寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2759話) 私塾「興民義塾」

2019年03月18日 | 出来事

 “大正初期に創立した一宮市南小渕の私塾「興民義塾」の創設者中村慶吾さんと、初代塾長の安藤秋三郎さんを顕彰する石碑に、案内板が設けられた。「郷土の中心となる有為な青年を育てたい」との熱意から生まれ、千人を超える青年が無償で学んだ夜間学校。設置に携わった地域住民たちは「世のため人のために尽くした先人の偉大な貢献を知ってほしい」と願う。
 興民義塾は一九一七(大正六)年、同市南小渕出身の中村さんが私財を投じ、地元の禅林寺を借りて開塾し、翌年には南小渕に塾舎を新築した。塾長には現在の丹陽町重吉出身で、京都大で学んだ法学士、安藤さんが就いた。
 修学年限は二年間。週三日、午後五時半~九時に、国語や道徳、歴史経済など幅広い科目を学んだ。学費は無料とし、尋常高等小学校卒業程度の学力があり、十七歳以上なら誰でも入塾できた。(後略)”(2月27日付け中日新聞)

 記事からです。興民義塾、もう記憶から思い出すこともなかったことが、新聞記事を読んで突然よみがえった。今は空き地となっているあの場所に興民義塾があった。ボクの家から1.5km程いったところである。新聞には61年閉塾とあるから、ボクの中学生時代まで開校していたことになる。ボクの記憶は閉校した建物である。夜学とあるから、昼間は閉じた感じだったかも知れない。父が行っていたと聞いた気がする。尋常高等小学校卒業程度の学力があり、十七歳以上なら誰でも入塾できたとあるから、そうであろう。父は学歴に尋常高等小学校卒と書いていた。
 この記事には写真が添付されていた。その中に知り合いが写っていた。早速に電話をして、話を聞いた。そして先日のサロンでこの新聞の話をした。ここで学んだという人が見えた。私が質問する形で、皆の前で話して貰った。新聞に書いてないことがたくさん聞けた。生の話である。自分の父が行っていた、と言う人もいた。この後は興民義塾に関連した話で盛り上がった。サロンは高齢者の集まりである。昔のことを掘り起こして話題にしよう。

 


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