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山田太一さんを悼む

2023年12月03日 | 日々是雑感
私が生まれたのは1953年(昭和28年)で、この年から日本でテレビの本放送が始まった。だら物心ついたときからテレビは身近にあったのだが、いわゆる「テレビっ子」ではなかった。しかし、たまたま学生時代に『それぞれの秋』(1973年)で初めて山田太一作品を見てからハマり、その後『岸辺のアルバム』(1977年)、『想い出づくり』(1981年)などをワクワクしながら視聴した。
※トップ写真は、毎日新聞の記事サイト(12/2付)から拝借した

家庭用ビデオデッキを購入した1980年(昭和55年)代前半からは、『ふぞろいの林檎たち』(1983年~)、『輝きたいの』(1984年)、『シャツの店』(1986年)などを立て続けに見た。『男たちの旅路』(1975年~)は、再放送を見た。映画『異人たちとの夏』(1988年)も、テレビで録画したものを見た。これらの中では、やはり『岸辺のアルバム』が出色だった。

「こんな作風の脚本家は空前絶後ではないか」と思っていたので、今回の逝去の報に接して、残念でたまらない。「脚本家ご三家」と呼ばれた向田邦子氏、山田太一氏を失い、残るは倉本聰氏だけになってしまった。山田太一氏のことは毎日新聞(2023.12.2付)が詳しく報じていたので、以下に紹介しておく。山田氏のご冥福をお祈りいたします。

山田太一さん死去 脚本家「男たちの旅路」89歳
「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎(りんご)たち」など、市井の人々の日常から人間や時代を描くテレビドラマを手がけた脚本家、小説家の山田太一(やまだ・たいち、本名・石坂太一=いしざか・たいち)さんが11月29日、老衰のため死去した。89歳。葬儀は家族で営む。喪主は長男石坂拓郎(いしざか・たくろう)さん。

東京都出身。早稲田大教育学部を卒業後、松竹を経て、1965年にフリーの脚本家になる。松竹で師事した木下恵介監督に請われ、TBS「木下恵介アワー」枠の「3人家族」や、「パンとあこがれ」などの脚本を執筆した。

浅草で国民学校(小学校)の3年生まで過ごし、強制疎開で神奈川県湯河原町へ移住。11歳で敗戦を経験した。戦災孤児のその後の人生を描いた「記念樹」(TBS、66年)や戦争で夫を亡くしたヒロインを描いた72年のNHK連続テレビ小説「藍より青く」など戦争の影が色濃く残る作品を手掛けた。

76年にNHKが脚本家の名前を冠したドラマを開始した際、先発に選ばれた「男たちの旅路」は、鶴田浩二さん演じる特攻隊の生き残りの警備員が主人公。若い世代との相克などを描いて連続ドラマは第4部まで放送され、大きな反響を呼んだ。

また多摩川の増水で民家が流された災害をモチーフに、家族のもろさを描いた「岸辺のアルバム」(TBS、77年)や“四流大学”の男子学生と看護学生の青春群像をとらえた「ふぞろいの林檎たち」シリーズ(TBS、83~97年)など、放送史に残るドラマを多数送り出した。

晩年も、2011年の東日本大震災をテーマに「時は立ちどまらない」(テレビ朝日、14年)といった作品を残すなど、ドラマの可能性を探求し続けた。「空也上人がいた」など小説も数多く発表。「異人たちとの夏」で88年に山本周五郎賞、自伝的エッセー集「月日の残像」で14年に小林秀雄賞を受賞した。

日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアムの代表理事を務め、放送局にも映像が残っていない80年代以前の番組の記録を残そうと、脚本を収集・保管する活動にも尽力した。

85年には「家庭や職場等のごく平凡な日常を、抜群のドラマに仕上げて、人間愛を訴えつづけている」として菊池寛賞を受賞。92年度には毎日芸術賞、08年には橋田賞特別賞を受賞した。自著「異人たちとの夏」が英国で映画化され、「異人たち」として来春公開予定となっている。17年1月には脳出血で倒れ、療養していた。

時代 リアルに【評伝】
山田太一さんのドラマは大抵、どこにでもいそうな市井の人が主人公だ。パート4まで続いた「ふぞろいの林檎(りんご)たち」(TBS)は学歴社会に適合できなかった“四流”大学生の青春群像。「ながらえば」(NHK)は息子夫婦と暮らす老人を笠智衆(りゅう・ちしゅう)さんが演じた。歴史上の偉人を取り上げるNHK大河ドラマでも「獅子の時代」で架空の会津藩士を通して社会の底辺から明治維新を描いた。

そんな普通の人が、ある出来事や強烈なキャラクターの人物との出会いにより、自分と向き合わざるを得なくなる。追い込まれた主人公が発する感情の発露に、私たちが見落としている時代の魂を込めた。そんな山田ドラマの数々のセリフは多くの視聴者の心をえぐり、現在活躍する脚本家にも大きな影響を与えた。

小学5年生の時に敗戦を経験。マルクス主義のような思想にはうさん臭さを感じ、理念や美意識ばかりが先走る作品を嫌った。大学卒業後、入社した松竹で師事したのが映画「喜びも悲しみも幾歳月」などを撮った木下恵介監督。庶民の「弱さが美しい」という監督の世界観に影響を受けた。

「予言者ではないか」。山田さんを知る人は、その時代を見る目をそんなふうに評する。有名なエピソードは鶴田浩二さんが主演した「男たちの旅路」(NHK)第3部の「墓場の島」。若い人気歌手が「商業的な曲ばかり歌わされる」と突然引退し、ガソリンスタンドで働くという脚本を書いた。「リアリティーがない」と局側に反対されラストを書き換えたが、放送前に人気絶頂だったキャンディーズが解散を発表した。


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