寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2803話) 第二の人生

2019年06月22日 | 人生

  “六月二日は夫の四十八回目の命日。その当時、夫の喪の明けぬうちに義父も逝ってしまった。二人の男手がなくなり、残された義母と小学生だった二人の息子、そして代々続いたお店があった。泣いている暇はなかった。義父の代からの店の人、さらに周りの多くの人々に助けられて、今日まで走り続けてきた。
 傘寿になり、ふっと立ち止まる気になった。旧東海道の宿場町、情緒あるレトロな街道で、半世紀近くもお米屋さんを続けてこられたこと、いろんな方々とのかけがえのない出会いがあった。頭の中を走馬灯のごとく駆け巡っている。これまで力を貸してくださった人々の顔、顔、顔。お客さまあってのことと、感謝の気持ちでいっぱいだ。一抹の寂しさを感じるのではあるが、お店を終える決心をした。
 仏壇のご先祖さま、そして夫に「これまで本当に楽しかったよ」と報告し、そっと手を合わせた日曜日の午後のひととき。しばらくは店の後始末などで忙しいだろう。でも、これは決して終活ではないんだ。第二の人生の出発のためなんだ。”(6月1日付け中日新聞)

 三重県亀山市の自営業・尾崎さん(女・80)の投稿文です。この投稿の尾崎さんは今月6月4日の【(「話・話」第2795話)関宿の新陳代謝】で紹介した人と同じ人です。ですからこの投稿はその続編ということになるでしょう。第2795話では関宿の新陳代謝と言われ、今回は「これは決して終活ではないんだ。第二の人生の出発のためなんだ」と言われる。80歳にして何と前向きな言葉でしょう。余生、余生というボクには驚くべき姿勢です。そう感じて続いて紹介しました。
 70代半ばになるボクには、人と会えば病気の話や亡くなった人の話に自然になってしまう。これではいけないと、話を他に移そうとしても、またそんな話しに戻っている。これがボクらの世代です。尾崎さんのようにはなかなか行かない。実はボクが余生、余生というのは謙遜してです。いつまでもオレが、オレがと言っていてはいけないと思ってです。ボクが元気な人ということは、会った人はほとんどそう思うでしょう。だから元気さは内に秘め、これ以上元気さを振り回してはいけない、と思ってです。でも、本当にこれでいいのだろうか、とこうした文を読むと迷いが生じます。


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