(TxT)<戯れ言ですよ

とみーのにっき&おえかきちょう

スマイルプリキュア! 第44話 笑顔のひみつ!みゆきと本当のウルトラハッピー!!

2012年12月28日 | 視聴済アニメごった煮
7話のフラグをやっと回収かよ!

 そんな今回のお話は…
 ある日、みゆきは、すれちがった女の子の持っているペンダントを見てふと思いだすの…。
 それは、小さい頃、みゆきにスマイルの大切さを教えてくれた大事なお話…。
 引っ込み思案で、ずっとひとりで絵本ばかり読んでいたみゆき。
 そんなみゆきの前に現れた女の子がみゆきに教えてくれたのが、“いつもスマイルでいれば、ハッピーな出来事が待っている”ということ。
 みゆきが変わることが出来たのは、その女の子のおかげなんだ。
 そんな話をしていたら、さっきの女の子がお母さんとはぐれちゃったみたい!みゆきたちは、迷子の女の子のために一緒にお母さんを探すことに。
 でもそこにウルフルンが現れた!!
 以上公式のあらすじ。

 お話はみゆきが探している「ウルトラハッピー!」とはなんなのか?を語るお話ではあるのだが、正直、みゆきの幼少期の方が実に興味深く、お話としてはその幼少期を紹介するAパートとウルトラハッピー云々のBパートが繋がっている印象がなくて残念だ。

 結論から先に言ってしまえば、みゆきのウルトラハッピーは誰かの優しさであり、その優しさに触れた時の心の暖かさであるとし、これからは自分がもらったウルトラハッピーをみんなに分け与えたいとする。これが最終決戦への動機付けになっているわけだが、ちょっと弱いよなぁ。
 いや別にみゆきの出した結論が動機として弱いと言うわけではないのだ。言っていることは分かる、しかしその裏付けが足りないのだ。
 ウルフルンの攻撃を身に受けながら、これまでの回想シーンと共にみゆきが順序立てて結論を導き出していくのは良いのだが、ま、正直な話、そこまでの事をここまでにしてきてないよなぁ。だって思い返せばドタバタ劇していた印象しかない。だからここ最近のキャラの掘り下げを間に挟めと言っていたんだ。
 それにだ。確かにそれなりの話はあった。がしかし、それはプリキュアの皆さんとだけの話ではなかったか。
 みゆきの言う「優しさ」云々に家族はともかくとしても、クラスメイトや先生が絡んできた話があったろうか。いや、学校関係の話はほぼなかったと言っても過言でない。このスマイルプリキュア!はプリキュアの皆さんとの関係もそうだが、それ以上に他との関わりが薄いのだ。みゆきが言う程、クラスメイトや先生との印象的な出来事ってなにかありましたっけ?とか思ってしまって、せっかくの良いシーンなのに白々しさを感じてしまって乗り切れない。本来ならばグッと来る所だろうになぁと思うと残念だ。
 思うに、全体的な物語の構成として、ドタバタ劇が続く中でポツポツと突然の如くそういう話が差し込まれるため、段階を感じられないのが問題なのではなかろうか。
 例えばプリキュアの皆さんだって、考えてみればみゆきは転校してきたのであるからして、いくら最初にプリキュアという仲間になったからといって、その仲間関係にはやはり段階的なものが存在するのが自然だろう。
 プリキュア活動を続ける中で、みゆきのこんな部分を知る事が出来た、あかねにはこんな一面があった、やよいが普段見せない部分を知った、なおの意外な趣味が明らかになった、れいかの幼い頃が語られた、というような事があって、それを踏まえた上での付き合いがその後からはじまり、それぞれの理解度が上がっていく過程が見えるから、5人が強固な絆を示すことに無理がないのだ。しかしそういった過程がこの終盤までは見られないので、今回のみゆきの台詞が降って湧いたように感じられてしまう。
 一緒にみゆきと回想して、こういう事もあった、ああいう事もあったと思い返すのはもちろん、あの話の時にこのふたりは随分距離が縮まったよなとか、あの時に全員深い部分まで踏み込んだよなとかいう画面に映し出されていること以外を思い返せるようなことがあれば、みゆきの気持ちが爆発してハッピーがパワーアップすることへの高揚感にも繋がったように思う。
 クラスメイトにしたって、何かあったかと言えば文化祭のことくらいしか思い浮かばないのだから、ここでクラスメイト云々言われてもピンとこない。そう考えると、初代プリキュアで主役のなぎさには同じプリキュアのほのか以外に、しほりーなという普通の友達がいたことは実に上手く考えられていて、彼女らがクラスでなぎさに何かしらの情報をもたらしたり、一緒に部活をしているというだけでも、プリキュアという非現実と対をなす、なぎさの大切な現実を感じられるのだから上手く作ってあったと言える。
 対してこのスマイルプリキュア!はドタバタに終始していることが多く、楽しくはあるのだけど、他者との繋がりが希薄なのは実にもったいない。やっぱり現実(物語上としての現実)があってこそ非現実が光るというもので、みゆきたちにはそれなりの現実との繋がりを見せて、4クール物の長丁場だからこその積み重なりがあっての今回であってほしかった。

