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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

本銚子今昔

2020年01月05日 17時00分00秒 | 銚子電鉄

(いつの間にやら新しく@本銚子駅)

浅間様の参道のある交差点から、小学校へ向かう路地を入った場所にある本銚子の駅。一応駅舎には切符を販売する窓口があって、浅間様のお祭りに合わせて窓口が臨時に開く事があるそうですが、普段は無人の駅です。観音から笠上黒生に向かっては犬吠埼のある台地への登り坂に当たっており、駅は堀割の森の中にあります。昔はトタンの古びた木造駅舎でしたが、いつの間にやら新しくなっていました。

駅の上には、隣接する清水小学校への通学路である「清愛橋」がかかっていて、本銚子の駅を見下ろすことが出来ます。この清愛橋も、銚子電鉄ではおなじみの撮影スポット。清水小学校自体は明治の初め頃からの歴史を持っている伝統ある小学校で、平日だと電車に乗って通学してくる小学生の姿を見る事もあります。この通学需要も、銚子電鉄の大事な収入になっています。

今から12年前の本銚子駅を、同じ清愛橋の上から。小学生たちが犬吠方面へ遠足に行くのだろうか。トタン張りの古びた待合室と、駅の周りの植生が今よりだいぶ少なくてスッキリとしているように思う。やって来たのが当時の主力車両だった銀座線の1000系。昔はコカ・コーラの自販機に屋根がついてなかったんだね。さすがに10年以上経てば細かいところもだいぶ変わっているということか。

新装された本銚子の駅は、ステンドグラスのように加工された色ガラスと白壁に木目のベンチが非常に温かみのあるもの。聞けば、2年前の夏に「24時間テレビ」の企画によって改修されたのだとか。鉄道会社が民間のテレビ局に設備改修を投げてしまうなど大手では考えられない取り扱いだと思うのだが、メディアに自社設備を拠出することでタイアップし、相当安価な出費(おそらく無料に近いでしょう)で設備改修を果たしてしまうあたりが銚電らしい。

こちらも、以前とは違って線路際の樹木がだいぶ伸びたような印象のある清愛橋の笠上黒生方。 デハ2000は銚子方だけが湘南窓で、外川方は京王5000系を模した形となっています。これは、当初はサハ付き3連に改造して伊予鉄に譲渡されたものを、伊予鉄がサハに運転台を付けてクハ化させ、2連に減車したためです。後付けの運転台の方は京王5000系を模してはいるものの、中間車のため裾絞りがなく正直間の抜けた顔になってしまってるんですよねえ。やっぱり湘南顔のほうが締まりがあるので、デハ2000に関しては銚子側の撮影が多くなってしまいました。

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いつまでも、銚子のシンボル

2020年01月04日 17時00分00秒 | 銚子電鉄

(陽だまりの待合室@仲ノ町駅)

車庫や本社があり、銚子電鉄の運行上の基幹駅である仲ノ町の駅。暖かな冬の日差しが、待合室に入り込んでいる。以前と古さは変わらないまでも、色々と細かいところは手直しされて殺風景な感じはなくなったような気がする。前回の訪問時はいわゆる「ぬれ煎餅ブーム」の時で、駅の待合室には出荷待ちの段ボールがうず高く積まれていた事を思い出します。静かな待合室のベンチには座布団が敷かれていて、暖かな日差しに包まれているとウトウトと眠くなってしまうな。

この仲ノ町の駅では、入場券(150円)を買うと車庫の中を見学させてもらえるのは昔と変わっていません。増収策の一環という事なのでしょうけども、コンプライアンスやらなんやらの強まった時代ですから、車庫の中を自由に見学できるという事自体が今のご時世には珍しいと思われます。という事で窓口で150円を支払い、仲ノ町の小さな車庫を見に行くことにしました。仲ノ町は閉塞区間の境目にある駅なので交換可能な配線になっていますが、ホームは単式一面しかなく、実際の列車交換は笠上黒生の駅でしか行われていません。左手のタンクは醤油メーカー・ヤマサ醤油の銚子工場。古くから銚子電鉄とは縁の深い会社で、この工場から出荷された醤油を国鉄の銚子駅まで運んでいくのが銚子電鉄の大事な仕事でした。

