子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会

大阪で教科書問題にとり組む市民運動の交流ブログ

【要望書】人権侵害・自国中心主義の<日本教科書>と<教育出版>は採択しないでください。

2018-06-03 20:44:53 | 道徳教科書 中学校
大阪では、大阪府内の全市町村教育委員会に「日本教科書」と「教育出版」を採択しないように求める要望書を提出していきます。
大阪で活用する文案を下記に載せますので、各地で加工してご活用ください。

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○○市教育委員会  ○○様
○○市教科書選定委員会様
                               2018年  月   日
                                   ○○の会

2019年度使用中学校道徳教科書の採択にあたっての要望書

人権侵害・自国中心主義の<日本教科書>と<教育出版>は採択しないでください。

 貴教育委員会の日頃の教育へのご尽力に敬意を表します。
 今年度の中学校道徳教科書の採択にあたって、私たちは既に貴教育委員会に要望書と公開質問状を提出させていただきましたが、さらに<日本教科書>と<教育出版>は採択しないようにとの要望書を提出いたします。以下にその理由を述べますが、よくご検討のうえ、「人権・平和・共生」を最も大切にしている教科書を採択してくださるように切に要望いたします。

1 <日本教科書>には、人権侵害の教材がたくさんあります。

1年 P.92 「永久欠番42」 黒人差別の話。 徳目⑪公正・公平
 1947年に黒人として初めてメジャーリーガーになったジャッキー・ロビンソンの話です。観客や選手から差別されても「やり返さない勇気」を持つのが契約の条件でした。苦しむロビンソンを、同僚の白人選手が仲間としてかばったことによってロビンソンへのヤジが止まり、ロビンソンは新人王に輝き、1997年に42番は全球団の永久欠番になったという偉人伝です。
この話は第二次世界大戦直後の状況をもとに、黒人は差別されてもじっと耐え、リベラルな白人の温情によって差別がなくなるという構図で書かれています。差別する側の問題、黒人の抗議する権利・抵抗する権利については一切触れていません。1960年代の公民権運動によって、アメリカ社会の黒人差別が厳しく問われたことにも全く触れていません。
この教材は差別されても抗議するのではなく、実績をあげて自分の価値を認めさせることによってしか差別はなくならないと子どもたちに教えています。差別は差別される側に問題があるのではなく、差別する側、差別を認めている社会に問題があるという、今日では世界基準になっている人種差別撤廃条約の理念にもまったく反します。
『マンガ嫌韓流』などのヘイトスピーチ本や児童を対象としたポルノ漫画など人権侵害の書籍を多数出版してきた晋遊舎系列の会社(日本教科書の代表者の武田義輝氏は晋遊舎の会長でもあり、両社は事実上一体の会社です。その後、日本教科書の代表はHP上では上間淳一氏となり、晋遊舎隠しがおこなわれていますが、日本教科書は今も晋遊舎ビルの一角にあります)にふさわしい教材というべきかもしれませんが、文科省は「黒ん坊」とか露骨な差別表現だけには検定意見をつけたものの、この教材を合格させました。文科省の責任も厳しく問われねばなりません。

2年 P.8 「14歳の責任」 少年法の話。 徳目①自主・自律
14歳からは刑事責任能力が問われると罰則を強調しています。イジメで被害生徒を自殺させた場合、少年院送り、出所しても地元では針のむしろ、賠償金の支払いは一生続くと脅しつけるような内容です。これが「心を育てる道徳教育」といえるのでしょうか?少年法は社会科公民の刑法のところで扱いますが、それにしてもこんな脅迫まがいの教え方はしません。

2年 P.54 「雨の日のレストラン」 若い会社員の話。 徳目⑧友情
 友人たちと夕食の約束をしたものの、仕事が終わらず欠席しようとしましたが、友人たちは待っていてくれました。待っている間、友人たちはレストランのテーブルで各自仕事をしていました。忙しいのは自分だけではないと気がついた若い会社員は楽しく食事をした後、また会社に戻って仕事に集中しようとするという話です。
 ここでは長時間労働への批判的視点はまったくありません。実質上の過労死の勧めであり、「働き方改革」といいつつ、無制限の労働を強いる「裁量労働制」を導入しようとしている安倍政権政権に迎合した教材です。この教材はたとえ仕事がしんどくても、長時間勤務であっても、わかりあえる友人がいればがんばれると友情の話にすり替えています。また会社員の仕事はこんなにも厳しいものだ、これが働くということだというイメージも刷り込みます。企業が労働者をこき使って過労死や自死に追い込んでいることが社会問題化しているにもかかわらず、それには全く触れずに現状を肯定し、子どもたちに誤ったメッセージを送る教材は許されません。

