昨年11月から、奈良新聞「明風清音」(毎週木曜日掲載)欄の書き手に、喜多弘樹さんが加わった。吉野町上市のご出身、故前登志夫氏に師事された歌人でもと編集者。30数年間東京で編集のお仕事をされ昨年、奈良に帰郷された。1953年(昭和28年)のお生まれというから、私と同い年である。初回の「変わらぬ大和の風景」(2021.11.25付)は、当ブログでも紹介させていただいた。
※トップ写真は吉野山の桜。2021.4.2撮影
喜多さんは奇数月の第4木曜日のご担当なので、前回(1月)は掲載が月3回だったので、喜多さんの回はなかった。今回が久々のご登板ということになる。奈良盆地での桜の開花と合わせて、タイトルは「吉野の桜、悠久の歴史」。全文は画像をご覧いただくとして、文中には前登志夫氏の桜の歌が2首、登場する。それは、
さくら咲くゆふべの空のみづいろの くらくなるまで人をおもへり
杉山にとだえもなしにさくら花 流るるひと日ひと日を生くる
末尾に、印象的な文章と西行の歌が紹介されている。
この世に生かされて在るいのちも、やがて幾多の花びらが流れるように、どこかへ消え去っていく。私は花の吉野に向かって静かに手を合わすのみ。
仏には桜の花をたてまつれ わがのちの世を人とぶらはば 西行
※トップ写真は吉野山の桜。2021.4.2撮影
喜多さんは奇数月の第4木曜日のご担当なので、前回(1月)は掲載が月3回だったので、喜多さんの回はなかった。今回が久々のご登板ということになる。奈良盆地での桜の開花と合わせて、タイトルは「吉野の桜、悠久の歴史」。全文は画像をご覧いただくとして、文中には前登志夫氏の桜の歌が2首、登場する。それは、
さくら咲くゆふべの空のみづいろの くらくなるまで人をおもへり
杉山にとだえもなしにさくら花 流るるひと日ひと日を生くる
末尾に、印象的な文章と西行の歌が紹介されている。
この世に生かされて在るいのちも、やがて幾多の花びらが流れるように、どこかへ消え去っていく。私は花の吉野に向かって静かに手を合わすのみ。
仏には桜の花をたてまつれ わがのちの世を人とぶらはば 西行
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