内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

シリーズ平成の過剰反応―麻薬所持容疑のタレント酒井法子への過剰反応(改訂版)

2009-08-13 | Weblog
シリーズ平成の過剰反応―麻薬所持容疑のタレント酒井法子への過剰反応(改訂版)
 のりピーのニックネームで人気のあった元アイドル歌手酒井法子が麻薬所持容疑で逮捕された。渋谷の路上で夫高相容疑者が麻薬所持容疑で警察官に職務質問され、同人が否定しつつ、タレント酒井法子の夫であるなどとして現場に呼び寄せたが、酒井法子は子供がいるとしてその場を去り、失踪した。
 麻薬所持容疑で逮捕された高相容疑者は、尿検査でも陽性で使用が明らかになったが、妻も使用していたと述べたことから、酒井(高相)法子の自宅が捜査され、微量の麻薬とストローなどが押収され、同人にも逮捕状が出された。人気のあった元アイドル歌手の麻薬容疑での逮捕状であったため、大きな反響を呼んだ。ファンでなくても、エーあの人がどうしてと思ったであろう。
 同人は、失踪してから6日後に警察所に出頭し逮捕された。同人は、その間夫の母親や継母などの支援も得て都内や山梨、箱根などで身を隠していたと伝えられている。子供は安全に預けられていたことが分かっている。
 逮捕後の尿検査では、酒井法子容疑者は陰性であり、口頭では昨年夏ごろから数回使用したなどと述べていると伝えられているが、使用は確認されていない。自宅で見付かった麻薬も0.008グラムと少量で、眼では見分けがつかないくらいの量でしかない。使用した残りかもしれないが、尿検査が陰性で、所持量も極く微量で、前歴がないので、一般的には起訴には至らないとも言われている。失踪か逃亡かが問われているが、本人が逃走であったと言わない限り、残る事実は出頭したということだけである。
 ところが同人は、清純派の元アイドル歌手で社会的影響も大きいので、麻薬取締りの観点から、起訴すべしとする意見が一部の閣僚からも出ている。
報道機関の中には、同人が数年前から夫妻でクラブに出入りし、髪を振り乱し、乗り乗りの映像等を再三流して、元清純派のアイドルとのギャップを鮮明にしようとしている。麻薬は決して許されるべきではないが、建前論の過剰反応ではないか。酒井法子は、確かに清純派のアイドルではあったが、10年近く結婚し、主婦であり、子供もいる一社会人である。クラブに出入りし、弾けたい時もあるし、羽目をはずして遊びたいこともあるだろう。イタリアの首相でもないが、聖人でも霞を食べている仙人でもない。誰でもそうであろう。まだ30代であり、遊べるときに遊びたいだろうし、清純派のアイドルというレッテルを越えて、大人のタレントを目指そうと本人なりに悩んでいるのかもしれない。勝手に清純派アイドルというレッテルを貼って、清純派らしく振舞えというのは「建前論」であり、報道している側はもとより、多くの同世代の人や若い世代は、公の場は別として、プライベートの時間にはもっと「本音」で生活しているのであろし、プライベートの時間は自由にさせて欲しいと思っているであろう。建前論の過剰反応である。夫高相容疑者が、取調べに対し、妻も数年前から使用していたなどと述べていると報道されているが、具体的な証拠がなく、信憑性に欠ける。ストローなどがあっても、酒井容疑者が実際に吸引したという証拠(陽性反応)がなければ、状況証拠でしかなく、吸引した証拠に欠ける。また裁判ともなれば、実態的な夫婦関係はどうあれ、夫婦であるので配偶者に不利な証言等はしなくても良いことになる。
 更に、清純派の元アイドル歌手で「社会的影響も大きいから厳しく起訴すべし」との意見も過剰だし、不適切だ。それは見せしめ論に近い。人の地位や立場を見て、罰の重さを決めるのは不適切であろう。野党議員は厳しく取り締まり、与党議員は手加減して対応する、又はその逆と、警察や検察の気分で罰が左右されることになれば、法の前の平等を著しく損なうことになり、法や正義の安定性を失うことにもなる。通常の手続きに従うべきであろう。大切なことは、法技術的に、職業的にどう罰するかよりも、軽微な場合は反省させ、どう更正させるかであろう。その方が社会的コストが低くなる可能性がある。処罰すれば、当事者は一般社会から一旦退場させられることになり、その者への罰であるので仕方がないが、その間のコストは社会、従って国民が負わなくてはならない。
 また夫高相容疑者の起訴は避けられないところであろうが、子供の将来の問題もある。あえて母親まで起訴してしまうと、子供の将来への影響はより大きくなる。酒井法子が反省をし、更正を誓うのであれば、強いて起訴する必要はない。建前論や法技術論のみを振り回すのが社会正義ではないのではないか。過剰反応は避けるべきであろう。
 今回の事件でもう一つ隠れた大きな問題がある。タレントの使い方や管理だ。タレントは、表面的な華やかさとは別に、あくまで商品であり、儲かるうちに使うだけ使い、儲からなくなれば切られる。人気アイドルと言われるタレントも、事務所により多少異なるが、基本的には同様だ。
 最近、あるアイドル女性タレントが、16歳前後の頃、忙しく、都内の自宅でくつろげるのが2時間前後など短時間となり、悩み、衝動的に家を飛び出し自殺を考えたことがあったと語っていたのを耳にした。母親からの「あなたの後に行くからね」とのメールで思いとどまったという。過去にも、恋愛問題ではあるが、中森明菜、華原ともみさんなどの自殺未遂・凋落、飯島愛さんの引退・孤独死などの例がある。
 確かにタレントは、商品である。商品としてのアイドル像が作られ、それを演じなければならない。なりたくてなっているので良いではないかとの議論もあろう。しかし生身の人間であり、またアイドル年齢は10代が中心となり、社会的経験も無く、基礎教育も十分でない一方、多感な遊び盛りでもあり、普通の友達も欲しいであろう。20歳成人の是非は別として、現行法では20歳が成人であるので、少なくてもそれまでは、個人の心身の健康や基礎教育、友人や家族と持てる自由な時間など、基本的な労働時間や教育、余暇を持てる制度造りや組織が必要ではないだろうか。タレント事務所の経営、管理方法にも改善が必要であろう。同時に、この世界を目指すのは自由であるが、親も当人もこの世界は一見華やかではあるが、タレントは商品であり、過酷な現実があることを十分認識することが望まれる。また、そもそもタレントとして成功出来ない上、悲劇を経験している者が多いことも認識すべきであろう。(09.08.) 
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