
(俯瞰場所へ@椎出集落)
高野下の駅を望む俯瞰場所に行くために、椎出の集落の裏路地を登ります。坂道も急過ぎるとアスファルトじゃなくてコンクリートになるのはなぜなんだろうね。前はこーゆー坂道を上ると息がかなり切れたもんですが、手術したからそんな事はなくなりました。っていいんだか悪いんだか。まあ普段ものぐさなアタクシにとっては重い荷物を担いで歩き回るなんてホント旅先ぐらいの話なんで、趣味のためならえっちらおっちらとこんな坂道を登って行くのであります。
斜面をよじ登るような坂道を登り、不動谷川の作った小盆地にある椎出の集落の上のほうへ出て来ました。ちょうど高野下の駅に極楽橋方面行きの各駅停車が到着。真田幸村のトレードマークであった赤い甲冑をイメージした2000系の「真田赤備え」編成です。山の斜面の新緑は鮮やかに、つづら折れの道は山の上のほうにある畑まで続いています。山の上のほうは果樹園になっているようですねえ。谷底に人が住み、果樹園を山の上に作るのは日当たりの関係もあるんでしょうね。
同じ場所から左を見ると、駅を出た列車が今度は箱庭のような椎出の小盆地をぐるりと回って下九沢方面へ向かって上がって行くのが一望できます。高野下の駅付近でほぼ180度進行方向を変える列車は、ここからさらに険しくなる高野山の山懐へ飛び込んで行きます。最急勾配の50パーミルが断続するのもこの辺りから。
速度は遅いですけど、カーブが激しいせいで列車のフランジ音は結構遠くから聞こえて来る椎出の集落。2000系ズームカーの2+2の4連。赤備えもこうや花鉄道カラーもいいけど、ブルーとオレンジのラインの落ち着いた現行の南海カラーが似合っているような気がします。南海2000系は平成2年に作られた車両ですけど、同時期に作られた小田急の1000系とか東武の10050系とかとちょっとデザインが被るような感じがする。どれも東急車輌が製造に絡んでいるせいなのか、ツヤ消しステンレスに少ないコルゲート、ブラックフェイスに角目の尾灯と共通点が多いですよね。当時の流行りなのかもしれないです。
高野下の大カーブを回って、山を降りて来る特急こうや4号。橋の下を通るのは国道370号線です。大正14年に高野下まで鉄道が伸びてきた際は、ここが高野山の最寄り駅でした。高野下から高野山への参詣道はここ椎出の集落から峠道を抜けて現在の紀伊神谷駅付近に至り、極楽橋を渡って不動坂と言われる坂道を登って行ったのだとか…。駅名に「高野下」を名乗るのも、一応は高野山の最寄り駅であった時代があるからなのでしょう。今の感覚で言うと最寄駅でもなんでもないですが(笑)。

こうや4号までを撮影して山を降りる。高野下駅に進入してくるのはオーソドックスな南海色の2000系ズームカー。駅ホームの上屋を支える柱は古レールで作られていて、それも1896~1907年製の年代モノなのだとか。カーネギーの古レールって結構鉄道の駅の支柱に転用されたものが残ってたりするよね。本当であればもう少し高野線に残ってトレッスル橋の中小沢橋梁とか見に行ってみたかったけど、そろそろ自宅に向けてジワジワ移動を開始する事に致します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます