子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会

大阪で教科書問題にとり組む市民運動の交流ブログ

えらい歴史認識ズレてまっせ、育鵬社はん!ー縄文~古墳時代の大阪を「ヘンな教科書/育鵬社」が描くー

2020-06-07 19:28:30 | 2020年度中学校教科書採択(大阪)
えらい歴史認識ズレてまっせ、育鵬社はん!ー縄文~古墳時代の大阪を「ヘンな教科書/育鵬社」が描くー

子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会 共同代表 上杉 聰 (2020/6/7)

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「やらせアンケートしてましてん!」


 5年前(2015 年)に、中学校教科書の採択が行われた時、ある教科書出版社―育鵬社―が、 大阪府内(岸和田市)に本社のあるフジ住宅(株)を動かし、同社の社員を勤務中に大量動員し ました。たとえば大阪市内に 30 箇所以上ある教科書展示会へ「さみだれ式」に出向かせ、大 阪市教育委員会へのアンケートに、「育鵬社の教科書が一番良い」などと、同社社員1人あた り最大 25 回も書かせました。そうして、育鵬社支持の合計を 700 枚以上にする(市民全体の アンケート数は 1,153 枚)、巨大な不正行為を起こしました。その結果、大阪市をはじめ泉佐 野市・四條畷市・河内長野市などにおいて、育鵬社の歴史・公民教科書が合計約4万冊も採択 されたことは、まだ多くの方々の記憶に残っているかもしれません(以上の事実確認は、どうか 2016/2/24 前後の新聞各紙をご覧下さい。あるいは拙著『日本会議とは何か』合同出版で)。
 子どもたちの教育と深く関わる教科書をめぐり、その出版会社とこれを支持する一部の企業 や宗教団体(「日本会議」などと名乗っています)が、こうした不正行為を、大阪府下の各地 で白昼堂々とおこなったことは、にわかに信じがたいことです。しかし、子どもたちの教育の場へ、こんな黒い魔の手が延びようとしている事実に、私たちは早く気づき、真剣になって警 戒をしなければならないことを5年前の事件は教えてくれています。
 今年 2020年も、やがて8月には、この3月に検定合格した各教科書を、各自治体の教育委 員会が採択します。その対象の中には、育鵬社も、なぜか検定済みとして並んでいます。育鵬 社の教科書は、中を読んでみれば、多くの間違いを抱えた「欠陥教科書」であることはわかり ます。その兄弟版の教科書である自由社の歴史教科書も、今年、検定不合格となりました。しかし、この育鵬社は、政治家と巧妙に深く結びつくなどして、今回も検定をすり抜け、まだ生き残っているのです。

「今年も狙いまっせ、大阪!」


 その育鵬社が今年も狙うターゲットの一つが大阪ということは、5年前と同じです。そのと き獲得したシェア(全国児童生徒の約6%)のうち 28.6 %は、他ならぬこの大阪府内から取ったからです。これを失うことはできません。しかも、この5年間に高まってきた「不正な採 択を許した」ことへの反省(たとえば大阪市は、前回1つの採択区だったため、すべてを彼らが押さえました。しかし、危険を分散化させるため、同市はすでに採択区を4つに分割しまし た)により、強い逆風を受けています。
 そこで育鵬社は今年、自身の歴史教科書の冒頭において合計6頁も使い、大阪対策のキャン ペーンで埋めています(その一部を次ページに引用しました)。その内容とは、子どもたちの 「大阪の歴史ワクワク調査隊」が4班に分かれ、それぞれのテーマをもって、調べてまわる物語です。「大阪の皆さん、育鵬社は、大阪をこんなに大切に、大きく扱っています。だから、 採択してくださいよっ!」と、教育委員会や教科書の選定にあたる先生方へ呼びかけているのです。
その中でもポイントとなるのが、昨年、世界遺産として登録された大阪府堺市の「大仙古墳 (仁徳天皇陵)」は〝世界一大きい〟という誇大宣伝、もう一つが「世界最古の縄文文明」と いうシロモノです。〝世界最古の縄文文明の上に、世界最大の墓が、この大阪にはある〟というのです。しかし、ソレ本当でしょうか?子どもたちに、私たち大人は、ナンと答えたら良いのでしょうか?

「育鵬社」教科書p13・14




「とことん、張り合いまっせ!」


 簡単な所から解決していきましょう。まず「大仙古墳は世界一大きいか?」です。 育鵬社の歴史教科書は、次のように書きます。「海外から船に乗り来た人は、上町台地に沿って北上して難波宮に着いた(今の大阪府庁の南ー上杉)と推測される。船上からは、まず仁徳天皇陵(大仙古墳)を目にして、その大きさにびっくり。次に、四天王寺の五重塔をみて、 またびっくり! したのではないか」(p.14)と。
 ちょっと待って! 朝鮮半島から来る船は、瀬戸内という静かな内海へ西から入ると、東へ とまっすぐ走り、やがて淡路島の北端、つまり明石海峡をすり抜け、目の前にかすかに見える 難波宮へ向かったと考えられます。これが安全かつ最短の航路です。その動線からみると、大 仙古墳は直線で 15 ㎞ほど南へ逸れます。往復すると、30 ㎞ほどよけいに走ることになるのです。帆船の速度は、せいぜい 20 ㎞/時くらいですから、往き帰りに1時間半ほどかかる計算で す。
 大仙古墳を眺めて反転し、もう一度北上するとき、また今度は四天王に寺の五重塔を海から 眺めながら難波宮へ入るというのは、観光旅行としてはとても面白い企画ですが、それらは海から、実際はどのように見えたのでしょうか?
 もし、船上の人々が「びっくり!した」というのであれば、せめて奈良時代から江戸時代に かけて、誰かの紀行文にその光景は描かれたことでしょう。地元の教育委員会にもこれを尋ね たところ、いろいろ探したようです。しかし、まだ1つも発見されていません。いえ、どうも 存在しないようです。それもそのはず、海からの眺めは、たいしたことないからです。 まず大仙古墳は、今の海岸線か ら、ビルが邪魔して全く見えません。古墳のいちばん高いところ(後 円部)でも、35.8 メートルしかないからです。ただし、そのすぐ南側に履中古墳があり、全国の前方後円墳で第3位の大きさです。大仙古墳と比べると、全長と高さは それぞれの76%ほどです。そし てこちらは、今も当時の海岸線(石 津川の河口付近)から眺めることができます。