留置されていたのは、この日は運用に入っていなかったデハ2000系の第2編成。この編成はローズピンク系のツートンカラーという昭和40年代の銚子電鉄の塗装を踏襲していますが、何だか国鉄の交直流型急行色のようにも見えないこともない。お隣にいる機関車のデキ3も元気な姿を見せてはいますが、現在お色直し中とのことでビューゲルが外されていました。奥にいる銀座線1000系車両は、前回訪問時に主力を担っていた車両で、引退に際し丸ノ内線の方南支線で使われていた頃の塗装に復刻された後、事業用車両として仲ノ町車庫でスタンバイする事になりました。

仲ノ町の車庫は、相変わらず小さなスペースに色々なものがゴチャゴチャと詰め込まれていて雑然としており、犬釘のサビの匂いや機械のグリスの香りと、隣から流れ込んでくる醤油の香りが合わさって独特の世界観を作り出していました。車庫の壁一面に積まれた様々な工具類と、ピットに流れる油のシミ、そして床には投げられたウエスが転がっています。大手の私鉄のように車両と線路の保守業務がきれいに分業化されている訳でもないのだろうか、車庫の奥には線路際に立てる標識の類も無造作に投げ込まれていました。男の職場感をプンプンにさせているその様子がいかにも地方の小私鉄らしいなあと思うのだけど、もう少し写真のウデがあればこの雰囲気を上手に表現のしようがあるのかもしれない。

その昔の仲ノ町駅全景。今よりもよっぽど雑然としている様子が伺えます。この頃は車両の全般検査を行う費用にも事欠く状態であり、それが件の「電車の修理代を稼がなくちゃいけないんです」というメッセージと、ぬれ煎餅の購入のお願いに繋がっていくのでありますが・・・元銀座線の1001形が検査に入っているのか、塗装の下地処理をしているみたいで真っ白なボディになってますね。この後ハドソンの「桃太郎電鉄」のラッピングで走ったんだっけねえ。今でもそうなんですけど、この関東の東の外れの小私鉄は、必ずしも経営が楽ではないながら、色々な企画やスポンサーとのタイアップが上手な印象がある。情緒に訴える宣伝戦略といい、ラッピング電車・駅名のネーミングライツを始め、タブーなしのフットワークの軽いところが生き残りの秘訣なのかもしれない。

そんな現在の仲ノ町駅は、ネーミングライツにより「パールショップともえ・仲ノ町駅」となっています。パールショップともえ、って地元の宝石屋さんかなんかかと思ったのだけど、成田に本社があるパチンコのチェーン店らしい。銚子電鉄へのネーミングライツで、出資企業にどれくらいのインセンティブがあるのかは全く未知数ですが、儲かっている会社の広告宣伝費をすこーし提供する事で、「地元公共交通への社会貢献!」と錦の御旗を振れるのであれば、安いものなのかもしれない。平成18年頃のぬれ煎餅ブームに沸いてから、平成23年の東日本大震災で観光需要が大幅に落ち込みながらも何とか車両更新を行いつつ生き延びているのも、こういった「地元との繋がり」を強めることによって地域のシンボルとしての鉄道会社をの存在感を高め、赤字・黒字に左右されない経営を目指した結果と言えるのかもしれません。

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空より蒼く、海より碧く

2020年01月03日 17時00分00秒 | 銚子電鉄

空より蒼く、海より碧く@海鹿島~君ヶ浜間)

