ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

いま。

2012-03-14 15:47:18 | 日記





昨日今日とバイトが休みなのであった。
そんでもって、昨日小学校から高校までずっと一緒だった友達が私の家に泊まりにきていて。

というのも、こっちでの企業の説明会のために来ているのだけど、それはっどっちかと言うとついでで、
私がこっちにおるから来たというのが正しいと思うのだけど。


その友達とは高校出てからばらばらに遠くにいるため昨日会ったのも1年ぶりくらいで、連絡もほっとんどお互い取らないしって感じなのだけど、
1対1で話したいと思える数少ない私のお友達である。



彼女と話しだすとこれはこれは他の子とはできないような話を延々としてしまう。
無言の時間はほとんどがシンキングタイムと呼べるくらいしゃべりっぱなしで、
その会話の内容と言えば、かわいげなんて全くない女の子らしからぬ、もんのすごくもんもんお互いが考えて話して
それにまた相手が考えて話して、、みたいな感じで、、。

もんもんするだけで別に何か答えが見えるわけでも正解を求めているわけでもなくて、
ただお互いがそのテーマについてとことん話す、という感じ。



お互いこんなこと話せる人いないよ、大抵「は?」と言われたり、
「深いね~」なんて言われてしまったりして話そうとも思わないことで。
だけど、この子だったら聞いてくれる何でも聞いてくれるっていうのを感じているだろうからこそ、
お互いが気兼ねなく思うことを話せるんだろうなぁ。

それは別にそういう会話ができることが全てだともそれができることが一番だとも思っていないけども、
単純にそういう話をする二人が集まったからこそとことんしてしまうんで~~ってな感じだと思うのだ。


そういう話をしていると自分の中だけでもんもんするだけじゃ出てこないような発想というのか、
考えが出てこないものを相手が話してくれるから、いつだって相手の口から出てくることばが新鮮で楽しい。
あーそこついてくるか、自分じゃそういう考えには至らないなぁってつくづく思う。


昨日夕方にこっちに着いてからというものの、外が朝の光で明るくなりだすころまでずっとしゃべりどうしで、、。
こんな人に出会えたことはとてもとても多分すごいことで、嬉しいことで、自分はしあわせもんやわと思う。



そして人と2泊3日ずっと一緒にいた時間はすぐ経ってしまうもので。
さっき彼女を駅まで見送ってきた。
またいまから私はバイトの生活が始まる。



会いたいと思うから会うんだよな。
会いたいと思わなかったら一生会わないことだってあるんだよな。
それってちょっと考えるとすごいことだなって思って、私は高校までみたいに彼女とは毎日
会うということが普通であったときにはもう戻れなくて、会うことが一大イベントのようになってしまった。
それは悲しいことなようで、いまとなってはどうしようもないこと。
いま高校に戻ったとしても毎日気持ちを大事にしようとしてもまた同じように
軽く「バイバイ、また明日ね」と言って手を振るのだと思う。

それはいまの大学の友達とも同じことが言えて、あと1年間だけどさも当たり前のように
毎日会うことができる環境にいて、同じことを共有しながら過ごすことができると思っているからこそ、
一日一日を真剣にこころから大事にとか、この友達といる時間を大切にと思おうとしてもできるものじゃないと思っている。
気持ちとしてはそうありたいとも思うのだけれど。



高校のときのと同様にあんだけ毎日会えていたのに、いまとは大違いだ、あのときはそういうこと何も思わず
過ごしていたな、と、、だからと言って、その毎日を後悔するわけでもないし、
あの日々はそうやって同じときを楽しく笑って過ごしていたって思えるならそれでいいんじゃないかなと思う。
いまの大学の友達ともどうがんばって大切にこの瞬間を思おうとしても、
未来の私は結局また同じように大学のときあの仲間で笑い合ったあの時間はあのときしにしかないものなんだって
思うだろうし、いま想像するその気持ちよりも遥かにその気持ちはさみしかったりなつかしかったりする気持ちなのだと思う。


いまそんな未来の私のためにできることってのはそうあるようでそうできるものじゃないのかもしれない。
いまの私がこうしたいと思ったり、色んな気持ちを抱きながら過ごすのがいまを生きている、ってことそのままなのかもしれない。
いくら先を思っても過去を思ってもそれはそのときのいまでしかないし、もうもういまがずっと終わってずっと始まっている、
そんな中に身を置いて生きているんだな、とか思ったのでした。
よくわかりにくいこと言ってるのかもしれない。