 それが写真1です。鉄橋の向こうにかすかに見えています。大仙古墳なら、左右はこの 1.3 倍ほど長くなります。履中古墳の高さ(27.6 メートル)は、造られた当初は、土の上に石を敷 いただけでしたから、今よりかなり低くなります。ただ逆に、今生えている樹木の高さは 10メートルほどありますから、それを加えると、大仙古墳の元の高さと同じ程度になります。大 仙古墳は、履中古墳と標高差がほとんどありませんので、当時、大仙古墳を海から見ると、高さは樹木を含んだ写真1程度、その左右の長さがその約 1.3 倍程度あったと考えることができます。しかし見栄えは、あまりパッとしませんね。
 いっぽう、四天王寺の五重塔の高さは、尖塔を含めて 39 メートルありました。こちらは大仙古墳より少し高いので す。でもその姿(写真2)を見ても、たいして高く感じません。しかも、当時の海岸線は、ここから 1.5 ㎞ほど西へ離れています。遠くからお箸の高さくらいには見えたでしょうが、わざわざ他国からやってきた船を遠回りさせ、海上から眺める価値ある観光スポットとは、とても思えません。育鵬社の教科書は、観光パンフとしては失敗作です。



 たしかに、高さ 35.8 メートルの大仙古墳は、周囲を歩いて近くから見上げると、今見てもかなり高く、迫力あります。しかし、それを超える墓は、当時世界中にいくらでもありました。たとえば、エジプトのクフ王のピラミッドは 146.6 メートルと高さ4倍、秦の始皇帝陵の墳墓も 76 メートル、大仙古墳の倍以上でした。大仙古墳程度なら、世界に掃いて捨てるほどあったのです。ついでに言いますが、 現在の通天閣が 108 メートル、あべのハルカスは 300 メートです。大阪にそんな見物スポットが、昔からあったというのは、妄想です。
 そもそも古墳とは、石造建築のピラミッドなどと全く違い、古来から私たちの先祖が野山に 死者を埋めた「土まんじゅう」を巨大化した「小山」にすぎません。構造そのものが柔らかい ど 土から出来ていますので、そんなに高く造れないのです。外国からやってきた人々を驚かそう と思っても、そんな石造建築技術は、残念ながら当時ありませんでした。しかし、エジプトは、 大仙古墳が造られる 3000 年も前に、クフ王のピラミッドを1個 2.5 ~ 7 トンの石 230 万個を重 ねて造りました。全体が、巨大で正確な二等辺三角形、4辺の方位も、正確に東西南北を示し ています。今でもこれは困難な工法と言われます(大林組ビラミッド建設プロジェクトチーム)。 当時の圧倒的な建設技術の差は、その構造と高さによく表れているのです。

「始皇帝陵は無視させてもらいまっ!」

 ただ、ピラミッドの底辺は、1辺が230.4メートルしかありません。底の面積=広さ53,084 ✕㎡ です。これと比べると大仙古墳は、タテ横が486 307メートルもあります。面積149,202㎡ です。始皇帝の墳墓も、1辺約350メートルですから、底辺の広さ122,500㎡。大仙古墳の方 が、少し始皇帝墓より大きそうです。
 しかし、古墳しか見てこなかった私たち日本人からすると、その墓の範囲といえば、せいぜ い墳丘か、せめてその周りを囲む掘割までです。しかし始皇帝陵の場合、その墓を、2重の陵 園壁が囲んでいます(これだけで大仙古墳の約2倍。次頁の図参照)。さらにその内と外には、馬坑、倍葬坑、兵馬俑などがいくつも散在しています。その範囲は、全体で55平方キロメートルに及びます。この広さは、なんと東京山手線内の面積の約90%、大阪環状線内の面積なら、その183%にあたります。大仙古墳を含んで10の古墳がある大阪府堺市の「百舌鳥古墳群」と、応神古墳を含む17ほどの古墳がある「古市古墳群」(大阪府羽曳野市・藤井寺市)を合わせた広さになります。1人の皇帝の陵墓が、27人分ほどの日本列島の古墳と、ほぼ同じ広さということから、始皇帝陵の「桁違い」が明らかなのです。



