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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

鉄路の光と影

2010年03月12日 23時00分00秒 | 日常

(画像:矢岳はるかに)

吉松駅の構内から人吉方面を。
右が都城へ向かう吉都線、左が人吉に向かう肥薩線。
肥薩線は構内を出て、左にカーブをしながら早くも上り坂に差し掛かるのが分かります。
ここから正面奥に見える矢岳の山へ向けて、胸突き八丁の上り坂。

人吉方面へ走り出した「しんぺい2号」は、鬱蒼とした雑木林の中を走る。
短いトンネルをくぐる毎に、車窓からはえびの盆地が離れて行くようだ。
急勾配を登るディーゼルエンジンの音をバックに、沿線案内の車内放送が流れます。
吉松を出て四つ目のトンネル、第二山の神トンネル(617.7m)にさしかかり、車内放送が悲しい物語を紹介し始めた。

昭和20年8月22日の事です。
終戦直後の混乱の中、人吉行きの列車が、すし詰めで吉松駅を発車します。
客車の屋根に乗り、デッキにしがみつき、我先にと故郷を目指し列車に乗り込む人々。
客車6両だけではとても客を乗せきれず、貨車を6両足した混合編成12両の列車は、貨車まで乗客であふれていたそうな。
矢岳越えの急勾配を見越し、前と後ろにD51を連結した編成であったのだが、
定員をはるかに超える乗客数と、戦時で極限まで悪化した石炭の品質によるパワー不足はどうしようもありません。
ついに、この山の神トンネルの中に後部補機を残したまま立ち往生をしてしまいます。
先を急ぐ乗客で貨車までぎっしりの劣悪な環境の中、トンネル内で蒸気機関車の煤煙と蒸気の猛攻を浴びてはたまらない。
苦しみから逃れようと乗客たちは次々と列車から飛び降り、真っ暗なトンネル内を外へ向かって歩き出します。

前務機の機関士は、後部補機がトンネル内で立ち往生したのに気付きました。
このままでは、後部補機の機関士達が窒息してしまう危険がある。
「一刻も早くトンネルから出してやらねば…」そんな思いだったのでしょう。
前務機の機関士は、機関室の逆転機のレバーを引き、列車をバックさせて後部補機をトンネルの外へ出そうとします。

熱さから逃れるため、新鮮な空気を求めて次々に線路を歩き始めた乗客たち。
その乗客たちに襲いかかったのが、後部補機の機関士を救おうとした列車でした。
狭いトンネル内で、大勢の乗客が逃げ場もなく次々となぎ倒され、列車に挟まれ、車輪に轢かれ、命を落としました。
死者は49人とも56人とも言われますが、戦後の混乱期であり数字にブレがあるのは致し方ないのかもしれません。

「しんぺい2号」は、あっという間に第二山の神トンネルを通過します。
その出口右側に、「復員軍人受難慰霊碑・えびの市」と書かれた碑が建っている。
鹿児島には鹿屋や知覧などの本土決戦に備えた南方守護の基地があった。
そのため、乗客には復員兵の人たちが多かったらしい。
犠牲者の出身地は27都道府県に及んだそうだ。

「戦争終結によって、やっと命を取り留め夢にまで見た故郷の土を踏む前に、
肥薩線第二山神トンネルの枕木を赤く染めて散って行った兵士たちの心情を察するに余りあるものがある」

吉松駅隣の資料館には、この事故を詳細に紹介したパネルの言葉。
車窓から眺める、鬱蒼とした森の中のレンガ巻きのトンネルに合掌。
肥薩線100年の歴史の、壮絶な光と影です。

 

列車は一つ目の駅、真幸(まさき)駅に到着。
熊本・鹿児島・宮崎の三県の県境を行く矢岳越えの中で、ここは肥薩線唯一の宮崎県の駅。
上部右の写真で分かります通り、この駅はスイッチバック駅。
写真左奥から登ってホームに入り、中央奥の引き上げ線へ戻り、右側の本線をさらに登って行きます。
形にすると「И」の字を描く訳ですが、この文字、ロシア語だと「イー」と発音するらしい。
ちょっと賢くなったw



山の神トンネルの悲しい話に少し神妙な気分でホームに降り立つ。
ホームは2両編成の列車が止まるにはあまりに長く、その長さがかつての幹線であった風格を物語ります。
「真の幸せ」と書いて真幸駅には、「幸せの鐘」と言うモノが設置されていて、
ホームに降りた乗客がかわりばんこに鐘をカーン!カーン!と鳴らす。

