場に参入する場合の条件、外国為替や株式市場への直接的国家介入の節度、技術や特許など知的財産の国際的保護などが課題と言えよう。
 中国は、国民総生産(GDP)において、既に米国に次ぐ世界第2位の経済大国となり、成長率が低下したと言っても年率6~7%の成長を維持し、2019年の世界経済成長率3.2%(OECD予測)の倍以上の成長率が予想されている。しかし中国は、国内で中央統制経済を維持する一方、世界での自由貿易を主張している。第2次世界戦争後の世界経済は、米国の経済力を軸とするものであり、70年代後半以降多極化の動きが見られるものの、基本的には米国経済が牽引力となって来た。しかしこのままでは、『社会主義市場経済』を採用している中国が、相対的に高い成長率を維持し続け、世界第1の経済大国となり、世界経済の中心となる可能性が高い。米国を中心とする国際経済秩序に、異質の経済体制を採る中国が加わり、単純化すれば、中国と米国という2つの経済圏による秩序に変容することになろう。
 トランプ政権はその変化を認識し、経済分野のみならず、‘安全保障と外交政策’上の脅威ともなるとして、目に見える短期的な利益を模索しつつも、中・長期の国際経済秩序を見据えて中国に対応し始めていると言えよう。日本を含め世界は、この流れを見逃してはならない。
 アジア地域の自由貿易地域となろうとしているRCEPを発足させるためには、本来であれば社会主義市場経済という特異な体制をとっている中国に対する参加条件を検討することが不可欠のようだ。中国を国際社会につなぎ止めて置くことは必要だが、WTOの過ちを繰り返してはならない。
 2、インド不参加のRCEPは‘閉ざされた地域グループ’を生む
インドのモディ首相は、RCEP合意について、関税の相違や貿易赤字、非関税障壁などへの対応において「肯定的な答えは得られなかった」とし、合意出来ないとの姿勢である。特に、中国の安価な製品のほか、オーストラリアやニュージランドからの安価な農産品などが国内産業を圧迫することを懸念している。
 中国への懸念は、補助金を含む産業保護という中央統制経済から発生することであるので、体制上の変化が無い限り、インドはRCEPに参加することはないであろう。RCEPがインド抜きで発足すると‘排他的な地域グループ’を生むこととなるので好ましくない。
 他方インドの参加を促すためには、中国の補助金その他の産業保護の状況に応じて関税や投資規制等と設けることを認めることとするか、それとも中国が自由主義市場経済への転換を図るかあろう。それ無くしてRCEPを発足させることは時期尚早と言えよう。(2019/12/23)

