寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2505話) 人生にじむ

2017年09月19日 | 活動

  “今年88歳になった母のたった一つの趣味は短歌を詠むこと。農家に17歳で嫁いできてから、母のもんぺのポケットにはいつも鉛筆と紙が入っていた。厳格なしゅうとめのもと農作業に明け暮れた母。田畑を耕しながら頭に浮かんだ歌を忘れないようササッとメモし、家に帰って皆が寝静まった頃ノートに書き写していたという。
 ある日、母は短歌を本格的に学びたいという気持ちが抑えきれず、父に相談した。当時、農家に嫁いできた女性に自分の趣味の時間などあり得なかった。養子だった父も両親に遠慮があり、言い出せなかった。しかし父はある日、こんなことを思いついた。リヤカーの荷台に母の着替えを隠して、2人で山の畑に農作業に行き、父は「夕方までには帰ってこいよ」と母を送り出す。そんな父の計らいもあり、母は念願かなってお寺の歌会に通えた。
 最近そんな母の短歌のノートがみつかった。野に生きた熱い思いと、わが子への愛が切々と歌われていた。母の歌は、母の人生そのものであり、私たちにとって宝物である。「吾子のため学資とならんこの畑に 立ち去りがたく月の影踏む」”(9月5日付け朝日新聞)

 東京都の会社員・加藤さん(女・63)の投稿文です。姑に気づかれないように、夫婦が協力して短歌を学びに行く、この熱意にも感嘆である。昔の農家である。嫁が趣味などにうつつを抜かすことなど、とんでもなことであろう。でもご主人も理解があった。奥さんの苦労と熱意を知っているからであろう。こんなことまでして、短歌を学ぶ。そんな時代、そんな女性があったのである。今の時代の何と豊かなこと、自由なことであろうか。そんな豊かさ、自由さが当たり前になり、さほどの努力もせず、不満を言っていることはないだろうか。努力のない中に喜びは少ないのである。もちろん今の時代も辛い生活をしている方は沢山あろう。一時に比べ、収入も減ってきた、労働も過酷になってきた人も多い。日本全体では豊かになっているのに、何かおかしい。
 ボクは今、老人クラブ連合会長としてある初事業に熱意を持って取り組んでいる。ボクの熱意で人をどこまで動かせるか、大変ながらも楽しみにやっている。


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