寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3677話) 同窓会閉幕

2024年06月03日 | 出来事
 “愛知県稲沢市の和食店で4月、母校の中学校同窓会が催されました。数年ごとの開催でしたが、私たちが70代になってからはほぽ毎年開かれるようになったものの、他界する人が増えてきたため今回を最後とすることにしました。卒業生153人のうち集まったのは35人。40人以上が鬼籍に入りました。
 私たちは店で再会を喜び、校歌がバックグラウンドミュージックとして流れる中、思い思いに部活動や学校行事を振り返りました。近況報告では病気や足腰の衰えをはじめ、薬や家族の介護といった話題が多かったです。同級生の娘さんは、認知症の母も同級生と触れれば少しは気分が良くなるだろうと会場に連れてきて、私たちもたくさん声をかけました。予定した3時間半はあっという間でした。
 同窓会は幕を閉じましたが、85歳や88歳といった節目に、別のかたちで集まれたらな。”(5月9日付け中日新聞)


 愛知県稲沢市の電器販売業・橋本さん(男・82)の投稿文です。歳行けば、人も亡くなり会う機会はますます減っていく。又出かけるのもおよび付かなくなる。そして会もなくなる。橋本さんの同窓会も82歳を最後にされた。自然と言えば自然の流れである。
 ボクもコロナ禍で、毎年開催していた小中学校の同窓会を中断していた。コロナ禍収まったので、最後の仕切りをしてこうと思って、2年前、中学校最後の同窓会の案内を出した。そしてボクの挨拶が終わると、待ってましたとばかりに、ボクが元気な間はやって欲しいという声が上がった。そして引き続き毎年行うことになった。今年4月に小学校の同窓会も最後のつもりで案内を出した。しかし、進めていくうちに、何も止めなくてもいいのではないか、と思うようになった。さほどの手間暇がかかるわけではない。やって欲しいという人があればやればいい。数人でも開催すればいい。ボクが言い出さなくてもなくなるものは自然になくなっていくのである。自ら減らす必要はない、これがボクの今の考えである。



コメントを投稿