ちょっと幸せの人…1回 もっと幸せを願う人…2回 いっぱい幸せな人…3回

鳴らす基準はこのようになっているそうです(笑)。
見てたら、意外に3回鳴らす人は少ないものですなw
日本人、奥ゆかしい。

発車時間間際になると、アテンダントの女性が「お連れ様はいらっしゃいますか~!?」と車内に声をかけて回る。
駅に着くたび降車時間を設けては色々思い思いに見学してもらい、時間までに戻ってきてもらう。
それだけにアテンダントの注意もバスツアーのようなのだが、バスツアーの良さを取り入れた列車が「いさぶろう・しんぺい」なんでしょうね。
超閑散線区だけに出来る事なのだが、それだけに乗り遅れはタブー。
次の列車は2時間来ないからねえ。

乗客が全員揃って、列車は真幸駅を発車。
引き上げ線へ入り、右手に真幸駅をもう一度見ながらエンジン全開。
地元のおばあちゃんが手を振ってお見送り。
いよいよ列車は矢岳のサミットへ向かいます。
 

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旅は鉄道の街から

2010年03月09日 22時00分57秒 | 日常

(画像:モーニングフライト)

ほいじゃあぼちぼちと今回の宮崎旅行に付いて触れて行きたいと思いますが、
なかなかゆっくりと書いていく時間もないので上手く伝わりますかどうか(笑)。
今回はやたらと朝早くて安い便を取ってしまったせいで4時起き。もちろん始発ですら間に合わないので羽田までは車で。
川崎の浮島にある民間パーキングから送迎して貰ったんだが、飛行機を安くしても二泊三日で5,000円取られてちゃ本末転倒だなと。
まあ今回スーツケースとか色々荷物が多かったんで帰りとか楽っちゃ楽でしたが。

 宮崎までは約2時間弱のフライト。
飛行機は久々だったが、そのせいか妙に緊張してしまい自らの肝の小ささを露呈w
スカイネットアジアって初めて使ったけど、機体が古くて小さいのが安さの秘密なんだろうなあ。
気持ちを鎮めるために音楽でも聞こうかと思ったらイヤホンとかもないし(笑)。
どこぞのお古の飛行機は、左に青島を見ながらやたらと機体をフラフラさせつつ宮崎空港に着陸。
飛行機の外に出た瞬間、明らかに関東とは違う空気のむわっと感に南国を感じます。

予約してあったレンタカー屋で手続き。今回はトヨタのヴィッツでした。
宮崎インターに向かう道すがらのフェニックスの並木がいかにも宮崎!だね。
今日は宮崎市街には用はないので、早速宮崎自動車道に乗りえびの市方面を目指す。
宮崎から都城へ、左に霞んだ霧島連山を見ながら高原、小林、えびの。
約100kmなんだが車の数が圧倒的に少なくてストレスフリー。
そう言えばミンスの施策により宮崎~えびの間は無料になるらしいな。
俺が来るまでにやっとけっつ~の(傲慢)。

今日はまず肥薩線の「いさぶろう・しんぺい」号に乗るため吉松駅までやって来た。
えびのは宮崎県だけど、吉松駅は微妙に鹿児島県に入ります。
旧鹿児島本線であった肥薩線と、旧日豊本線であった吉都線の接続駅。
いかにもな国鉄風味の駅舎、広い構内には昔は機関区もあったそうで、鉄道の街として栄えた日々を偲ばせます。

明治後期に官営鉄道として肥薩線が全通してから約100年余。
住民のみならずお国の悲願であったはずの鉄道は、今や地方に行けば行くほど車社会な現実に利用する人の数は減り続けている。
それでも熊本~八代~人吉には「SL人吉」、人吉~吉松には「いさぶろう・しんぺい」、吉松~鹿児島には「特急はやとの風」と、
いずれも特別な車両をあつらえたJR九州の姿勢は素晴らしいんじゃあないですかね。
今はローカル線の肥薩線ですが、かつては南九州へのエース路線として明治から培われた歴史がある訳です。
その魅力に気付き、掘り起こし、観光ルートとして整備した訳だ。
まあ、鹿児島からは便利な九州新幹線でお帰り下さい!って事でしょうが(笑)。

吉松駅の駅前には、小さいながらも鉄道資料館なんかもあって整備されております。
そしてお隣りは軽食や喫茶、お土産なんかを扱うSL会館と肥薩線で活躍していたC55。
帰りに寄って行こうっと。

  

吉松駅で並んだ「はやとの風2号」&「しんぺい2号」。
ホームには今時珍しい立ち売りの駅弁おじさんもいたりします。
なんでも肥薩線を観光路線にするために、廃止された駅弁売りを復活させたんだとか。
徹底的に「鉄道のよき時代」にこだわった、これも一つのアトラクションなんでしょう。

  

