今年は6月にスタートした1学期の保育。例年なら5月ごろに見られる「ようちえんに いかない。」「ママがいい。」と泣いているお友だちが、6月の終わりから7月にかけて見られました。それまでお家の方に見守られ安心して過ごしていただけに、お家の方から離れることには大きな不安があるものです。それでも、幼稚園でお友だちや先生と共に過ごす楽しさを味わったり、お家と同じように幼稚園でも安心して過ごせることが感じられたりするようになると、だんだんと幼稚園に行くことが平気になっていくものです。子どもたちが安心して過ごしている所には、お家の方や先生たちの優しいまなざしがあり、見守られている子どもたちの心の安らぎとなっています。
そのまなざしは、神さまが人を見るまなざしとも似ています。
わたしの目にあなたは価(あたい)高く、尊く
わたしはあなたを愛し(ている)(イザヤ書42章4)
いつも共にいてくださる神さまは、すべての人ひとりひとりを、善い存在、尊い存在として認め、大切にしてくださっています。
このような、目には見えないけれど、自分を支え見守っている大きな力があることは、キリスト教徒だけでなく、古今東西、多くの人が感じてきたものでした。平安時代末期に生きた西行法師も
なにごとのおはしますか知らねども
かたじけなさに涙こぼるる(西行)
と、自分を支える何か知らないけれど大きな力があることを感じ、そのありがたさに涙がこぼれるほどだという歌を残しています。
神さまが私たちを大切にしてくださるように、私たちもまた周りの人たちに優しいまなざしを向けることが求められています。
あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、
親切と慈しみを込めて人に接しなさい。
あなたの愛が、表情や眼差し、微笑(ほほえ)み、
言葉にあらわれるようにするのです。(マザー・テレサ)
イソップ物語にある「北風と太陽」の寓話(ぐうわ)のように、相手の心に届く優しいまなざしが、頑(かたく)なな心を和らげていきます。また、
人の長所が多く目につく人は、幸せである。(松下幸之助)
と、さりげないことだけれど、このようにちょっと視点を変えることを通して、人と人との関わりを大きく変えることができるものです。
人の苦しみをやわらげてあげられる限り、
生きている意味はある。(ヘレン・ケラー)
コロナウイルスの蔓延(まんえん)で、新しい生活習慣が求められ、ゆとりがなくなっている今こそ、優しいまなざしを通して、社会全体が和んでいくことができるようにしたいものです。
(園長 鬼木 昌之)