さて、正月三が日はとくに出掛ける予定もございませんが、年末の銚子遠征からいくつかのカットを。銚子に到着してまず座を構えたのが君ヶ浜のキャベツ畑、というか銚電で開けた構図を作りたいならここしかないという場所。この風景はそれこそ前回来た10年前とそう変わらず、走って来る電車だけが変わっていました。この日は京王の2010系改造のデハ2000と、京王のデハ5000系改造のデハ3000の2形式が充当されていました。コバルトブルーの青空に、群青の海と白波のラインをあしらった海の街らしいカラーが朝日に映えます。

まだ作付けされてから浅いキャベツの畝を行くデハ3000。旧型車からの体質改善で導入したデハ2000&3000は、銚子電鉄では初めての冷房車になりますが、銚子は沖合で寒流の親潮(千島海流)と暖流の黒潮がぶつかる海洋性の気候であり、夏でもそう暑くなる場所ではありません。冷房がなくても、以前は窓を開けておれば風が入って来て、そこまで不快な思いをする事もありませんでしたが最近はどうなんでしょう。酷暑と言われる最近の夏でも去年の8月で最高が32℃くらいだったみたいだからそこまででもないよね。同じ県内でも牛久(上総牛久)が37℃だからだいぶ違う。

そしてこのデハ3000のカラーは、過去に銚子電鉄で観光用に活躍していた遊覧車「澪つくし号」のカラーリングを踏襲しています。澪つくし号は、国鉄の車掌車の中身をくり抜き座席と窓枠を付けたトロッコ車両で、昭和60年に国鉄から購入して改造。銚子電鉄では夏場のイベント列車として活躍していたそうですが、走っている姿を見た事はなかったですねえ。運転時は定期列車に連結して走っていたらしいが、いつまで走っていたのだろう。外川の留置線に放り投げられていた澪つくし号ことユ101。先代の伊予鉄からの譲渡車両だったデハ801の姿も懐かしい、平成18年暮れの外川。

京王5000系は、京王での引退後に系列の京王重機整備にて大量に改造され、富士急行を始め一畑電鉄、高松琴平電鉄、伊予鉄、そして電装解除されわたらせ渓谷鉄道(トロッコ客車)へと譲渡されましたが、富士急からは岳南鉄道、伊予鉄から銚子電鉄と二度目の譲渡が発生している車両もあります。片開き3ドア18m車という取り回しの良さで、東急7000系シリーズや西武新101系シリーズと肩を並べる地方私鉄の一大勢力となっていますが、個人的にも京王5000系って優美な裾絞りのスタイルと女性的なデザインで京王の中でも一番好きなクルマだったんで、こうして未だに活躍の場が与えられているのは嬉しいことです。

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往く年に寄せて

2019年12月31日 17時00分00秒 | 銚子電鉄

(暮れなずむ時@外川駅)

今日は2019年、令和元年の大晦日ですね。皆様におかれましては、どのような一年だったでしょうか。個人的には、ちょこちょこと色々な場所には行けましたけど、ああまた今年もあっという間に終わってしまったなあというのが月並みながらの感想ですね。自分の中の時の流れが、年々速くなっている事を痛切に感じています。考えてみれば、10歳の1年は人生の10%だけど、40歳の1年は人生の2.5%でしかない。10歳の頃と比べ、一年間の長さは体感上では4分の1になってしまっていて、それだけいちいち一つのことに思いを致したり、感動したりというコトは薄くなっているのだろうな。僅かに明るさを残した空に、三日月が浮かんでいる終着駅、外川。

昼間は駅員が詰めているこの駅も、夕方を過ぎれば無人となります。静まり返ったホームで、時計を見ながら折り返し列車の発車時間を確かめていた運転士氏に、時の過ぎる事の速さを重ねてみたり。自分も、人生で言えば折り返しの場所を過ぎたんだろうけど、来年に限らずこれからの人生の後半戦を憂いなく過ごすためにも、特に健康に気を付けなきゃなあと思うんだよね。最近またちょこちょこと病院に通う事も多くなっているので・・・来たる2020年はどんな年になるのだろうか。最近は毎年毎年「災害のない安寧な年になってもらいたいな」と願ってはいるのですが。

