青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

お盆関西見聞録その7 粟生行き吐息

2015年08月22日 00時20分09秒 | 神戸電鉄

(「あっ……(察し)」@神戸電鉄粟生線車内)

鈴蘭台で粟生線の急行に乗り換えたアタクシ。鈴蘭台の時点では吊り革もだいぶ塞がるくらいのそれなりの乗車率を見せており「何だよ、結構乗ってるじゃん!」なんて拍子抜けしてしまったのだが、鈴蘭台から2つ目の西鈴蘭台駅で大半の乗客が下車してしまった(笑)。それ以降は粟生方面に進むにつれて、残った乗客もぽつりぽつりと降りて行き、しまいには車内はガラガラに…雨が降るかと思って家から持って来たアタクシのビニール傘が余計に侘しいこの光景を見て察しないのはウソってもんでしょう。粟生線、マジ厳しい。

  

鈴蘭台から急勾配を上り、鈴蘭台西口と西鈴蘭台で大半の乗客を降ろしてしまった粟生線急行。西鈴蘭台の先、藍那からは単線となり、電車は藍那トンネルで小さなサミットを抜け、木津の手前の川池信号場までは裏六甲の寂しい山中を走る。藍那と木津の両駅については急行は通過してしまうので、ひとまず次の急行停車駅である木幡で降りてみた。急行が停まるからどんなもんかと思っていたが、さっきの藍那とか木津とかと駅前フリーハンデは大して変わんねーじゃねーかw

 

ともあれ木幡の駅前には1軒の寂れた商店以外何にもない。駅の横に幼稚園があり、園児は毎日神鉄電車を見ながら過ごせるのが羨ましいけど…(笑)。寂れた商店の前にあった自販機がチェリオってのもらしいなあ。思わずチェリオを買ってしまったよ。何年振りだ!とチェリオ飲み飲み準急新開地行き5000系5013編成。神鉄初のVVVF車で、急勾配の運転支援用に速度を一定に保つ(ボタンを押した時の速度で固定される)定速運転スイッチが付いとります。

 

駅手前のカーブを曲がって木幡の駅に進入してくる3000系3007編成の普通小野行き。おお、この編成は3000系の割に塗装がきれいだ(笑)。マスコン周りに関しても5000系に比べると一時代前って感じがしますね。ブレーキはこれまた昭和40年代の車両っぽい電磁直通ブレーキ。神鉄は現在合理化のため全線ワンマン運転を行っているので、運転台にはワンマン運転用に増設された機械が目立ちますね。車体側面ドア上部に付いている出っ張りって何なんだろ?と思ったら、戸閉用のセンサーなんだとか。木幡駅から乗り込んだ小野行きは、栄・押部谷と神戸市北区の北縁をなぞるように走ります。

 

押部谷から単線になり、緑ヶ丘から三木市に入って広野ゴルフ場前・志染。この志染の駅の北側には開発された住宅街が広がっており、日中の粟生線の電車の大半が折り返して行きますが、この電車は小野行き。もうちょっと乗って三木市街の中心に近い、三木上の丸駅で下車してみます。この駅、「上の丸」の名の通りに、美嚢川のほとりに建つ三木城跡(上の丸)にあります。三木城は、播磨の戦国大名別所氏の居城で、羽柴秀吉に兵糧攻めで滅ぼされた歴史を持っているそうな。おそらく開業当時からそのまんまの木造小屋のような駅舎は、神鉄の中でも一番レトロなのではないだろうか。


三木上の丸~三木間に架かる美嚢川橋梁。右側が三木上の丸駅方面になるのだが、この鉄橋は三木上の丸方面から左旋回して三木駅方面に下り込むような造りになっているのが珍しい。いきおい川面に立つ橋台の高さも右と左では異なり、その上に立つレールと架線柱もちょっとねじれながら緩やかにスパイラルを描くように続いているんだよね。

 

緩やかにスパイラルカーブの鉄橋を降りて行く1100系。横から見ると床下機器のみっちりとしたつまり具合はオール電動車のような風格を持っていますが、真ん中は冷房用の補助電源を持たされただけのサハ車だったりする。粟生線内でも50パーミルの勾配は随所に見られ、特に三木から先の小野市街にかけては丘陵地をアップダウンする案外と厳しい線形が続いていたりもする。そんなパワフルな1100系と三木駅で交換した「しんちゃん・てつくんミュージアム」6003編成が薄曇りの美嚢川を渡って行きます。鉄橋でインカーブの構図たあ珍しい。

