寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2738話) 60年目の喜び

2019年02月01日 | 活動

 “新年を迎えて、私の心は喜びに満ちている。所属している文芸同人誌が、一九六〇年創刊から約六十年の年月を経て、百号が発刊できる年を迎えた。
 重度の肺疾患を抱えた私は、病を押して百号に掲載する作品を懸命に書いている。思い返せば、二十年前から文学のいろはを厳しく指導してくれた諸先輩や編集者たちの熱意に深い感謝の念がわく。諸先輩方が歩まれた苦節の六十年の道のりは厳しかったはず。努力のかいあり、同人誌は地域に認知され、次第に発展し、今日に至っている。今、最も感謝すべきは、支採してくださる読者の温かい心である。拙い私の作品を読むため、発行を心待ちにしていてくださる読者がいる。本当にありがたいことだと思う。
 彼らの歯に衣着せぬ鋭い批評は、いつも私の反省の材料となり、激励となって、私のエネルギーに変わる。これは次の作品の肉や骨となるのである。そして同人誌が、地域の人々の好意と声援に支えられていることを実感する。命ある限り、読者の期待にこたえて、作品で恩返しをすべく頑張らねばならないと、心に誓っている。ちなみに、百号発行日は、元号が改まるころになる予定である。”(1月9日付け中日新聞)

 岐阜県高山市の南さん(男・79)の投稿文です。文芸同人誌、こういうものはなかなか続かないものである。それが60年、100号である。立派なものである。どういう組織で行われてきたのであろうか。中心となる人はどんな人であったろう。多分、何人も変わられたと思うが、うまく引き継がれたのであろう。参加者も変わっていったであろう。南さんは20年続けられた。長い人は何年くらい続けられているのだろう。いろいろ知りたいところである。ともかく文を書くというのは良い習慣である。
 しかし、ボクの身近にも凄い人がいたのである。学生時代から始め、昨年亡くなられた。50年続けられた。ボクが知ったのはもう30年前、その時はもう中心人物であった。10人程度の会である。知ってすぐにボクも入会した。毎月の発行である。その後の紆余曲折もあったが、昨年4月まで続いた。その後その中心人物は2ヶ月後の昨年6月亡くなるのである。そしてである。昨年12月、彼を偲ぶ会を催した。その席で、何らかの形で引き継ぐことが決められた。そして今、今年5月に新しい第1号を発刊すべく検討中である。いい形である。この経緯については「ある同人誌の廃刊」(http://terasan.dousetsu.com/zu113.html)をご覧頂けるとありがたい。


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