2年 P.152 「込められた想い 和解の力」 安倍首相演説。 徳目⑱国際協調
 2016年12月27日、安倍晋三首相の真珠湾での演説からの抜粋です。「寛容と和解」を強調していますが、その前提としての「謝罪」はありません。太平洋戦争に関しては、日本は一方的な戦闘の開始、連合国軍兵士の捕虜の虐待などを謝罪せねばならず、アメリカは空襲による民衆の無差別爆撃、広島・長崎への核兵器の使用などを謝罪せねばならないはずです。しかし日米ともにそれには触れず、きれいごとで済ませています。
 ちなみに現職首相の演説を掲載しているのは日本教科書だけです。森友問題や加計問題で関与が疑われ、国会で厳しく追及されている現職政治家を道徳教科書に掲載するのは不適切です。

3年 P.100 「ライフ・ロール」 共働きの女性の話。 徳目⑪社会参画
 共働きの母親の忙しい日常。祖母の介護を夫婦、子どもたちが押しつけ合いますが、結局母親が引き受け、管理職への登用をあきらめるという話です。母親が「私には他にも役割がありそうです」と、家庭を優先し上司に管理職の話を断ることが肯定的に描かれています。父親が仕事を優先させることへの批判はまったくなく、介護を社会的に解決するという視点もありません。
 この教材は家事や介護は女性の仕事という男女の固定的な役割分業を当然であるかのように教えています。女性の社会参画は「家庭優先」が前提という、女性差別を子どもたちに刷り込む教材です。

2 <教育出版>にも人権侵害教材があります。

(1)偉人伝が多いのは小学校道徳教科書と同じです。
 
 中学校道徳教科書では、各学年の巻末に47都道府県にゆかりのある偉人とその言葉を紹介しています。戦国武将、勤王の志士や軍人など、子どもたちのロールモデルにはふさわしくない人物が多いのが特徴です。
・戦国武将―伊達政宗、大友宗麟、上杉謙信、武田信玄、織田信長、徳川家康、毛利元成、
前田利家、石田三成、加藤清正、真田幸村
・勤王の志士―吉田松陰、橋本左内、高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛、大隈重信
 戦国武将は下剋上と戦争・殺戮・略奪にあけくれ、勤王の志士はテロを辞さない人物たちでした。子どもたちに最も伝えなければならない「命の大切さ」とは縁遠い人物たちです。
 
(2)特に西郷隆盛を美化するのも、小学校道徳教科書と同じです。

3年 P.164「徳の交わり~西郷どんと菅はん」補充教材 
そもそも武力討幕のために西郷隆盛が幕府側の庄内藩を挑発したことには触れず、また会津藩には徹底的に攻撃したことにも触れず、西郷隆盛を平和的で寛容な政治家として美化しています。

(3)教育出版の次の教材は“自国中心主義”で、在日外国人の子どもたちへの配慮がまったくない人権侵害教材です。

3年 P.70「外国人から見た日本人」 日本人のすばらしさ。 徳目⑰愛国心
東日本大震災の時の日本人の行動に対する外国人の高い評価―「我慢する精神」「秩序を守る気高い姿」など―を紹介し、最後に「あなたは世界の人たちに胸を張れるどんな人になりたいですか?」と子どもたちに問いかけています。
もともとこの問いかけは「あなたは世界の人たちに胸を張れるどんな日本人になりたいですか?」でした。教育出版は排外主義だと批判されることを恐れてか、「日本人」を「人」に変えましたが、それによってこの教材の自国中心主義・排外主義的な本質が変わるわけではありません。
 そもそも教材のタイトルが「外国人から見た日本人」であり、「日本人の気高さ」を強調したうえで「世界の人に誇れるどんな人になりたいか」と外国籍の子どもに問えば、無言のうちに「立派な日本人になる」ことを求める同調圧力にしかなりません。
教室には外国籍の子どもや外国にルーツをもつ子どもがたくさんいます。そのような子どもたちへの配慮を欠いた日本礼賛の教材を教室で使用することはできません。

