笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

千葉寺地区の遺跡展に行きました。

2018-08-02 22:22:31 | 日記

千葉寺は、千葉市の南部にある、坂東33観音霊場第29番札所で、709年(和銅2年)開山の古刹です。
境内の大銀杏と年末の行事ー千葉笑いが有名です。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E5%AF%BA

今日は朝から、家内が、お茶仲間数人と我が家で、「花月」の稽古をするというので、邪魔しないように外出しました。

かねて、新聞で、「千葉寺地区の遺跡展」を、房総の村の資料館で開催すると見ていたので、行きました。

房総の村は、成田市の北方、栄町にある大小100を超える龍角寺古墳群の中にあり、房総各地の出土品の展示、商家の町並み、武家屋敷、房総の農家などがあって、様々な体験が出来る場所です。
今回、初めて行きました。

村の入口の駐車場に車を停めて、てくてく15分位歩き、資料館に着きましたが、なんと目の前に駐車場があり、車でも来られると言うことでした。(入口付近の案内は、初めての人にとっては分かりにくい)

汗だくで資料館に入り、二階の特別展を見に上がりました。


千葉寺地区遺跡は、今は、京成千原線の千葉寺駅の北東部の住宅地になっている5つの遺跡(地蔵山、鷲谷津、観音塚、中野台、荒久)で、旧石器時代から平安時代まで継続的に大規模集落があったと言うことでした。

*石器に用いられた石は、関東一円の石の他、神津島や信州の黒曜石、東北の頁岩と言うことで、その交流の広さに驚かされます。

*縄文時代には、定住はしていなかったようですが、弥生時代には堅穴式住居への定住が始まったようです。

*古墳時代には、家の中にカマドが作られました。

*飛鳥時代になると、住居が増え、鉄製馬具(轡)や畿内・東海産の須恵器や土師器が出土します。
それは、この時代に設けられた古東海道が、この近くを経由していたためとありました。(私は、古東海道の千葉県内の経路や駅の所在地に、大変興味があり、目下、勉強中です)

*奈良時代になると、更に住居が増え、和同開珎2枚・帯金具・墨書き土器が出土しています。

*平安時代になると、住居が減りますが、その原因を、古東海道の経路変更にあるのではないかとしています。(いつの時代も、交通機関の経路が変わると町が衰退します)
しかしながら、出土品では、愛知県産の緑ゆう陶器や金銅製鈴がありました。

*中世・近世には、住居は少ないものの、大規模な屋敷が見られ、茶臼が出土しています。


資料館を出て、古墳群を縫って、房総で最も古い龍角寺に向かいました。
白鳳時代から使われていたと考えられている約1.3キロの直線の道を進みました。
林の中の大小の古墳を見て、昔、韓国でソウルから慶州までの電車の窓から見た雑木林の中のお墓の群を思い出しました。(町中に墓地は無く、本貫の地の雑木林の中に墓を作るのだと聞かされました)

途中にある、古墳群で最も大規模な浅間山古墳(前方後円墳ー写真)に使われている石は、古代の香取の海を経由して、筑波山から運ばれているそうです。

暑い中、トコトコと歩いて、龍角寺に着きました。
白鳳時代に作られた、房総で最も古い寺ですが、度重なる火災で昔の建物は無く、礎石を残すだけでした。

帰り道で、整然と並ぶ門前の家並みに咲く百日紅を眺めてと、偶然、あるお宅から出て来た和尚さんに会い、お互い黙礼してすれ違いました。

元来た道を再び戻り、商家の町並みで、ざるそば、江戸稲荷寿司、心太を食べて、家路につきました。

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私は、若手落語家・柳家吉緑さん(千葉県東金市出身)を応援しています。
http://ameblo.jp/y-kichiroku/

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