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田中利典師の「蔵王供正行/第14日 念ずれば花ひらく」

2024年03月15日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行14日目「念ずれば花ひらく…」〉(師のブログ 2015.5.14 付)である。この日、利典師は今回の「化他行蔵王供千願百座祈祷行」を始めた動機を明かされる。
※写真はすべて師のブログから拝借した

タイトルの「念ずれば花ひらく」は、仏教詩人(故人)の坂村真民(さかむら・しんみん)さんの詩で、〈念ずれば花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった そうしてそのたびわたしの花が ふしぎと ひとつひとつ ひらいていった〉。

林南院の建立は昭和48年(1973年)だそうだから、今年で51年。宗教法人の認可は平成15年(2003年)なので、今年で21年ということになる。この日の護摩には、ご長男とご長女が加わった。では、以下に全文を紹介する。



「念ずれば花ひらく…」
蔵王供正行14日目(5月14日)。晴のち曇り。今日の一日。
5時前に起床。
5時半、第27座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法       於本堂 
9時、第28座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法      於本堂
12時半、水行            於風呂場
13時、法楽護摩供修法        於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦     於本堂
    参拝者0名。

****************

「念ずれば花開く…」
いよいよ今日は誰もおいでにならない日となった。(^_^;) さて、私の自坊・林南院は父が開山で、昭和48年に田中家の自宅を建て替えて、建立なった。建立時に、少し総代と意見が合わず、宗教法人の認可は私が第2世住職として晋山した平成15年だった。もちろん、金峯山修験本宗の末寺として認証を得た。今年で開山42年である。

実は宗教法人認証の2年前に、父は行年86才で他界している。この年は私が金峯山寺執行長と金峯山修験本宗の宗務総長に就任した年で、以来、金峯山寺と林南院を掛け持ちでやってきたが、実際には多忙が続く中で、ここ数年はほとんど無住のようなことになっていた。

還暦を汐に、宗務総長を下りて自坊に帰ってきたのも、自坊再建という目的がそのひとつである。今、入行している「蔵王供千願祈祷行」も自坊再建の、きっかけになればという思いもある。

しかし現実はなかなかそうは簡単にはいかないというのが、実感である。床は抜けているし、柱は傾いているし、第一、信者様が往時の3割にも満たない。

父は現役時代、年間1100人くらいの人の相談にのり、地鎮祭や家祈祷などは、1年で100軒ちかくは回っていた。それが近年は私が金峯山寺の仕事を中心に多忙なこともあって、自坊で会う人は100名を切り、出張も10軒行くか行かないかになっていた。

そんな私が突如帰って来たからといって、人が戻ってくれるわけでもないし、第一、父の代の信者さんはもうほとんど代替わりをしている。そもそも檀家寺とちがって、信者寺は親子代々で継承されておいでになる方は限られている。

ま、いろんな意味で私の中に、自分の人生に対して自己矛盾もある。そこも含めて、今は蔵王権現様を真剣に拝むこと以外ない、と思って、誰もおいでにならない今日の一日を行じた。坂村真民さんの言う「念ずれば花ひらく」でありたいものである。

写真は今日の護摩と長男長女とのスリーショット。護摩は参拝の方がないので、実家に帰っていた長女が随喜した。
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