 もうひとつ、大阪の子どもた ちを「井の中の蛙」にしないた め、大切なことを書いておきましょう。それは、墓の高さや広 さが、そこに埋葬された人の本 当の偉さを表すとはかぎらない、えらということです。始皇帝陵は、 実は「深い」のです。
 中国の古くからの考え方では、死者の体は、地底深くへ還ると考えられていました。そのため、殷や周の時代の墓は、地中深くに造られました。これが変わるのが、中国の戦国時代(BC403∼同221)ころからとされています。ただ、秦の始皇帝時代(B C247∼221)には、まだ古い形が残っていたらしく、彼の墓は、地下30メートルまで掘られていることが発掘によって明らかになりました。おまけに、水銀反応がその土から出てきたのです。司馬遷の『史記』には、始皇帝の墓室は「水銀を流して川や海とした」と書かれていることそのままかもしれない、と今考えられています。これが、今後の学術調査で厳密に確認されたなら、深さでも始皇帝陵は「世界一」ということなります。「高さや広さだけ見ていたら、墓比べの世界では勝てまへん!」というわけです。
 しかし、そもそも墓比べをしてどうなるというのでしょう?始皇帝陵には、いくつもの刑徒 墓があります。囚人を多数使って建設した可能性があるのです。さらに古い中国の墓には、戦 争捕虜などが「生け贄」とされ、すべて首を斬られた状態で、時には一つの墓に1,000人以上 が埋葬されています。あるいは、1人の男王の側室とみられる若い女性(13∼26歳)たち17人 が、道連れに埋められた墓も発見されています(以上については、多くを都出比呂志『王陵の 考古学』岩波新書、東京国立博物館等『特別展/始皇帝と大兵馬俑』などから得ました)。
 日本の古墳についても、そうした記録があります。日本最古の大型前方後円墳の箸墓古墳(奈良県)は、造られた時期と大きさが『魏志倭人伝』の記述とほぼ一致するため、卑弥呼の墓とも推測されています。同書は「卑弥呼が死んだ。大きな塚をつくった。直径百余歩、殉死するもの百余人」としています。また大化の改新の翌年、孝徳天皇が「わが人民が貧しいのは、 ぬ ひ むやみみに立派な墓を造るためである」「およそ人が死んだときに殉死したり、あるいは殉死 を強制し、死者の馬を殉死させ…る旧俗は、ことごとく皆やめよ」と命じています(『日本書 紀』)。その頃から、古墳の造営は全国でピタリと止まります。
 こうした事実を踏まえるとき、墓の大きさでその社会や指導者の偉大さを比較するほど愚か なことはありません。民衆が流した汗と涙が「墓」に含まれていることを想い、人と社会が真 に偉大であるとはいったいどのようなことなのか、を考える素材とすべきでしょう。それこそ、古墳を歴史の中でとらえる意味ではないでしょうか。大仙古墳は、そうした意味からして、や はり世界遺産なのです。

「中国、朝鮮、日本、いっしょくたで『日本』、はどないだっ?」


 もしこの教科書を読み、そのまま信じたら、「アホな大阪人」と呼ばれそうな子どもたちが、 大阪に何万人も生まれそうで心配です。この「大仙古墳は世界一」のアイデアは、育鵬社歴史 教科書の前身が生まれる20年前からのものでした。その妄想を支えたひとつが「縄文時代は 世界一古い文明」という、アイデアでした。「縄文時代前期中頃…に栗の栽培など…シュメー ルなどの都市文明と同時期に、予想以上に高度の文明がわが列島内に構築されていた」(新し い歴史教科書をつくる会編『国民の歴史』扶桑社、1999年10月)。〝栗を栽培していたら、も う立派な文明!〟とまでの主張は、さすがに検定で削られましたが、〝世界最古の縄文土器〟 として、またその縄文時代の長さの誇り方については、今の育鵬社教科書に生きています。

縄文時代のはじまり
今から約1万6000年前、人々は、食物を煮炊きしたり保存したりするための土器をつくり 始めました。これらの土器は、その表面に縄目の模様(文様)がつけられることが多かった ため、のちに縄文土器とよばれることになります。縄文土器は、北海道から沖縄まで日本 列島全体から出土しています。これは世界で最古の土器の一つで、縄文土器と磨製石器が 使用されていた約 1 万 6000 年前から紀元前4世紀ごろまでを縄文時代とよび、このころ の文化を縄文文化といいます。 (育鵬社歴史教科書 p.26、ゴチック体は上杉による)

日本列島の豊かな自然と暮らし

青森県の三内丸山遺跡からは、約5000年前の巨大な(縄文-上杉)集落跡が発見され、大型の竪穴住居跡や掘立柱建物跡、さらには遠くはなれた地域との交易で手に入れたヒスイ や黒曜石などが見つかりました…人々が豊かな自然と調和して暮らし、1万年以上続いた 縄文時代は、その後の日本文化の基盤をつくりました。そして、縄文時代の人々と、その後、大陸からやってきた人々が交じり合い、しだいに共通の言葉や文化をもつ日本人が形づくられていきました。 (同前 p.27、ゴチック体は筆者による)

〝一万年以上つづいた縄文時代〟の証拠として挙げられるのが、〝 16,000 前に作られた縄文土器が(日本に)ある。1 万年以上も続いたその偉大な縄文時代の頂点に、巨大な三 内丸山遺跡もあった〟という考えです。それが、やがてあの〝世界一大きな大仙古墳〟の造営へとつながったというのです。
 しかし、日本の歴史の「しょっぱな」の縄文時代から、 大きな錯覚にとらわれているようです。その幻をぬぐい去 ってもらうためには、まず「日本列島」がいつ頃生まれた かを考えると良いと思います。日本列島は、わずか 11,000 年前に生まれたものです。「おや?」と思わないでくださ いよ。それまでこの地は、ユーラシア大陸の一部でした。 巨大な湖を囲む形で、今の北海道と九州は大陸ときっちりつながり、人も動物も歩いて行き来していたのです。念のため、約3万年前の地図を上にのせておきます。