  

三木市は人口約8万人、播磨平野東部の歴史ある城下町で、金物の生産が有名だそうな。美嚢川の橋を渡り、市の旧市街を三木駅まで歩いてみましたが旧市街は素敵に寂れており、商工会議所の掛け声も空しくボロボロでサビサビの踏切警報器が哀愁を誘う。こういう所にお金が掛けられなくなっている事に、毎期赤字10億円という事実をひしひしと感じてしまうなう。神鉄の三木駅は旧市街に馴染みまくった風合いのモルタル塗りの駅で、旧き佳き郊外電車の駅としての風情はありますが、何と駅員がおりません!市の中心駅に駅員がいないんですか(驚)。重ねて毎期赤字10億円という事実をひしひしと感じてしまうなう。

 

もとより三木市には、神鉄粟生線ともう一つJR加古川線の厄神駅までを結ぶ三木鉄道(旧国鉄三木線)と言う第三セクターがありました。営業距離僅か7km弱の零細三セクで、沿線自治体の支援を受けつつ細々と営業しておりましたが、財政再建のため同鉄道の廃止を公約に掲げ当選した現在の三木市長に息の根を止められ廃線となった経緯があります。神鉄粟生線も減り続ける乗客にいよいよ限界として、線路設備関係を地元自治体へ譲渡し、大幅に経費や固定資産税を圧縮した上で運行を継続する「公有民営化」の話も議題に上っているようですが、基本的に財政緊縮派の三木市が「経営は私企業たる神鉄の責任」として難色を示し進んでいない。三木駅の時刻表を見れば10時台から14時台まで下りは毎時1本のみで、神鉄サイドの「乗る人いないんでね」と言う開き直りすら感じさせるすがすがしい減量ダイヤ。粟生線の訪問を午後に回したのも、この日中が難儀すぎるダイヤのせいなんだよね。


播州平野の東側に連なる丘陵地に、粟生線の線路は細々と続いている。三木を過ぎ、いよいよもって乗客の流動は途絶え、大村・市場・樫山と国道175号線に沿って北西に向かって行くのだが、この辺りの国道175号線は改良拡幅された4車線道路で、大型トラックや乗用車がビュンビュンと飛ばして行く様が車窓からも見て取れます。

 

僅かな乗客を乗せた電車は、神鉄の小野駅到着。乗って来た電車は小野止まりなので、ここで後続の粟生行きを待つ事になります。15時台からようやっと毎時4本のうち2本が小野止まりになり、2本が粟生行きとなりますが、先に進むにつれ本数が減って行くダイヤは極端な言い方をすると札沼線で新十津川に向かっているような気分になって来る(笑)。平成3年頃は日中でも毎時三木行き2本・粟生行き2本を確保していたダイヤだったそうだ。乗客が半分になっちゃったから本数も半分にしましたよってか。

 

それでもホームには部活帰りの高校生が粟生行きの電車を待っており、電車の到着を待って一斉に乗り込んで行った。小野駅周辺には小野高校、小野工業高校と2つの県立校があり、大事なお客様となっている様子。いつでもどこでもローカル輸送の主要なユーザーは高校生だよなあ。一斉に乗って来られるとギャーギャーワーワーとウザイけど、ヤツらがいなかったらアタクシが好きなローカル私鉄なんてどこもとっくの昔になくなっているのかもしれない(笑)。

  

電車は小野を出ると、田園の真ん中にある葉多を過ぎ、加古川を渡って大きく右カーブ。左からJR加古川線の線路が近づくと、鈴蘭台から29.2kmの粟生線の旅が終わります。乗り換えの加古川線ホームに向かって行く高校生たちの白いソックスが眩しい。駅名票を一枚写真にパチリ、ア行2つの「AO」ってローマ字だと日本一短い駅名なんじゃないかね。あと山陰本線に「飯井(II)」があるな。長崎本線の「小江(OE)」とか。他にもあるかもしれんから誰か調べてよw


神鉄の粟生駅は、JRの加古川線のホームを間借りした形になっており、駅舎は神鉄・JR・北条鉄道の3社共同。駅周辺の風景はパッと見るだけでも神戸六甲の雰囲気とは違い、柔らかい稜線の山並みに田園が広がる播州の風景ですな。時間があればここから先、さらに北条鉄道に乗ってみるのもオツな話なんですが…そこまでの時間はないので、折り返しの鈴蘭台行きに乗って戻ると致しましょう。
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