青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

KONAN Monochrome World

2019年02月16日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(凍て付く窓の向こう側@弘南線車内)

凍った窓の外側は、相変わらずの地吹雪。そんな天気とはうって変わって、暖房の効いた適度に揺れる車内は、眠気を誘う空間。色褪せてくたびれ気味な座席のモケットは、それでも今の電車とは違ってフカフカしていて、これまた眠気を誘う。うつらうつらとしながら黒石まで、僅か15分の気怠いまどろみの旅をモノクロームで焼いてみました。


下り電車に途中駅の乗り降りはほぼなく、ほとんどの乗客が終点の黒石まで乗って行くようだ。車内でじゃれ合うランドセルの小学生。この辺りは小学校も電車通学があるのかな?と思いながらほほえましく見ていたのだが、話を聞いていたらどうやら弘前大学の附属小学校へ通う子供たち。「国大の附属」と言われると急に見る目が変わってしまうのは、こちらが団塊ジュニアのお受験世代だからなのだろうか。

 

午後の黒石駅。列車を降りた乗客たちは、足早に出口の方へ去ってしまった。黒石市は、人口3万5千人の津軽の小都市。小さいながらも黒石藩津軽氏一万石を割り当てられた古くからの城下町。今回はゆっくり街歩き…という事は出来なかったのだけど、クルマで走ってみて感じる路地の雰囲気や密集した寺町などにいかにもな武家の街の香りがして、趣のある街並みだなあと思いましたね。ホームにて改札を待つ電車には、黒石高校と黒石商高のイラストが施されています。


ホームの傍らにある「黒石線検修所」は、以前黒石駅から川部駅を結んでいた黒石線の名残り。国鉄の「第1次特定地方交通線」として廃線対象となった国鉄黒石線を、弘南鉄道が昭和59年に引き受けて運行していました。引き受けに当たっては国鉄黒石駅手前から弘南黒石駅へ接続する渡り線を作り、気動車用の検修庫の建設や内燃車免許を持った運転士の雇用、乗客増を狙っての商業施設(コープ黒石店)を併設した形での黒石駅の改築などそれなりの投資を実施。国鉄のキハ22と末期はお隣の同和鉱業小坂鉄道から気動車を引っ張って来て運転を続けましたが、川部と黒石というニッチな区間の流動は少なく、平成10年まで僅か15年弱の短命に終わりました。


またぞろ地吹雪の吹き始めた黒石駅のホーム。津軽に降る七つの雪を書いたのは太宰治の小説「津軽」でありましたか、長い冬の中でも気象や風の条件によって様々な雪が降る津軽地方。吹き付けるようにピシピシと頬を叩く今日の雪は何雪だろうか…。折り返し列車の改札が始まって、弘前行きの列車に乗客が乗り込んで行く姿に演歌の世界を見る。

新沼謙治 / 津軽恋女

数限りなく歌の題材にされて来た津軽の世界。代表的な歌い手としては五所川原に生まれた吉幾三センセ、という事になりましょうが、ここはあえて新沼謙治「津軽恋女」を推したい。尾上高校前で地吹雪に巻かれながら写真撮ってた時、ずーっと脳内で新沼謙治がこの歌唄ってたからなあ(笑)。たまたま津軽に行く前にNHKの「うたコン」に新沼謙治が出ててさ、この曲歌ってたんだけど、やっぱりしみじみと良い曲だなあと思ったよね。また新沼謙ちゃんの声がいいよねえ。演歌の歌い手にしては粘りっけがなくてクリスタルで、スコーンと抜けがいいんだ。謙ちゃんは津軽でなくて大船渡だけど、間違いなくこの曲は津軽演歌のベスト3に入ると思うんよ。残りの2つ?そりゃ幾三センセの「津軽平野」と松村和子の「帰って来いよ」に決まっとろうが。え?望郷じょんから?津軽海峡冬景色?うーん…いい曲多すぎて、そっから先は好みでよかろ。

ちなみに新沼謙治の趣味は伝書鳩を競技用に調教した鳩のレースだったというのはつとに知られるところですが、忙しくなってしまって鳩の世話がままならなくなってしまった謙ちゃん、我が子のように育てた鳩をどうしても手放さなきゃならなくなったそうな。別れの日、かわいい愛鳩を趣味の仲間に譲り渡し、泣く泣く家に帰ってドアを開けたら、鳩が謙ちゃんより先に家に帰っていたという話がとても好き。
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