寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3699話) 日記を介し

2024年07月18日 | 行動
 “日記を書き始めたのは小学校の高学年だった。その日の出来事を記す程度だったが、中学生になると人付き合いが苦手なこともあって人間関係の悩みや、抱く劣等感の数々を思うままに書き留めた。日記帳に向かいながら、モヤッとした頭を整理することができ、直面する問題の根源はどこにあって、解決するためにどうすればいいかを考えた。赤裸々な日記は処分したが、日記を書く過程で気持ちは落ち着き、自らの成長にもつながった気がしている。
 高校生になって比較的生活が充実してきたら、次第に内省的なものよりも、目標や将来の夢といった前向きな話題を取り上げることが増えた。自分の考えや思いを文字にする上で、より客観視でき意志も強まった。
 大学3年生となり、卒業後を考えねばならなくなった。日記を介した自分との「対話」で、より良い未来を招き込みたい。”(6月22日付け中日新聞)


 名古屋市の大学生・磯貝さん(女・20)の投稿文です。言われるように、日記は自分との対話である。書いて悪いわけがない。磯貝さんは、小学校の時から書き始められたと言われる。凄い、感服である。そして書く内容も歳と共に変わってきたと言われる。当たり前かもしれない、これも凄いことである。まさに成長の証しである。
 日記は記録という意味もあるが、そればかりではない。文章力や推敲の上昇、訓練でもある。文字を覚えることもある。生活の規則化、と言うこともある。波及効果を考えればどこまでも広がる。
 ボクは3年連用日記が14冊目の入っている。40年目である。多分、最初は何かのノートに高校に入った頃から書き始めたと思う。この効果はボクに人生に大きかった、言い切れないくらい大きいと思う。