てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

工芸に生くる人々(3)

2007年10月21日 | 美術随想


 男性の作品がつづいたので、今度は女性作家にも眼を向けてみよう。

 ガラス工芸の小島有香子は、『積層硝子皿「月暈(つきがさ)」』(上図)で高松宮記念賞を受けた。今回が初出品で、まだ28歳の若さであるという。「日本工芸会」ホームページでの彼女のインタビューを見ていると、何も飾ったところのない今風のお嬢さんだという感じだが、多摩美大で学んだあと富山に移り、自然の豊かな環境の中で制作にいそしんでいるそうだ(その様子は「新日曜美術館」でも紹介された)。月をモチーフにした今回の作品は、満月よりもネオンサインのほうが明るい都会の暮らしからは決して生まれてこなかったにちがいない。

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 ガラス工芸というと、日本にも文化勲章を受けた藤田喬平のような巨匠がいるが(ちなみに藤田の展覧会は今ちょうど大阪で開かれている)、まだまだヴェネチアとかボヘミア、あるいはデンマークといった、ヨーロッパのものという印象が強いのではなかろうか。藤田喬平も、かつてはヴェネチアで制作をしていたということだ。

 もうひとつ忘れてはならないのが、エミール・ガレやドーム兄弟といったアール・ヌーヴォー期のフランスのガラス工芸である。彼らの作品は日本趣味との関連がしばしば指摘されることもあって、わが国での人気の高さは尋常ではない。ガレの展覧会は日本のどこかでしょっちゅう開催されているといってもいいほどだし、常設の美術館も日本にある(北澤美術館やエミール ガレ美術館など)。ガレの器に象牙の蓋をかぶせて茶会に用いていたという粋人もいる(小林一三など)。彼らの存在を差し置いて、日本でガラス工芸の仕事にひと花咲かせるというのは、思ったより困難なことであるかもしれない。

 だが小島有香子の作品は、上記の誰とも異なった特徴を備えている。和風の装飾があるわけでもなく、藤田のように金箔を使っているわけでもないのだ。いわば前後の脈絡なしに、彼女は“日本の月”をそのまま造形化して提示したのである。伝統工芸展の会場においても ― テレビの影響もあるかもしれないが ― 彼女の硝子皿は大きな注目を集めていた。決して大きな作品ではなく、遠くから人目を惹くような派手さも持ち合わせていないけれども、作品の前にたたずむ人が途切れることはほとんどなかった。

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 新進気鋭の小島にとって、今年は大きな飛躍の年となったようだ。伝統工芸展の受賞に先立ち、金沢で開かれた「国際ガラス展」において、彼女の『Layers of Light -MOON-』(上図)が同展の第10回目を記念する特別賞に輝いた。やはり月をテーマにした作品だ。現物を観たわけではないが、『月暈』よりもはるかに複雑なテクスチャーをもっているように思われる。

 「日本伝統工芸展」と、この展覧会が大きくちがうところは、審査員に海外の作家や評論家が名を連ねていることだ(ちなみに一次審査には、藤田喬平の息子の藤田潤が加わっていた)。チェコのガラス造形家、イジィ・ハルツバは、審査後の座談会で小島の作品について、個人的な意見だと前置きしながらも、こう評している。

 《私はこのガラスの作品の中にまるで俳句が秘められているように感じています。見ていると、月や、山からわいてくる霧、水、雲、そういった日本の風景、日本の空気、日本の雰囲気が感じられました。》(「国際ガラス展・金沢2007」ウェブサイトより)

 チェコ人であるハルツバが、どこまで日本のことを知っているのかはわからない。ただ、今回の審査のために金沢に滞在し、過去には富山で公開制作をおこなったこともあるという彼が、日本の ― しかもよどんだ都会ではなく、まだ清澄な空気を残している北陸の ― 夜空に浮かぶ月の輝きを見て、強く印象に刻んでいたということはありそうである。そして小島有香子のガラス作品は、彼がいだく日本のイメージに深く共鳴したのであろう。真の国際化とは、こういうことをきっかけに生まれてくるのではないかと思う。

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 『積層硝子皿「月暈」』は、建材用の板ガラスを重ね合わせて機械で削り出すという、他の工芸に比べると「粗い作業(作者談)」で作られているらしい(もちろん最後には手作業で磨きをかけているのだろうけれど)。だが、眺める角度をちょっと変えると、少しずつちがった輝きを放ち、見飽きるということがない。

 まるで、変幻自在に輝きを変える本物の月の姿のようであった。

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