「いさぶろう・しんぺい号」に使用される車両は非電化ローカル線の雄キハ48を改造したキハ140型。
漆を思わせるえび茶色のボディに、渋焦げ色の木目も落ち着いた内装。
車体中央に大きな展望窓付きのフリースペースを配し、車窓風景を存分に楽しめる作りになっている。
ワンマン運転ではありますが、道中の案内役として女性アテンダントも二名乗車。
行く先々で説明を加えてくれます。

平日ではありましたが、折しも近所の幼稚園の遠足にぶつかり車内は満席。
人吉まで行くらしいが、思えばすごく贅沢な遠足だな(笑)。
心なしか新幹線がプリントされたリュックサックを持った子が多いようなw

肥後と薩摩の分水嶺は、古くから「矢岳越え」と言われた肥薩線の難所でありました。
古くはSLが、特急おおよどが、急行えびのが南九州を目指して越えた山々を、
昔日の面影を辿りながらゆったりゆっくりと人吉までの旅は一時間強。

出発はちょうど昼前、立ち売りのおじさんから駅弁を一つ購入。
「しんぺい2号」が鉄道の街・吉松駅を出発します。

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帰宅報告

2010年03月08日 00時18分44秒 | 日常

  

(画像:WEST KYUSYU RAILWAY'S JAPAN)

えーっと、さっき無事帰って来ました。
さすがに疲れましたけど、やりたい事を全てやれましたんで満足感はあるな(笑)。
惜しむらくは天気にあまり恵まれなかった事くらいでしょうか…

上の画像を見れば、私が何をしてきたかは一目瞭然かとは思います。
いや~、九州の鉄道ってのは手段じゃなくて目的であって、非常にアクティビティですね。
堪能してまいりました。
今回の三日間で相当画像を溜め込んだんで、どこまで紹介出来るかわかりませんが、
まあゆっくりネタを披露して行くこととしましょうかねえ。
今後はさすがにここまで遠くへの遠征もしばらくないだろうし…

ともかくお疲れ>自分。

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バブルの遺産から

2010年03月07日 07時11分07秒 | 日常
(画像:ガイアの夜明け)

昨日の昼に無事宮崎空港で皆と落ち合いシーガイアへ。
友人の式も披露宴も無事に終了したのだが、夜中の1時まで飲んでたから多少頭が痛い(笑)。
ホテルの部屋の窓から望む朝の日向灘、残念ながら見事なまでのどん曇り。

いや~しかしシーガイアのホテルの作りは凄いですな。北のトマムに南のシーガイア、日本のバブルが生み出した最強で最凶なリゾート開発って事でしょうか。空港から乗ったタクシーの運ちゃんに「シーガイアって一回破綻してるんでしたよね?」って聞いたら「三回潰れとる」とか言ってたけど(笑)。宮崎市内ですら10階建ての建物があるかどうかって感じなのに、忽然と現れる「シェラトングランデ・オーシャンリゾート」。昨日の披露宴なんか最上階(地上43階)でやったんだけど、ビルが高すぎて微妙に揺れるのがリアルに嫌でした(笑)。まあ飲んじゃったら揺れてるのか酔っ払ってるのかよく分からなくはなったけどw

昨日は気温が24度まで上がり、夏を思わせる春の宮崎。
今日は最高気温12度とか…
夕方のフライトで帰りますが、それまで何をしようかなっと。
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肥薩に開け、明治の扉

2010年03月05日 17時36分52秒 | 日常
(画像:大畑駅)

朝4時起きで宮崎まで来た。
画像を見て探偵!ナイトスクープを思い出した人間は挙手。

二年前に八丈島に行って以来の飛行機搭乗だったが、やっぱり飛行機ってあんまり好きじゃないなあ(笑)。宮崎へはずーっと海の上を飛んで行くので景色にメリハリがないし、何より地に足が付かない所は好きじゃないのよね。飛行機慣れてる人には全く揺れてないって部類に入るフライトだとは思うんだけどさ。寝台特急「富士」が宮崎まで行ってたら確実にそちらを選んだと思いますw

今日は一日肥薩線のいわゆる矢岳越えを「いさぶろう&しんぺい号」でバッチリと。
地元の幼稚園児の遠足と乗り合わせてしまい、うるさかったら叶わんなあと思ってたんだけど、「カメラ撮って撮ってぇ~!」とせがまれつつ求めに応ずるがまま、「スイッチバックだあ!」とか「トンネルだあ!」とか賑やか賑やか。途中から一緒になって和気あいあいと引率の先生気分で、田舎のガキんちょは屈託なくていいねぇ。

肥薩線の吉松~人吉間は、ありのままの鉄道遺産が山のようにゴロゴロしている。
頭の中の知識はあったけど、乗ってみて初めて判るその歴史の重厚さ。
トンネルごとに明治の扉が開いていくようでした。

天険若夷、引重到遠。
山県伊三郎と後藤新平に敬礼。
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