青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

オールステンのパイオニア

2019年02月12日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(降りしきる雪を蹴って@館田~新里間)

降りしきる雪を蹴散らすように、平川の鉄橋へアプローチする築堤をフルノッチで加速して行く7022編成。昭和63年~平成元年にかけて譲渡された、言わずと知れた元東京急行7000系です。弘南鉄道は黎明期より自社発注での車両を持たず、他社私鉄線や旧型国電などの雑多な車種を集めて走らせて来ましたが、弘南線・大鰐線ともこの車両の導入により、旧来からの車両の一掃と車種の統一が図られました。トータルで12編成も投入されているのだから、当時としては結構まとまった譲渡だったと思うんだけど、弘南への輿入れはちょうど東急7000系の任務の一つであった日比谷線乗り入れに後継車両(東急1000系)が投入され始めた時期。一大勢力であった7000系の働き場所の狭まる中、地方私鉄ではうってつけの「18m・3ドア」という手頃なサイズ感もあって、ここ弘南を皮切りに新たな職場を求めて全国の地方鉄道へ転出して行ったのはご存じの通り。


東急7000系は、アメリカの金属加工メーカーであったバッド社におけるステンレス車両生産のライセンシーを受け、東急車輛製造が製作した日本初のオールステンレスカー。細かい外板のコルゲートのみならず、台車にも大ぶりなディスクブレーキがついていて、見かけ上の一番の特徴にもなっています。弘南への導入に当たって、車輪の外側に装着された銀色の円盤をクリップのようなブレーキシューで挟み込む形が、津軽のような雪国では雪を噛み込んだりしないのだろうか…?という心配があったそうなのですが、特に問題もなく30年目の冬を迎えています。


この台車は「パイオニアサード」とか「P-Ⅲ」と言われ、東急の7000系だけでなく南海の6000系列や井の頭線の3000系など、多くの東急車輛の製造車両に使用されました。昭和30年代後半~40年代に製造された東急車輛のクルマはこの「オールステンレス&P-Ⅲ」という組み合わせが多く、その防錆性と強靭性、そして重要部分であるブレーキが外側に付いている事で保守管理が容易という利点もあり、今でも地方私鉄にその姿を見る事が出来ます。特に東急7000と井の頭線の3000は一大勢力と言ってもよく、東急7000が弘南・福島・北陸・水間、京王3000が北陸・上毛・松電・岳南・伊予で現在も活躍しています(まあP-Ⅲに関してはお世辞にも乗り心地の良い台車ではなく、既に換装している事業者もあるようですが)。


東急の7000系は、当時の日本の技術水準では成しえない、「オールステンレスの躯体&パイオニア台車」という最新鋭のアメリカの技術を用いて作り上げた鉄道車両です。まさに名前の通り、時代のパイオニア的な車両をほぼ動態保存のような形で走らせている弘南鉄道ですから、この鉄道を撮るならば「とにかく台車のパイオニアⅢをカッコ良く撮りたいなあ…」という思いはありました。どうやって表現しようか?と試行錯誤しつつ何カットか撮ってみるんだけど、台車が主役だからと下から広角でアオったりしてもイマイチグッとくるものがなくて、最終的には長玉で思い切って足元をギュッと圧縮して狙った結果がこちら。

「P-Ⅲ」の特徴であるディスクブレーキを浮かび上がらせるように、粉雪に凍て付く足回り。
雪のレフ板効果もあって、光の届きにくい足元の複雑な造形に陰影が付き、お気に入りの一枚となりました。
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2 コメント

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Unknown (psoon)
2019-02-15 02:35:07
二度目ましてです。

こんな北の果てで東急車輛が第二の人生(車生?)を送っているのですね。
近年は車両譲渡が地方のみならず、海外にまで足を伸ばしているのには驚きます。(それだけ丈夫ということですかね)

長野電鉄に8500系が赴任して来た時は、感動しました(小田急ロマンスカー、NEXの時はもっと感動)が、なんやかんや時間が経ちました。鯨も後継が見つかり次第、退職のようですので、乗る機会があったらしっかり味わっとこうと思います。
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東急7000系 (lonely-bluesky)
2019-02-16 13:07:15
二度目ましてようこそ!(笑)。
東急7000系、昭和37年新造の車両ですから、既に車歴は50年をゆうに超え還暦に手が届く長さになっていますね。
弘南では使用される気象条件も過酷なはずですが、オールステンレスカーの強靭性は流石です。
東急7000系が乗り入れていた当時の日比谷線の主力車両が鯨3000系ですから、どちらも長命の車両だと思います。
鯨の後継もやっぱり日比谷線から来るとか来ないとか…まあ、噂話ですが。
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