(4)福島から避難してきている子どもへの配慮に欠けた教材

3年 P.150「それでも僕は桃を買う」 福島県産の桃を避けるのは差別だと決めつける。
中国籍の子どもが自分が差別された経験に基づき、検査に合格した桃を避けるのは差別だから、自分は「買う」と決意するという話です。福島原子力発電所の事故後の放射能の危険性をどう考えるかはいろいろな意見がありますが、この教材は“絶対安全”という立場で書かれています。全国には福島から避難してきている子どももいます。そのような子どもへの配慮を欠いた教材であり、いじめの原因にもなりかねません。こんな教材を教室で使うことはできません。

3 自己評価をどのようにさせているかも、採択の観点として考慮してください。―「22の徳目」ごとに、子どもに数値で自己評価させる教科書は採択しないでください。

 中学校道徳教科書は8社すべてが子どもに自己評価させています。評価については議論があったものの、文科省は最終的には数値評価はせず、文章表記としました。ところが中学校の学習指導要領・解説では「生徒自身による自己評価」が奨励されているため、日本教科書をはじめとして5社は子どもによる自己評価を数値でさせています。

自己評価のさせ方は、次の3つのパターンに分かれています。

第1のパターン
<日本教科書> 22の徳目ごとに「態度と行動」を4段階で数値評価
<教育出版> 22の徳目ごとに3段階で数値評価
<廣済堂あかつき> 22の徳目ごとに5段階で数値評価

第2のパターン
<東京書籍> 学期の終わりに、一定の観点を4段階で数値評価
<日本文教出版> 教材ごとに一定の観点を5段階で数値評価

第3のパターン
<学校図書> 教材ごと(徳目の観点を含む)に、文章で振り返る。
<光村図書> 徳目ごとではなく、自分の学びを文章で振り返る。
<学研教育みらい> 徳目ごとではなく、心の成長を文章で振り返る。

(1)子どもたちに4段階で「態度と行動」を数値評価させる<日本教科書>。

 日本教科書は各学年の教科書の最後に「心の成長を振り返りましょう」というページを設けて、22の徳目それぞれをどの程度達成できたか、レベル1からレベル4まで「態度や行動」を自己評価させています。
たとえば「愛国心」をどのレベルまで「態度と行動」に現わすことができたかを子どもに問えば、「日の丸」に敬意を表し、「君が代」をしっかり歌うように、目に見える形で表現するように強制することにしかなりません。
さらに日本教科書は「理想の人物はだれか、その人物に何パーセント近づいたか」まで書かせています。特定の人物の特定の側面だけを美化した教材を学習させ、ロールモデルにさせるのは子どもたちの視野をせばめ、一面的な価値観を刷り込むことにしかなりません。

(2)教育出版も「心かがやき度」として、22の徳目ごとに3段階で子どもに数値評価させています。廣済堂あかつきも「自分自身を振り返って」として、22の徳目ごとに子どもに5段階で自己評価させています。

 「道徳には数値評価はなじまない」として、教員による評価は文章表記になったはずです。子どもが自分でやるなら数値評価させてもよいのでしょうか?

4 子どもたちにより良い教科書を採択してください。

 8社の道徳教科書は文科省が定めた「22の徳目」にそって作成されているため、「特定の価値観の刷り込みになるのではないか」という懸念がたびたび報道されています。そのような懸念が現実のものとならないように、より良い教科書を採択してください。

 <日本教科書>と<教育出版>以外の教科書にも、「日本人としての自覚」や「日本人としての誇り」を強調した教材があります。道徳の時間につらい思いをする子どもがいては本末転倒です。

 人類普遍の道徳ともいえる「人権・平和・共生」の観点に基づいて、民主主義社会の主権者を育てるのに最もふさわしい道徳教科書の採択をお願いいたします。