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台湾の独立実現に転換すべき時

2021-01-18 | Weblog

台湾の独立実現に転換すべき時
 1月末以来、中国武漢から世界に拡大したコロナウイルスは、既に680万人以上の感染者、40万人近くの死者を出し、世界レベルでの感染は未だに収まっていない。
 このような中、5月18日、世界保健機関(WHO)の年次総会を開かれ、焦点に1つであった非加盟の台湾のオブザーバー参加について、中国が「1つに中国」を主張して反対したため、見送りとなり、年内にも開かれる次回総会で協議されることになった。
 米国は、台湾のオブザーバー参加を支持する一方、WHOは中国寄りであり、改革を求めると共に、改革されなければ脱退も辞さないとした。
1、コロナウイルス問題は世界77億人の健康、存続に関する問題
コロナウイルス問題は、単に2,700万人の台湾の人々の健康、安全の問題ではなく、世界の77億人の健康、安全の問題であると共に、世界の健全な経済・社会・文化活動の回復、維持に影響する問題であり、いわば人類全体の健全な存続に関する問題である。
 武漢型コロナウイルスは、その発生源については別として、武漢から世界に拡散し、40万人を超える死者を出す拡散源となったことは確かである。習近平中国主席は、武漢を中心とする中国国内で感染が拡大したことを詫びたが、世界に対してはそのようなお詫びをしていない。確かに中国も新型コロナウイルスの被害者であるが、世界に拡散させた責任の一端はあり、世界に何らかの言葉があっても良いのではなかろうか。それどころか、世界が密接に協力してコロナウイルスを克服していかなくてはならない時期にWHO年次総会への台湾のオブザーバー参加を阻み、コロナウイルス克服へ向けての世界的努力から除外し、空白地帯を造っているに等しい。世界のどこかに空白地帯があれば、この問題の中・長期的な解決は難しい。
 2、台湾の独立を推進する時
 次のWHO総会でも、中国はかたくなに台湾が中国に帰属するとの原則を主張し、台湾の参加に反対するか、厳しい条件を課すであろう。台湾について中国が何かできるわけでもなく、台湾は国際的なコロナウイルス撲滅努力の外に置かれる。
 領土問題については、香港の問題がある。1997年6月に英国の99年間香港租借が終了し、50年間は香港の「高度の自治」が認められる1国2制度に移った。領土としては中国であり、香港での民主化運動の激化に対し、中国は香港に「国家安全法」を適用することを2020年5月の全人代で決めた。
米国等は香港の自由と民主主義を抑圧するものとして強く反発している。しかし中国は、香港は中国の一部であり、内政干渉として取り合う姿勢を示していない。中国は「領土」という原則は曲げないであろう。現在の国境を前提とする国家関係ではやむを得ないことだろう。そのことは香港を去った英国が一番よく知っている。
台湾については、戦後中華民国として中国共産党下の中華人民共和国とそれぞれが中国を代表するものとして対峙していたが、東西冷戦下の1971年に、アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦(当時)をはじめとする東側諸国との間で政治的妥協が計られた結果、国際連合における「中国代表権」が中華人民共和国に移され、中華民国(台湾)は国連とその関連機関から脱退を余儀なくされ、「地域」として扱われてきた。
 台湾と外交関係を有する国も現在中南米、カリブ諸国を中心として15カ国に減少している。日本も外交関係を持っていない。
 台湾が国連を脱退して50年ほどになるが、中国は「1つの中国」を主張し、台湾をその1地域としている。台湾においては、台湾独立派と中国大陸派とが存在するが、自由と民主主義は根付いており、同じ中華系も多いが、高雄系などの台湾独自の人口も多いので、中国共産党とは相容れない社会経済体制となっている。双方とも、それぞれが中心となって中国統一を願っているようであり、それが双方国民の選択であれば良いが、差が縮まるどころか広がっている。
 これ以上待っても物事は動かないし、武漢型コロナウイルス問題など地球規模の問題への対応、健全な人類の存続を考えると、台湾を国連の外に置いておくことは望ましくない。今や東西冷戦はなくなっており、その時の東西両陣営の妥協の産物である中国の代表権問題はその役割を終えたと考えられるので、今や台湾の独立を推進すべき時代になっていると言えよう。台湾独立後、双方の国民が統一中国を希望するのであれば、それは双方の国民の選択に委ねれば良いことであろう。
(2020.6.8.All Rights Reserved.)

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新型コロナウイルス克服には検査と医療体制の拡充・整備が基本