 ですから、上の育鵬社教科書が書いている「約 1 万 6000 年前の土器」というのは(わずか 1つですが)、この地図の範囲に住んでいた人々が、今の日本や朝鮮、中国の関係なく、ゆる く共有してきた土器だったと考えられるのです。その証拠に、今の中国江西省の洞窟からは、 約 20,000 年前に作られた土器が出ていますし、シベリアでも 16,500 年前の土器が確認されて います。おそらく人類は、ユーラシア大陸の中心部から東端へ移動しつつ、やがて気候と食べ 物が変わる頃、各地で土器を作るようになったと考えられます。これを、あえて名づければ、〝東ユーラシア文化圏〟と呼んで良いかもしれません。
 その一部(巨大湖の東南部)が、大陸から離れて列島になるのは、今から約 11,000 年前ころです。無理矢理、大陸から切り離されて列島となった地域は、大陸における文化の発展から 取り残されました。しかし、逆に列島内で、ゆるやかな纏まりをもつことができるようになり、やがて独自の道を歩み始めます。それを日本の史家が「縄文文化」としたのです。したがって、 1998 年に青森県から出土した 16,500 年前の土器に「縄の文様」はありません。上の呼び方でいけば、まだ「東ユーラシア文化圏」の土器であり、縄文時代の土器ではないのです。

「ナルホド、たんに長けりゃええんと、ちゃいまんねんな!」


 といっても、それから 9,000 年ちかく、列島内へは大規模な外敵の侵入もなく、おだやかに 繋がる内発的な発展が中心となりました。時折、大陸から小さな船に乗って移住する人々がい れば、その人たちを列島で受け止めながら、大陸の文明を吸収し、長期的停滞社会を維持して きたのです。言い換えるなら、この列島地域は、「ガラパゴス化」を遂げたのでした。ダーウィンは、太平洋の東端の赤道直下にあるガラパゴス諸島に、独自に進化を遂げた動物が多数い ることを発見し、進化論のヒントを得たと言われます。日本列島も、大陸から切り離される「不幸」に見舞われながらも、それをゆるやかで独自の内的なエネルギーへと換えて歩んできたと いえます。
 三内丸山遺跡が発見されたとき、〝巨大な縄文王国〟と騒がれました。1992 年から本格的 な調査が行われ、580 棟もの竪穴住居、2階建で 300 人が入れる大堂があり、この遺跡は 1,500 年も続いていたことなど分かると、縄文ブームの火がつきました。しかし、よく調べてみると、 580 棟というのは、1,500 年にわたり約 20 年ごとに建て替えられた住居の土台跡の全体数のこ とでした。平均すると、各時期に8棟程度が並んでいたにすぎず、一家5人と計算して約 40 人が暮らす集落でした。大堂に入る人数も、立ってなら 300 人ですが、座れば 120 人ほどでし た。作業場としてなら、さらにその何分の一かになります。周辺の他集落からも集まる集会場 か、ムラ全体の作業場であったと今は考えられています。40 人の住む場所なら、これはクニなどでなく、ムラです。
 こうした小規模で長期の停滞状態こそ、縄文時代の本質と見るべきでしょう。というのも、 この時代、人々が自然へ働きかける力はまだ弱く、食料の確保など、多くをまだ自然環境に依存していたからです。
 もともと縄文時代の始まりは、地球が約 10 万年の周期で繰り返す最後の氷期の終わる約1万年前後に生じた温暖化で、植物の種類が変化し(落葉広葉樹林が拡大)、それを基礎としてユーラシア大陸の東部のシベリア・中国長江周辺・ザバイカル地方などで「土器使用と定住の開始」と特徴付けられる初期文化圏(前農耕時代)が広がりました。これこそ、縄文時代の前提となったのでした。そして、地表の氷が大量に溶けた結果、海面は 50~100 メートルも上昇し、ユーラシア大陸から切り離された列島の中で、地理的な隔離により縄文文化がゆっくり形 成させられたのでした。列島内では、大まかに 6~8 地域へ分住し、それぞれが一定の独自性をもちつつ、少しずつ発展していきました。その人口の変化を、育鵬社歴史教科書は、下のようにまとめています。これは、たんに現在の人口学の成果をグラフ化したものなので、「ヘン」 な図ではありません。ただ、その前と後が大きく削られているので、私の方で補いましょう。



 まず、左端に「縄文早期 2(万人)」とあります。そこから左に位置するけれども描かれ ていない約 4,000 年間は、ほぼ同程度の人口か、それ以下だったと考えられます。そして「縄 文中期 26(万人)」が最盛期です。今の列島内の人口を1億人とすると 400 分の1にすぎま せん。さらに「縄文晩期 8(万人)」へかけて、人口が 激減する不安定さをもって いました。これが縄文時代 の限界でした。
 しかし、弥生時代になると、すぐさま縄文時代のピーク時の2倍となり、古墳 時代の初まりまでには、さらに 10 倍の人口へと達しま す。水田稲作よる変化でした。これらを見るとき、大陸からの水田稲作の移入がいかに巨大な変化をこの列島社会へ与えたか、よくわかります。また、縄文時代の貧しさと停滞性を、逆に、浮き上がらせます。
  縄文時代の人々の身長は、男 158 ㎝、女 148 ㎝、平均して弥生時代より4㎝ほど低いのが特 徴です。平均寿命も 30 歳と低く、乳児死亡率の高さが平均を引き下げていたようです。ただし、当時、集団死はなく、チフスやペスト、最近のコロナウィルスのような伝染病はなかったと考えられます(なにしろソーシャル・デイスタンスが保たれていましたからね)。

