みなさんいかがお過ごしでしょうか。
ここ北陸も梅雨入り宣言してましたが、その割に雨は降らない。
なんかあちーね。
つい先日、米沢英雄という方の本をおすすめされ読んだ。
「現代に忘れられたもの」という題で彼の講演録のものだから読みやすくすっと読めたのだが、
私がそうすっと読むというのもなかなか珍しくもある。
本をほとんど読まないこともあるし、なかなかおすすめされたから読めるわけでもなく、、といった感じなもので。
米沢英雄という方は明治42年生まれの医学博士なのだが、そんな彼は医学の面からお話するわけでもなく、
ただ彼のそのままの視点から人間教育についてお話してくれている。
人間教育なんて言ったらどんなこっちゃいと敬遠してしまうかもしれないが、なんというか、、。
もっと率直に言えば、人間は人間だけど実を言うと自分と呼べる人間のこともこの世界のことも何も知っちゃいないのに(何も知っちゃいないってこともないか、)何もかもわかってしまっているかのように生きてしまっていて、学問的な教育ばかり重視されている今の現状に疑問と問いを投げかけているわけであります。
と、解釈してみた私なのでありますが、、。
こんなふうに一文で済ましてしまうとなんとも薄っぺらそうなものに聞こえるかもしれないから、私の言葉を丸呑みしないでもらえると有り難い。
読みながら率直に感じるのは、なんかうれしい、という気持ちだった。
さわやかな気持ちになって、気持ちよく喜ばしい、というのか。
どうしてそんな気持ちになるのか自分でもちょっとそれを説明するのは難しいし面倒でもある。
なんだろな、多分この本を読むことでまた戻っていける、帰れる、そんな気がするから多分戻りたくなったり、
戻ることがどういうことかわからなくなったときに、これを読んだら再びその感覚に近づけるという気がするからうれしいのか。
その感覚ってのがなんなのかよくわからんけれども、私にとってとても大事で必要な気がする。
何を言ってんだというくらい実に曖昧なことを言っているのはわかっているけれど、ことばにあらわすには自分でもまだよくわからない。
なんというのかね、このおおきな不思議さと出会える感覚なのかな。
それがうれしいのはなんでだろうね。
ふーむむ。
庭の丁字草