 今回は戦闘でも「もうちょっと突っ込めよ」と思う部分があって、それはウルフルンが自分はもとより一匹狼だとか、ジョーカーに「昔に戻りたいのか」と言われたこととか、仲間云々をくだらねぇと随分執着していた様子から、昔は同じ仲間がいて(そもそも狼は群れるものだしねー)何かしらあってつまはじきにされ、仲間を信用していない、もしくはそういうことを踏まえ、仲間という関係に飢えている裏返しであるように感じられたので、幼い頃は引っ込み思案で孤独を体験し、人の気持ちに敏なみゆきとしては、ウルフルンの気持ちに気付いてもおかしくなかったように思う。
 まぁウルフルンのことに関しては、本当にそういう設定かどうかは知らないので、まぁなんともではあるんだけど、見ていてちょっと異常なくらい頑に仲間云々を否定するので、みゆきはどうしてそこまで否定するのか?と悲しい顔で問いかけるくらいのことをしても良かったように思います。
 みゆきたちは理解しようとし、歩み寄ろうともしたが、結局平行線で終わってしまった。ということがあれば、後にあるであろう三幹部との決戦の中で、交わらないからと言ってただ消し去るというふうにならなくするためにもいい展開のような気がしますが、はてさて。

 文句ばっかり言ってきたのでここからは良かったことを。
 上記しましたが、みゆきの幼少期のエピソードはとても興味深く、もっと詳しい描写と長い尺で見たかった。
 父の仕事の関係で少しの間だけ祖母の家で暮らしていたみゆき。今と違って引っ込み思案だった彼女は家から出ずにひとりで遊んでいた。そんなみゆきに祖母は「笑う門には福来ると言って、笑っていればきっと楽しいことがやってくるわ」と小さな手鏡を与える。
 わざわざ祖母がそう言って手鏡を与えるのだから、家でひとり絵本を読みふけっていたみゆきが笑顔を見せることが少なかったのだろう。ただでさえ引っ込み思案な彼女が知らない土地へ来て、家に閉じこもってしまうのも無理のない話だろうが、そんな孫を思っての祖母の行動は、今見返してみるとこれはフラグとしてふたつの意味を持っている。
 ひとつはこの手鏡をきっかけにみゆきが外へと出掛けることとなった事。引っ込み思案でずっとひとりでいたみゆきが、どうして外へと出て行こうと思うに至ったのであろうか。劇中でみゆきは「何故か勇気がわいてきて」と言っているが、勇気がわいた理由があるはずだ。そこを読み取らなくてはならない。
 今でもけっこうなピュアである彼女であるから、小さい頃はさらにもっと純真であったろう。大好きな祖母が言ってくれた事、そしてもらった手鏡で笑顔を作ってみて、祖母の言う通り笑って外に出れば楽しい出来事がきっとあるのだと信じたのだ。胸にぶら下げたお守り代わりの手鏡もある。その時のみゆきに不安は全く無かったはず、だから外の出たのであろう。
 意気揚々と歩くみゆきであったが、ついに同じ世代の少女たちと出会う。見かけない顔に興味津々の少女たち。家族以外の他者との初めての接触。元来の引っ込み思案のみゆきは他者との接し方が分からないのだ。
 胸に下がっている手鏡を見せてと手を伸ばされると、みゆきははっとして手鏡を握りしめ逃げ出してしまう。おもしろいのは鏡を見せてといった娘の口元しか画面に映っていないのだ。これはみゆきの目線なのだろう。突然の遭遇にビックリしてしまったみゆきは、その子の顔を見れなかったのだ。悪気のない笑顔であったと思うが、見れなかったみゆきにはそれが分からなかった。だから手鏡に手を伸ばされた時、祖母からもらった大切な手鏡をとられてしまうのではないかと疑念を持ち、また恐怖してしまった。だから逃げ出したのである。
 しかし、たどり着いた林の中でみゆきは童話白雪姫のように手鏡に「鏡よ鏡よ鏡さん、私のお友達はどこですか?」と問いかける。ひとりでいる事が苦ではなかったみゆき。だが外へ出て自分と同じような子供達がいる事を知り、みゆきは初めて自分が孤独であると認識したのだ。孤独である自分、友達ひとりいない自分にとても悲しくなってしまった。そんな彼女に救いの手が差し伸べられる。
 みゆきの問いの呼応するかのように手鏡に光が差し込みあたりを照らすと、みゆきの前にひとり女の子が現れ、優しく風が吹き抜ける。
 大きなお友達としましては、現れた少女がヒトではないとすぐにピンとくる。それと同時の熱心にこのアニメを欠かさず見てきた身としては、7話でプリキュア秘密基地を作ろうとした際のみゆきや、27話でプリキュアの皆さんを助けてくれた祖母の宝物たちを思い出す。そう、これが手鏡のふたつ目のフラグなのだ。