2021-01-18 | Weblog

新型コロナウイルス克服には検査と医療体制の拡充・整備が基本
 現在世界で猛威を振るっている新型コロナウイルス肺炎は、感染力と致死率が高く、世界の感染者総数は215万人超、死亡者は14万人超(4月17日現在)に達している。日本も、国内感染者9,297人、死亡者136人(同日現在)となっている。
 このような伝染病を克服するためには、2つの対応が必要だ。
 1つは、伝染病の罹患者(陽性者)を早期に特定した上、隔離し、治療することが基本であろう。
 第2は、伝染病が急速に広がり、罹患者が急増し、死者が増えることにより、社会活動、経済活動全般が停滞し、国民生活に大きな影響を与えるので、そのための救済、救援処置が必要となることである。
1、新型コロナウイルス肺炎の封じ込めに何が必要か
(1)早期発見と情報の迅速な伝達、共有
 新型コロナウイルス肺炎は、中国武漢市で発生が確認され伝染が拡大したが、武漢市を初めとする中国の対応と情報の内外への発信の遅れが、中国国内での対応ばかりではなく、世界への伝染拡大を招いたと言えよう。
 また国連の専門機関である世界保健機関(WHO)の世界的伝染病(パンデミック)とする宣言が遅かったと言えよう。
 今回のコロナウイルス肺炎は、「新型」であったので未知なことも多く、対応が遅れたとしても誰の責任でもなく、仕方が無いことと思われる。しかし中国の地方組織を含め、情報統制を行っていることが遅れの一因であり、遺憾であるが、中国が猛省し、今後発生源の特定や何故対応が遅れたかの検証、病原菌の特性などにつき、国連はじめ関係各国への迅速な情報や資料の提供を望みたい。
 (2)検査の充実と罹患者(陽性者)の特定、隔離、治療が対応の基本
 このような感染力の強い伝染病への対応については、速やかに罹患者を特定し、隔離、治療するのが基本中の基本であろう。少なくてもそのように学んだ。
 今回の場合、新型であったため、検査キットの準備がなく、1月下旬の初期段階では1日800件程度しか検査できない状況であったので、武漢等への渡航経験者などを除き、検査は受けられず、‘自宅療養’の状態となったことは仕方なかったとしても、その後迅速に検査体制の拡充・整備、陽性者を症状を選別した上で隔離・治療体制の拡充、整備を優先的に進めるべきであった。そのために予備費などを含め予算を優先的に充てるべきであったと思われる。
 一部に、検査して陽性患者が増えると病院が受け入れられないようになり、イタリアなどのように「医療崩壊」を起こすとの意見があった。何もしなければそうであろう。検査を前提として、陽性者の症状に応じ、症状がないか軽微な者の隔離場所(第1次隔離)、重度でないが治療を要する患者(第2次隔離)、及び重度者(第3次隔離)などに分けて、収容場所を新・増設する。場所は、廃校となった学校や施設や場合により適当場所に簡易施設を建設するなど対応は出来るはずだ。また医療用マスク、防護着衣や人工呼吸器類を拡充・整備すると共に、検査キットやワクチン、治療薬等の開発を図る。そのために予算を優先的に使用すべきだ。
 医師、看護師等の人材については、まず医療従事者が感染しないよう配慮する一方、OBの再リクルート、研修医の動員や、必要に応じ医大生をボランテイアー・ベースで募り、緊急・危険手当を含め然るべく報酬を支給して手当てするなど、対応は可能であろう。予備費を当てると共に予算手当を優先的に行うべきであろう。
 現在のように、無症状の保菌者が自由に行動できる状態ではコロナウイルスの伝染を克服することは出来ない。コロナウイルス禍は長期に残存する可能性が高いが、将来、緊急事態宣言を解除、緩和する時には、無症状の保菌者への対応が必要となろう。そのためにも検査の充実は不可欠だ。
 2、経済社会活動、国民生活への影響をどう緩和、救済するか
 経済的被害については、個人にせよ企業・団体にせよ、誰もが被害者であるので、まずはそれぞれの経済的能力に従って耐え、対応し克服する努力が必要だろう。そのような個々の意識と努力がなければ克服は難しい。財源が限られている以上、政府や地方自治体が行えることには限度がある。
 公的な経済的支援を必要とするのは、職業が安定していない人や解雇される人であり、企業・団体では中小零細企業・団体や観光・飲食・娯楽・サービス業などの分野で、コロナウイルス禍で著しく影響、被害を受けるところが中心となろう。仕事を失った者に対しては、雇用保険によるセーフテイーネットがあるものの、その対象となっていない人々や地域、分野によって被害は一律ではない。重要なことは、経済・社会活動が制限、縮小され、生活が困窮し、被害を受けている人々に支援が迅速に届くような措置が望まれる。
(2020.4.17.)