「この列島は、平和で平等な時代の方が長かったんでんなーっ!」


 この 9,000 年にわたる長期停滞社会だった縄文時代を、世界最古の文明へと仕立てるという のは、やはり無理なことでした。ただ、この時代の人骨を見るとき、個人的な病死や暴力死は あるが、戦争による集団死もないようです。そうした遺骨が出土するのは弥生時代になります。 弥生以降に生まれた豊かさの中で、富は一部の人間に集積され、集団の利害を、戦争で「解決」 する方向へと「文明」を持って行きました。これは、ほぼ全世界的な傾向でもあります。
 「文明」とは、都市・文字・階級・冶金(高温で金属をつくる技術)などの指標で括られる社会です。しかし、この縄文時代、人々は殺人のための武器を作らず、財産の相続もなく、無 差別・無階級の時代を生きました。感染症も、人が集中する都市化の結果です。それもこの時 期には見えません。もちろん天皇もいない時期でした。この永い平和で平等な縄文時代の歴史を考えるとき、むしろ弥生時代以降の階級と差別、戦争を克服することこそ、文明を生きる私たちの課題でありつづけていることを、ここに改めて自覚させられるのではないでしょうか。 了

2021年度使用中学校教科書採択についての要望書

2020-06-07 18:11:24 | 2020年度中学校教科書採択(大阪)
6月7日、大阪の会では、大阪府内の市町村教委に対して、以下の要望書を送付しました。
各地でも自由に修正して活用していただけるようにWord版をダウンロードできるようにしました。
ご活用ください。
https://www.data-box.jp/pdir/80ce9cfc62264b3fa9edcbda0f347f6d


2021年度使用中学校教科書採択についての要望書

新型コロナによる厳しい状況下、貴教育委員会の教育へのご尽力に敬意を表します。
さて、お忙しい中にあっても、来年度から使用される中学校教科書の採択業務がおこなわれていることと存じます。子どもたちが平和で民主的な社会の形成者として健やかに育つことに役立つ教科書が、公正で公平な手続きを経て採択されるよう、私たちは強く願っております。
しかるに教科書の中には、「愛国心」や「自己犠牲」、「国民の義務」や「国防の重要性」などを過度に強調し、「人権」や「平和」といった民主的な社会の重要な価値観を軽視した教科書が社会科歴史・公民、および道徳にあります。私たちはそのような教科書が採択されないよう、以下、その理由も含めて要望書を提出いたします。教育委員、選定委員のすべての方にお読みいただき、正しい教科書採択をおこなっていただきますよう、切にお願い申し上げます。

1 「育鵬社歴史」教科書は採択しないでください。


<理由 その1 歴史教科書を選ぶ視点から>

(1)歴史学習の目的は、過去を振り返り、教訓をこれからの社会に活かしていくことにあります。そのためには過去の歴史を美化するのではなく、つらい過去でも向き合い、なぜそんなことになってしまったのかを考える歴史教科書が必要です。特に日本は明治維新以降、侵略戦争と植民地支配によって、多くのアジアの人々を犠牲にしただけでなく、結局は第二次世界大戦に敗れ、日本国民も300万人以上が命を失いました。その結果、二度と戦争をしてはならないという痛切な思いから戦後の平和憲法が作られ、民主教育の重要な要として社会科は位置づけられました。
一面的な「日本人の誇り」を刷り込み、排外的な「愛国心」をふくらませるための歴史教科書ではなく、良かったことも悪かったことも冷静に伝える教科書で、子どもたちには歴史を学んでほしいと考えます。

(2)また歴史は、しばしば支配者・英雄の活躍物語として語られますが、いつの時代も多くの民衆が社会を支え、少しでも暮らしを良くしようと努力し、時には支配者に抵抗し、社会を変えようとしてきました。歴史を多面的に学習するために、そうした民衆のくらしや活動を、生き生きと伝える教科書で、子どもたちには学んでほしいと考えます。

(3)ところが実際の歴史教科書は、学習指導要領に縛られているため、これらの視点がどんどん軽んじられてきました。時の政権の歴史観を刷り込む道具のような教科書すら出てきています。しかし他方で、本当に大切なことを子どもたちに伝えようと努力している教科書もあります。そのような教科書をぜひとも採択していただきたいと考えます。

<理由 その2 「育鵬社歴史」教科書の問題のある記述例>

(1)「育鵬社歴史」教科書は、日本をすばらしい文化を持った国だと過度に礼賛する「日本すご
い史観」「日本中心主義史観」から書かれています。
例えば、大阪府の堺市にある大仙古墳を、エジプトのクフ王のピラミッドや秦の始皇帝陵と比べ、日本も「高度な土木技術をもっていた」と大仙古墳のすごさ(面積)を強調しています(p.39)。
しかし、クフ王のピラミッドは大仙古墳より約3000年も前に作られ、始皇帝陵は約600年前に作られた、両方とも高度な石組みの建造物です。それに対して大仙古墳は、はるか後の5世紀に作られましたが、土を盛り上げる技術しかなかったので底面積を大きくした建造物です。
時代も技術レベルも違うものを比べて、面積の大きさだけで評価するのは歴史学の非常識です。根拠のない「日本すごい」教育は、子どもたちに客観性のない自己中心的な優越感を植えつけるだけです。将来、子どもたちが外国に行って「日本の大仙古墳はエジプトのピラミッドや始皇帝陵より大きい」と自慢したら、物笑いの種にされ、日本という国はどんな歴史教育をしているのかと疑われるのではないでしょうか。