 祖母がこの土地を愛し、また愛されていることは27話で証明済みだ。みゆきがそんな祖母の縁者である、ということの証明がこの手鏡なのだ。祖母の縁者である小さなヒトの子が悲しみ涙しているのを見て手を差し伸べた。そしてこの不思議な少女と友達となり遊んだこの場所こそ、7話でみゆきがプリキュアの皆さんを連れて行った場所なのだ。
 この3つの話、どれもけっこうな間があるのが難点ではあるが、この44話で繋がりを見せ、基本的にはひとつひとつのお話がボトルショーとなっているこの物語が、ちゃんと大きくひとまとまりである事を示している事もさることながら、星空みゆきという人物のひととなりを感じられる。
 この不思議な少女と友達となり、外へ遊びに行き笑顔が多くなったみゆきは、その少女と遊んだ事を絵日記のように描いて一冊の絵本を描き上げる。それを一緒に見ようと外へ出掛けると、最初に遭遇した子供達と再会し、怯んでしまうみゆきであったが不思議な少女の「笑って」という声が聞こえた気がしたみゆきは、笑って「こんにちわ」と声をかける。
 とても満面の笑みとは言えない不格好な笑顔であったが、少女に優しく背中を押され、引っ込み思案なみゆきが絞り出した精一杯の勇気であることが見て取れる。
 明るく返事を返されみゆきの元へやってくる子供達は、彼女の持つ絵本に興味を示し、それがみゆきが描いたと分かると見せてと言ってくる。勇気を出して一歩踏み出したみゆきは最初と違って子供達の顔を見ることが出来た。絵本をどうこうされる心配はなかったのである。
 こうして新たに友達を作ったみゆきであったが、それを境に不思議な少女と会えなくなってしまう。みゆきは彼女を鏡の妖精だったのではないかと思っているが、27話を踏まえて考えると、それは土地神のようなものだったのではないだろうか。もしくは、鏡に意味があったとするならば、鏡に映ったみゆきの一緒に遊べる友達が欲しいという心を投影し、不思議な力が具現化した存在だったのだろう。ともあれ、友達が欲しいというみゆきの願いのもとに現れた少女は役目を終えたのだ。
 おそらくはたった数日間くらいの出来事であったろうと思うが、その短い時間の中で、祖母が言っていた事が本当であり、笑顔で一歩踏み出す事の大切さを知り、友達ができて、そして出会いの嬉しさと別れの寂しさを知った。引っ込み思案だった幼いみゆきの心に大きな変化をもたらしたのと同時に、今のみゆきを形成する最も根底である事が分かる良いエピソードであった。こういう事があったから、今のみゆきをみゆき足らしめている、と思わせてくれました。
 まぁそれだけに、7話、27話、そしてこの44話の間に、みゆきらしさが垣間見えるエピソードなりが欲しかった所で、例えば未知なる事に率先して一歩踏み出そうとする様子であったり、みんなが意気消沈する中でひとり明るく振る舞ったりするなどして、今回判明するみゆきの根底に繋がる要素を先に置いておくべきだったように思い、やっぱりちょっともったいないような気がします。

 なんか話を逆順に振り返る感想になってしまいましたが、なんにせよ、全体を振り返るとやっぱりドタバタが多過ぎた感がありますな。ひとつひとつのお話がボトルショーになり過ぎたと言ってもいい。
 大きなお友達としては、プリキュアの皆さんがどういう関係を育んでいくかを楽しみにしているわけだが、メインターゲットに随分好評であることを考えると、まぁ間違ってはいなかったのだろう。しかし個人的にはやっぱり深みみたいのが足りなくて物足りないのが残念だ。

今週のまたみてねとぴかりんじゃんけん
 今回のまたみてねは「キュアハッピーとウルトラキュアハッピー」でした。あれ?なんか映画とティアラの形が違うんですけど……。
 さて、ぴかりんじゃんけんの方ですが、まぁ当然これまでの流れからいってあるわけもなく。戦績は変わらず34戦17勝12分5敗(1反則勝ち)のままです。
 でもまぁさすがに次回は変身バンクがあるはずなので、久々に対戦できそうなのですが、次回は年明けなので、もうバリバリクライマックスですよ。予告でウルトラキュアハッピーになっているし。
 ということを考えて、ぴかりんじゃんけんも次回が最後かもしれませんねぇ。次作ドキドキ!プリキュアのメインビジュアルも発表されたことだし、なんか寂しくなるなぁ。


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