ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

松本大洋と岩明均。

2014-04-22 15:58:46 | 本とか記事とか




漫画の話。


漫画ってやっぱしすきだがんす。
多分読もうと思えばずっとぐうたら読めちゃうのだす。
けれどその中でも、すききらいもあるさね。


今回はこちらをご紹介したいと思うです。



作者:松本大洋


この方の漫画すきだわす。
絵もすてきやし、ひとつのコマがひとつの額に入ってるような絵みたいなときもあるし、台詞もそんなやし、漫画っぽくないときも多い。
絵と詩、みたいな。
けれど、あの独特の雰囲気がこっちを松本ワールドにワープさせてしまうものがある。


作品では、
例えばこれ。




ピンポンという漫画で、映画にもなっているし、最近アニメ化しているみたい、まだ見ていないけど、それは見たいからやっぱり見る予定。
映画では、ペコが窪塚洋介、スマイルがARATA、ドラゴンが中村獅童、というキャストでしたね。




他にはこれ。




花男という漫画。
なんかアホだけどみんなから親しみをもたれる父ちゃんと勉強ができる優秀で人からは敬遠されがちな息子のふたりの暮らしの話?。
それがなんだかじんわりきちゃう、ある意味結構きれいな話なんだけど、ああいうきれいな話を見せてくれるのってそんなにないとも思うのよね。
自分で持ってておきたくなる漫画だすね。



他にもたくさん書いてて、何作か読んだけどまだ読んでないものもあるのでやんして、それを読みたい、読まねばと思っているのでやんす。
Sunny、だとか、ZERO、だとか、、、ぐーふーふー(ドラえもん風)。






あともうひとり紹介。

作者:岩明均



この人の描く漫画は、、と言っても何作かしか読んだことないけど、なんか妙にはまらせてしまうのです。
私の場合、絵はそうだな~独特で最初は入りづらくもあった。
けど、それがどんどん読み進めていくうちにこういう絵だからこそ出てくるリアル感というのか、どきどきと自分の心音がそこにあってその場の空気を吸っているような気にさせる。
話の流れはとってもそのまんまっちゃそのまんまで、スムーズというのかな、するりと読ませる。
しっかし、この人の描く人間を見ていると、人間とは一体なんなんだろうとか、この社会は、世界は、生物は、地球は、宇宙は、と色々日々あんまり意識しないことを問われる。
それはある意味読む人を責めているような、描いてる本人が自分を責めているような突き詰め方も時にはされる。
そのもがきを垣間見るような見ないような、、見るような。
とにかく読み出したら止まんないくせに、ちょっと読み進めるのがもったいなくもなるっていうね、あるよね~。



私がこの人の作品で初めて読んだのがこれ。




苦手な人は苦手だと思う。
けど、初めて読んだときはこんな漫画があったことを今まで知らずにいたなんて!がちょちょーーーん!てくらいだった。
それくらい衝撃は大きかった。
なんかね、ストーリーはね、、、説明しようと思ったけどちょっとうまいこと言えそうになかったものやから、ウィキペディアから引用。


↓  ↓
謎の寄生生物と共生することになった、平凡な高校生「新一」の数奇な運命を描く。物語は人間の頭に寄生して人間を食べる『寄生生物』側、最初は捕食されるがままであったが後に反撃に転ずる『人間』側、そしてその中間者として存在する『新一とミギー』側という三者の構図で成立するが、話の焦点は新一に置かれている。


ミギーというのは、この新一という主人公と彼の右腕だけにしか寄生できなかった(いわば失敗した)寄生生物、その彼を右腕にちなんでミギーという名前になった彼のこと。
その寄生生物、パラサイトとも呼ばれるが、彼らは高い学習能力によって言葉や知識を急速に獲得し、人間社会に対応していて、
ミギーがどんどん学習していく様を見るのが大きなたのしみのひとつだと思う。
ミギーがどんどんかわいく見えてくるもんだから、おかしなもんで。


ウィキペディアを見て初めて知ったのだけど、今年中に映画化するらしいではないですか。
しかも新一役に、染谷将太。
彼の独特な雰囲気すきやからうれしいな~とも思うけど、ーー化はあんまし好まないと思いつつ、いいやつはいいからな~。





あと、昨日読んだのがこれ。




話の展開がすーっとしているよね。
あんなどでかい話をしていたかと思うと、するっと小さくもできててふしぎに自由自在な感じ。
うーん。
最終巻の終わりの内田樹さんの解説がまたおもしろかった。
割愛させてもらって書かせていただきますと。


 ーーー
 ーーー僕はこのところずっと「センチネル、歩哨」という人類学的な装置について考えてきていて、岩明さんのマンガもまたどうやら「センチネル」を描いているように思える。
 センチネルというのは、人間的な尺度では理解できない法則が支配し、人間的感覚では感知できないものたちがうごめく「外部」と人間たちの世界を隔てる境界線を守るもののことである。センチネルの仕事は境界線の無効から侵入してくる「何ものか」を感知し、触れ合い、対話し、交渉し、できることならなるべく波風立てずに「お引き取り願う」ことである。太古から、すべての人間集団は、この職能を担うものがいた。センチネルがいないと人間集団は維持できないからである。
 ーーー
 もう一つ岩明さんの「人間と人間ならざるものの共生」の特徴は、岩明さんが描くセンチネルたち(「寄生獣」の新一、「七夕の国」の南丸くん)の「肩の抜け方」である。脱力感と言ってもいいし、ノンシャランスと言ってもいいし、「気楽さ」と言ってもいい。たぶん、岩明さんは、「力まないこと」がセンチネルにとって必須の資質なのだと知っているのである。
 だって、センチネルたちは人間の世界と人間の条理が通らない世界の「あわい」に立っているのである。人間的な条理だけで話を進めてゆけば、自分が投じられている状況の意味も、自分が果たすべき仕事も、何もかもわからなくなる。それでは仕事にならない。ーーーあるがままを受け容れ、外界から到来するものの発する信号を受信し、その波長に同調し、響き合い、和音を奏でる。「非人間的なもの」は知性的には理解できないし、受容できない。それは生身の身体でしか受け止めることができない。人間的条理のさらに一段階深いところに、身体的な条理が存在する。「生物的な条理」と言ってもいい。知性的には飲み込めない事態でも、生物である限り、細胞レベルでは飲み込むことができる。「原始のスープ」の中を泳いでいた頃に、人間の祖先である単細胞生物たちは要録隊やミトコンドリアのような異物を受け容れ、共生を始めた。それによって生命は現在のようなかたちになった。だとすれば、私たちの生物学的組成の深層には「人間ならざるものとの共生」を受け容れるための回路がまだ残存しているのである。
 センチネルとは、おそらくそのような太古の生物の記憶をいまだに体内に色濃く残している個体のことである。そして、センチネルについて物語を語り継ぐ作家たちもまたそうなのだと僕は思う。



ちょっと抜粋どころか、ってくらい書き出しすぎたかもだす。

んま、ええやんけ。




そんな感じで~~、
最近彼のマンガで最も興味があるのは、「ヒストリエ」というもの。





これはー、紀元前4世紀のギリシアやマケドニア王国・アケメネス朝ペルシアを舞台に、古代オリエント世界を描いた作品。なのでありまして。
んーーー、これはね、ほんとに読み始めてまだ数巻なのですが、必見て感じだね。
面白くて読み進めるのがもったいないくらい。




そんなこんなで近況のマンガ話はこれにて終了。







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