(2)「育鵬社歴史」教科書は、日本の侵略戦争・植民地支配を正当化し、加害の記述がほとんど
ありません。
例えば「韓国併合」では、「韓国服の伊藤博文」の写真を載せて(p.200)、日本が朝鮮文化を尊重していたかのようにイメージさせています。他社は、韓国皇太子に和服を着せた写真を載せています。伊藤博文は韓国皇太子を留学と称して日本に連れて来て、日本式の教育をしましたが、実質は人質でした。どちらの写真が日本の植民地支配の実態を表しているでしょうか。
また「韓国併合後の朝鮮の変化」を示す表を掲載し(p.201)、米の生産量が増え、学校も増え生活が良くなったようにイメージさせます。しかし増えた米は日本に持って行かれ、朝鮮の歴史や朝鮮語の授業が禁止されていったことなど、マイナスの面には一切触れていません。

(3)「育鵬社歴史」教科書は、「なでしこ日本史」(p.68、p.102、p.154、p.214、p.256)として、
歴史上有名な女性の特集ページを設けていますが、女性をあくまでも「男性を支える存在」とし
てしか記述していません。「なでしこ日本史」は、女性の活躍を取り上げているように見せて、そ
の実、性別役割分業を前提にしており、女性差別の教材です。

2「育鵬社公民」教科書、「自由社公民」教科書は採択しないでください。


<理由 その1 公民教科書を選ぶ視点から>

(1)公民学習の目的は、「主権者」としてふさわしい資質を身につけることにあります。日本国憲法の三原則は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」なので、公民教科書もこれらをきちんと学べるものでなければなりません。しかるに近年、戦前の「大日本帝国憲法」を理想とし、憲法三原則を事実上否定するような公民教科書が作られ、その他の教科書も影響を受けるようになっています。
日本国憲法は「平和憲法」とも呼ばれ、明治維新以降、アジアの大国を目指して侵略戦争を続けた結果、破滅的な犠牲をもたらしたことへの痛切な反省から生まれたものです。この憲法をないがしろにし、「国防」「義務」を子どもたちに押しつける教科書ではなく、人類普遍の民主主義の原則である「人権・平和・共生」の大切さを伝える公民教科書を選んでください。

(2)公民学習の中でもっとも大切なのは、「人権」についての学習です。「お国があってこその国民だ」と、国民一人一人よりも国家の方を優先する考えに基づいて、「個人の尊厳」「個人の権利」は「わがまま」「利己主義」の源泉であるかのようにいう主張もありますが、一人一人が大切にされなければ、「自由」や「平等」は一部の権力を持った人たちだけのものになり、弱い立場の人は「自由」も「平等」も享受できません。すべての人が大切にされる社会のあり方を考える公民教科書を選んでください。

(3)公民教科書は政治分野の記述に目が行きがちですが、経済分野の記述も重要です。近年、
経済の「新自由主義」が盛んになるにつれ、若者の「起業」が奨励され、「もしあなたが経営者になるとしたら」などのテーマで、経済の学習を進める公民教科書が出てきています。
しかし子どもたちのほとんどは経営者にはなれず、どこかで雇用される労働者になります。したがって「労働者の権利」「労働法」「社会保障」について学ぶことが非常に重要であるにもかかわらず、以前ほど教科書に記述されていないため、卒業後、無防備なままアルバイトをしたり就職して、不利益を受けても身を守れない状況が生まれています。経済分野がどのような視点で記述されているかにも注目して、公民教科書を選んでください。

<理由 その2 「育鵬社公民」教科書の問題のある記述例>

(1)「育鵬社公民」教科書は、安倍首相、天皇、自衛隊の写真が突出して多く、安倍政権の広報誌のような教科書です。安倍政権は戦前の大日本帝国を理想とし、「改憲」を最大の目標とする政権ですが、そのため子どもたちを「改憲」へと導く流れですべての記述がされています。
①「育鵬社公民」教科書は、「立憲主義」の説明がまちがっています。「憲法にのっとって国を運営していくことが立憲主義」と説明していますが(p.39)、これは法治主義の説明です。他社は「憲法によって国家権力を制限するのが立憲主義」(教育出版p.42)と記述し、民主主義を実現するためには、権力の独裁化を憲法で制限する必要があるという近代国家の原理をちゃんと説明しています。

②「育鵬社公民」教科書は、日本国憲法より戦前の大日本帝国憲法を重視し、日本国憲法はGHQが「1週間で憲法草案を作成した」押しつけ憲法だと非難しています(p.41)。確かに日本国憲法は連合国による占領下で、GHQ主導で作られたことは事実ですが、もともと日本政府が作った草案が大日本帝国憲法とほとんど違わなかったことから、GHQが急いで作成したという経過があります。その後、戦後選出された国会議員や多くの憲法学者がかかわり修正され今の憲法になりました。そして二度と戦争をしたくないと願う日本国民はこの憲法を「平和憲法」としてずっと大事にしてきたのです。

