寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2906話) 竹とんぼ 

2020年01月28日 | 活動

 “二十年前に退職して以来、これといってすることがなく、晴耕雨読の生活。その間に始めたのが、昔を思い出しての竹細工だった。私が子どものころは、身近なところに電化製品はなく、竹とんぼ、水鉄砲、竹馬、紙飛行機と遊び道具はすべて手作りだった。それが私たちに潤いを与えてくれたものだった。
 竹とんぼは一週間に五十本ほど、一ヵ月に約二百本、一年に約二千本を作った。これまでに作ったのは三万本にのぼる。それを持っての公園通いは十五年となる。われながら感心するばかり。先日も五歳ぐらいの子どもを連れたお母さんに「昔ここで竹とんぼをもらったことがある」と言われた。つまり二代にわたってプレゼントしたことになってびっくり。自分も年をとるはずだと感慨もしばしだった。
 二年ほど前、本紙の地方版で「竹とんぼおじさん」と紹介されて以来、注文殺到で大忙し。当面やめることもかないそうになく、今年も竹とんぼ作りに追われそう。しかし、公園での子どもたちの元気な声と笑顔を励みに、残された人生を送るのもまた楽しからずや。今日も縁側で日なたぼっこをしながら、せっせと竹とんぼ作りに励んでいる。”(1月7日付け中日新聞)

 三重県菰野町の小津さん(男・80)の投稿文です。またまた凄い人がいたものである。それも退職後の話である。竹とんぼを一年に約二千本、これまでに三万本を作ったと言われる。継続は力と言うが、本当に継続の成果である。それを公園で子供たちに配るのである。どれだけの人が恩恵を受けたのだろうか。今80歳、縁側で日なたぼっこをしながら、せっせと竹とんぼ作りに励んでいる、と言うのがまたいい。小津さんには至福の時間ではあるまいか。
 小津さんがどんな現役時代を過ごされたかは知らない。多分いろいろされたと思うが、でもこの竹とんぼ作りより生き甲斐はあったろうか。働くというのは報酬を得るのである。報酬を得ることで、その功績は相殺される。しかし、竹とんぼ作りは無報酬である。一方的に与えるのである。喜びが違う。変な理屈であるが、ボクはこう思ってきた。
 そして、人間の価値はいくつになって発揮されるか分からない、と言うことである。ボクの理屈から言えば、現役時代は難しい。見事な死に方によって、その人の価値が最後に示されることもあろう。死ぬまで最善を尽くしなさいと言うことになる。「明日死ぬと思って生きなさい」毎日を悔いのないように過ごしたいものである。


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