 現在世界で猛威を振るっている新型コロナウイルス肺炎は、感染力と致死率が高く、世界の感染者総数は215万人超、死亡者は14万人超(4月17日現在)に達している。日本も、国内感染者9,297人、死亡者136人(同日現在)となっている。
 このような伝染病を克服するためには、2つの対応が必要だ。
 1つは、伝染病の罹患者(陽性者)を早期に特定した上、隔離し、治療することが基本であろう。
 第2は、伝染病が急速に広がり、罹患者が急増し、死者が増えることにより、社会活動、経済活動全般が停滞し、国民生活に大きな影響を与えるので、そのための救済、救援処置が必要となることである。
1、新型コロナウイルス肺炎の封じ込めに何が必要か
(1)早期発見と情報の迅速な伝達、共有
 新型コロナウイルス肺炎は、中国武漢市で発生が確認され伝染が拡大したが、武漢市を初めとする中国の対応と情報の内外への発信の遅れが、中国国内での対応ばかりではなく、世界への伝染拡大を招いたと言えよう。
 また国連の専門機関である世界保健機関(WHO)の世界的伝染病(パンデミック)とする宣言が遅かったと言えよう。
 今回のコロナウイルス肺炎は、「新型」であったので未知なことも多く、対応が遅れたとしても誰の責任でもなく、仕方が無いことと思われる。しかし中国の地方組織を含め、情報統制を行っていることが遅れの一因であり、遺憾であるが、中国が猛省し、今後発生源の特定や何故対応が遅れたかの検証、病原菌の特性などにつき、国連はじめ関係各国への迅速な情報や資料の提供を望みたい。
 (2)検査の充実と罹患者(陽性者)の特定、隔離、治療が対応の基本
 このような感染力の強い伝染病への対応については、速やかに罹患者を特定し、隔離、治療するのが基本中の基本であろう。少なくてもそのように学んだ。
 今回の場合、新型であったため、検査キットの準備がなく、1月下旬の初期段階では1日800件程度しか検査できない状況であったので、武漢等への渡航経験者などを除き、検査は受けられず、‘自宅療養’の状態となったことは仕方なかったとしても、その後迅速に検査体制の拡充・整備、陽性者を症状を選別した上で隔離・治療体制の拡充、整備を優先的に進めるべきであった。そのために予備費などを含め予算を優先的に充てるべきであったと思われる。
 一部に、検査して陽性患者が増えると病院が受け入れられないようになり、イタリアなどのように「医療崩壊」を起こすとの意見があった。何もしなければそうであろう。検査を前提として、陽性者の症状に応じ、症状がないか軽微な者の隔離場所(第1次隔離)、重度でないが治療を要する患者(第2次隔離)、及び重度者(第3次隔離)などに分けて、収容場所を新・増設する。場所は、廃校となった学校や施設や場合により適当場所に簡易施設を建設するなど対応は出来るはずだ。また医療用マスク、防護着衣や人工呼吸器類を拡充・整備すると共に、検査キットやワクチン、治療薬等の開発を図る。そのために予算を優先的に使用すべきだ。
 医師、看護師等の人材については、まず医療従事者が感染しないよう配慮する一方、OBの再リクルート、研修医の動員や、必要に応じ医大生をボランテイアー・ベースで募り、緊急・危険手当を含め然るべく報酬を支給して手当てするなど、対応は可能であろう。予備費を当てると共に予算手当を優先的に行うべきであろう。
 現在のように、無症状の保菌者が自由に行動できる状態ではコロナウイルスの伝染を克服することは出来ない。コロナウイルス禍は長期に残存する可能性が高いが、将来、緊急事態宣言を解除、緩和する時には、無症状の保菌者への対応が必要となろう。そのためにも検査の充実は不可欠だ。
 2、経済社会活動、国民生活への影響をどう緩和、救済するか
 経済的被害については、個人にせよ企業・団体にせよ、誰もが被害者であるので、まずはそれぞれの経済的能力に従って耐え、対応し克服する努力が必要だろう。そのような個々の意識と努力がなければ克服は難しい。財源が限られている以上、政府や地方自治体が行えることには限度がある。
 公的な経済的支援を必要とするのは、職業が安定していない人や解雇される人であり、企業・団体では中小零細企業・団体や観光・飲食・娯楽・サービス業などの分野で、コロナウイルス禍で著しく影響、被害を受けるところが中心となろう。仕事を失った者に対しては、雇用保険によるセーフテイーネットがあるものの、その対象となっていない人々や地域、分野によって被害は一律ではない。重要なことは、経済・社会活動が制限、縮小され、生活が困窮し、被害を受けている人々に支援が迅速に届くような措置が望まれる。
(2020.4.17.)

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