③「育鵬社公民」教科書は、「各国の憲法改正回数」の表を載せ、「無改正」の日本は異質であるかのようなイメージを与えています(p.52~53)。しかし、回数の多いドイツと日本の憲法体系の違いを無視して回数を比べても意味がありません。ドイツは法律で扱うような具体的なことも憲法に記載するので、改正回数が多くなっているのです。比べられないものを比べて、都合のよい結論を導くのは、「育鵬社歴史」教科書と同じ手法です。

④「育鵬社公民」教科書は、第9条(戦争放棄)、第96条(改正の手続き)など、安倍政権が変えようとしている項目について、子どもたちに賛否の討論をさせます(p.72~73)。安倍政権の9条改憲案(第三項を追加)も論点とされており、あきらかに子どもを「改憲」に誘導しています。
アフガニスタンで医療と農業復興のために尽くした医師の故中村哲さんは、「平和憲法」のおかげで日本はテロの標的とならずにすんでいると語り、憲法9条を変えて日本が再び戦争をする国になることを厳しく批判しました。故中村哲さんの言葉を私たちはもう一度かみしめなければならないのではないでしょうか。

(2)「育鵬社公民」教科書は、基本的人権を軽視した教科書です。基本的人権の大切さより、「基本的人権の制限」や「国民の義務」を強調しています(p.46~47)。
 また排外主義ではないかと厳しく批判された曽野綾子氏の言葉「人は一つの国家にきっちりと帰属しないと『人間』にもならない」を相変わらず掲載しています(p.11)。これでは国籍のない在日朝鮮人や難民は「人間」ではないことになってしまいます。現代社会は交通・通信・貿易の発達によって国境を越えて人々が移動し、どの国も国籍にこだわらず多民族共生、多文化共生が求められています。「育鵬社公民」教科書は子どもたちに狭い「愛国」を強制し、広い視野で生きる力を奪う教科書です。

(3)「育鵬社公民」教科書は、2011年の東日本大震災に伴う福島原発の爆発事故の反省が不十分で、「核融合発電」をクリーンエネルギーと紹介しています(p.177)。大事故を起こした福島原発は核分裂を利用した原子力発電でしたが、「核融合発電」も原発であることに変わりはありません。技術的にも難しく危険性はむしろ大きく、放射性廃棄物も大量に出るといわれています。東南海地震が遠からず来るといわれているこの日本で、これ以上原発を増やしてどうするのでしょうか。

(4)「育鵬社公民」教科書は、2025年の「大阪万博」を大きく取り上げています(p.198~199)。安倍政権の推進する「Society5.0」を全面賛美して、「だれもが快適で活力に満ちた質の高い生活を送れるようになります」とバラ色の未来を描きます。しかしSociety5.0」の要となる「5G」(第5世代移動通信システム)ひとつをとっても、大容量の電磁波が人体に与える影響が心配されています。問題点を一切示さず、政権の宣伝パンフレットのような教科書は許されません。

<理由 その3 「自由社公民」教科書の問題のある記述例>

「自由社公民」教科書は、「育鵬社公民」教科書をもっと極端にしたような内容で、戦前のような天皇の臣民づくりのための教科書です。

(1)「自由社公民」教科書は、「天皇のお仕事」を特集し、天皇の日常を詳しく説明しています(p.68~69)。「宮中祭祀」が列挙され、「古代から伝わる天皇の大切な仕事は、神々に祈りを捧げることである」と、宗教的な存在であることを強調しています。これは日本国憲法の「天皇」についての定義を逸脱し、戦前のように天皇を神格化するものです。

(2)「自由社公民」教科書は、「国民」より「国家」や「政治権力」を重視し(p.44~45)、「国防」の重要性を強調し、自衛隊の最新兵器を掲載しています(p.82)。また「海をめぐる国益の衝突」(p.174~175)では、周辺諸国との対立を強調し、ここでも国防の重要性を強調しています。子どもたちに「愛国兵士」になれと煽る危険な教科書です。

3 「日本教科書」と「教育出版」の道徳教科書は採択しないでください。


<理由 その1 道徳教科書を選ぶ視点から>

(1)人間が社会生活を営むかぎり「道徳」も「規則」も必要ですが、その根底には「個人の尊厳」「基本的人権の尊重」がなければなりません。「人権」保障のない「道徳」や「規則」は抑圧の道具になってしまうからです。実際、過去の時代には、支配者に都合のいい「道徳」や「規則」が民衆に押しつけられ、戦前は「教育勅語」の「忠君愛国」道徳が子どもたちに刷り込まれました。天皇の臣民としてお国のために命を捧げることが国民の使命であると教えられ、多くの国民が戦争に駆り出され、他国民を殺し、自らも命を失いました。この過ちを繰り返してはなりません。

(2)道徳は人々の日常生活に役立ち活かされるものでなければなりませんが、それだけに一見矛盾した道徳が併存します。例えば「嘘をついてはいけない」というのは基本的な道徳ですが、他方で思いやりのための「嘘も方便」という道徳もあります。どちらもまちがいではなく真理です。このように一見真逆のことを、人は現実の生活の中で必要に応じて使い分けてきました。道徳の学習では、特定の結論を押しつけるのではなく、いろいろな考えが成り立つ中で、各自が最良の選択をする力を身につけることが大切だと考えます。

