tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

古代久米氏ゆかり「久米御県(くめのみあがた)神社」(橿原市久米町)/毎日新聞「やまとの神さま」第88回

2024年06月23日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.6.20)掲載されたのは〈神武東征支えた一族ゆかり/久米御県神社(橿原市)〉、執筆されたのは、同会会員で橿原市在住の亀田幸英さんだった。
※トップ写真は、久米御県神社拝殿=橿原市久米町で

この神社、永らく練供養(久米レンゾ)で知られる久米寺の鎮守だったが、明治時代の神仏分離令によって久米寺から離され、地元(久米村、のち久米町)によって祭られている。では、全文を紹介する。

神武東征支えた一族ゆかり/久米御県神社(橿原市)
久米御県神社(くめのみあがたじんじゃ)(橿原市)は、畝傍山の南東にある古刹久米寺に南接し、西面して鎮座します。祭神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、大来目命(おおくめのみこと)、天槵根命(あまのくしねのみこと)の三柱は、古代の久米氏の祖神・遠祖につながる神様です。

その久米氏は記紀によれば神武東征の際、軍事氏族として活躍し、久米邑(むら)を賜りました。さらに久米氏所縁の「久米舞」や「久米歌」も今に伝わっています。

久米御県神社は平安時代の「延喜式神名帳」に載る「久米御県神社三座」に充てられます。「御県」とは天皇に野菜を献上する直轄地を言い、延喜式神名帳には大和御県神社の一つとして記載されますが、なぜか「延喜式」祈年祭祝詞(としごいのまつりのりと)の中にある大和国六御県神社(高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布)には含まれていません。

古代の久米氏の衰えにより神社も衰え、後で創建された久米寺の寺域の一画に鎮守として天神社、天満宮として祭られました。明治時代に神仏分離により久米寺から離されたため、久米村によって全面的にお祭りされ、当初の久米御県神社と改められ、今に至ります。

例祭の10月第2日曜日には、久米町内の大人・子ども約60人によって、約2時間にぎやかに「だんじり」が町内を練り歩きます。(奈良まほろばソムリエの会会員 亀田幸英)

(住 所)橿原市久米町786
(祭 神)高皇産霊神、大来目命、天槵根命
(交 通)近鉄橿原神宮前駅西口から西へ徒歩約5分
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり。無料
(電 話)なし


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 花見観光は、難しい! | トップ |  田中利典師の「蔵王供正行/... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

やまとの神さま(毎日新聞)」カテゴリの最新記事