(3)しかるに学習指導要領では、道徳学習で学ぶべき「22の内容項目」(徳目)を設定し、それを子どもたちが習得したか否かを評価するとしています。他教科のように数値評価をし、高校入試の判定資料に使うことは今のところありませんが、各教材は「22の内容項目」のどれかを学ぶための教材であり、評価もされるため、結局は「正しい答え」を子どもに押しつけることにしかなりません。「主体的、対話的で深い学び(アクティブラーニング)」が奨励されていますが、特定の結論に子どもを導こうとするため、アクティブラーニングは形だけのものになっています。

(4)「内容項目」は「自主・自律・自由と責任」に始まり、「より良く生きる喜び」まで22項目ありますが、「人権尊重」の言葉はどこにもありません。「自己責任」「遵法精神」「公共の精神」「家族愛」「愛国心」などを学ぶのが道徳学習とされ、これでは「個人の尊厳」より「国家」を重んじる道徳教育になる危険性があります。

(5)学習指導要領に縛られているため、どの道徳教科書にも問題がありますが、それでも「人権尊重」を基本にすえて編集されている教科書もあります。教材の一つ一つを吟味し、民主的な社会の形成者にふさわしい道徳性を身につけるために、より良い教科書を採択してください。

<理由 その2 「日本教科書道徳」教科書の問題のある教材>

(1)「日本教科書道徳」は人権侵害教材が極めて多い教科書です。
①1年「永久欠番42」(p.92)は、黒人初の大リーガーとなったロビンソンの話です。契約条件は、差別されても「やり返さない勇気」を持つことでした。当時はロビンソンのように差別に耐え、自分の価値を認めさせることによって、差別を克服することが美化されました。しかし今日では、差別は差別される側に問題があるのではなく、差別する側、差別を放置する社会に問題があると定義した人種差別撤廃条約が国際的な基準です。この教材には公民権運動などを通じて差別を撤廃してきたことも一切出てこず、あくまで個人の努力を要求するのは、差別をなくす取り組みを歪めることにしかなりません。

②2年「14歳の責任」(p.8)は、14歳からは刑事責任能力が問われると罰則を強調する非道徳的な教材です。イジメで被害生徒を自殺させた場合、少年院送り、地元では針のむしろ、賠償金の支払いは一生続くと脅しつけています。これが“心を育てる道徳教育”といえるでしょうか。

③2年「雨の日のレストラン」(p.54)は、若者の長時間労働を肯定し強制する教材です。毎日の残業にヘトヘトになりながらも、忙しいのは自分だけではないと知り、友人たちとの会食のあと、また会社へもどって働くなどというのは、労働基準法違反を堂々と勧めるあきれた教材です。こんな教材で学べば、子どもは将来働くことに希望を持てないのではないでしょうか。

④3年「ライフ・ロール」(p.100)は、共働きの女性が親の介護のために自分のキャリアアップをあきらめるという話です。結婚した女性は、たとえ仕事をもっても家庭を優先すべきと教える男女の役割分業・女性差別の教材です。

(2)「日本教科書道徳」だけが「22の内容項目」ごとに、子どもに数値で自己評価(レベル1~レベル4)させています。教員は数値で評価しないにもかかわらず、子どもに数値評価させるのは矛盾しています。さらに「理想の人物はだれか、その人物に何パーセント近づいたか」まで書かせています。特定の人物の特定の側面だけを美化した教材を学習させ、その人物をロールモデルにさせるのは、子どもたちの視野をせばめ、一面的な価値観のもとに行動させることにしかなりません。

<理由 その3 「教育出版道徳」教科書の問題教材>

「教育出版道徳」教科書は偉人伝が多く、勤王の志士を美化しています。
①1年「都道府県にゆかりのある人物と、その言葉」(巻末)・・・吉田松陰(山口県)、橋本左内(福井県)、坂本龍馬(高知県)、西郷隆盛(鹿児島県)。吉田松陰は早くからアジア侵略を唱え、西郷隆盛は征韓論を唱え、のちの日清・日露戦争に大きな影響を与えた人物です。また坂本龍馬は武器商人でした。このような人物たちを子どもたちの道徳的モデルにできるでしょうか。

①2年「復旧にとどまらず、復興を~後藤新平~」(p.122)は、関東大震災後の東京の復興を手掛けた後藤新平の偉人伝です。後藤新平はボーイスカウト連盟の初代総裁で、「自治三訣」として「人のお世話にならぬよう、人のお世話はするよう、そして報いを求めぬよう」という言葉を残しました。この中の「人のお世話にならぬよう」は自立の勧めですが、今日的には見直す必要のある言葉です。障がいや病気、失業など何らかの理由で、自分だけでは生活が立ち行かない場合は、遠慮なく人に助けを求めてよいし、社会も国も個人を助けなければならないというのが、現代の社会福祉の考え方だからです。

4 子どもたちとって、より良い教科書を採択してください。


「育鵬社歴史」「育鵬社公民」「自由社公民」「日本教科書道徳」「教育出版道徳」は、日本会議などの保守勢力が関わって作成した教科書です。特に「日本教科書道徳」は、「嫌韓本」や「児童ポルノ本」で知られた「晋遊舎」の全面的支援を受けて作成されており、道徳を語る資格があるのか疑わしい教科書です。これらの教科書は子どもたちが学ぶのにふさわしい教科書ではなく、むしろ害毒を流す教科書であり、採択してはならない教科書です。
 採択にあたっては現場教員の意見を尊重し、また市民の意見も参考にして、より良い教科書を採択してくださるように切にお願いいたします。