「もう若くはない」という事実に怯えながら過ぎて行く時の速さに、最近は誕生日なんかいらないからもうちょっとゆっくりと時が流れてはくれないものか、と思ったりもする。それでも、まだ何か楽しいことはないか、素晴らしい景色はないか、魅力的な何かがないかと好奇心を絶やさずに2020年も過ごして行きたいですね。ソコの気概がなくなった時が、このブログを畳む時期なのかもしれないとは考えてはいます。つらつらと書き殴ってしまいましたが、ともあれすっかりご無沙汰している旧知の友人のみんな、そして弊ブログをお読みいただいている皆様に今年一年の感謝を申し上げまして、年末の挨拶とさせていただきます。

2019年の撮り納めは、18:08外川発・上りの銚子行き。銚子電鉄の上り電車は全てが銚子行きなので、「上り調子」にあやかった縁起物でもあります。白熱灯のともったホーム。発車の時間をもう一呼吸待って、乗る人がいないことを確認してから、運転士さんが緑の箱に入った出発スイッチを押します。駅横の踏切の鐘の音が誰もいないホームに響くと、ほどなくドアが閉まって、電車はゆっくりと揺れながら、とっぱずれの駅を出て行きました。

2020年、令和2年行きの電車に、皆様もお乗り遅れのないように。良いお年をお迎えくださいますよう。

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10年ぶりのとっぱずれ

2019年12月30日 21時00分00秒 | 銚子電鉄

(青空の銚子半島@銚子電鉄・犬吠駅)

27日につつがなく今年の仕事納めを終え、既に正月休みに入っています。今回はカレンダー回りがいいせいか比較的ロングな9連休を取る事が出来ました。そうなると、今年の撮り納めをどこでやって来るかなあなんて考えていたんですけど、昨日は久し振りに銚子まで出掛けて来ました。記念すべき令和元年の最後の撮り鉄遠征。東関道の富里ICを降りてから、下道で50kmくらいえっちらおっちら走ってやって来た銚子の街。銚子になかなか足が向かなかったのはなぜ?と言われると答えにくいのだが、一番の理由は「遠い」という事にあるかもしれない。昔っから「ほととぎす 銚子は国の とっぱずれ」なんて言われていた場所で、鉄道でもクルマでもとにかく時間が掛かるんだよねえ・・・。思えば銚子電鉄は長いことご無沙汰していて、前回行ったのは「ぬれ煎餅」でブームになった頃だからかれこれおよそ10年ぶりくらいの訪問になります。犬吠の駅前に久々に立ってみると、駅の右側にあった相鉄電車の廃車体を利用したカフェはきれいさっぱりなくなって、高くなったヤシの木だけが気だるげに揺れていました。

銚子電鉄と言えば、何と言っても名物は経営危機を何度も救った「ぬれ煎餅」。銚子名産の醤油で作った特製ダレをたっぷりと染み込ませた、デンシャより稼ぎの良い名物アイテム。ちょっと小ぎれいになった駅ナカの売店で、久し振りにぬれ煎餅を買いましたけど、相変わらず美味いですねえ。マヨ&七味で食うとヤメらんねーやつ。合法麻薬。何気に上の棚に置いてある「ふわふわあげせん」「玄米あげ餅」とかの揚げ煎・揚げおかきシリーズも美味い。銚子電鉄の米菓に関しては、何を食っても味のクオリティのレベルは総じて高いと思う。逆に言えば、万人が美味いと思ったからこそ、電車を走らすほど売れたということなのかもしれない。

あの頃走っていた車両はほぼすべて引退し、今は旧型のツリカケを置き換えるために伊予鉄道から譲渡されたデハ2000形×2編成、デハ3000形×1編成の3編成で運用を賄っています。先代の801形も伊予鉄からの譲渡車で何かと縁が深いんですが、お互い600V路線ということで、譲渡に際し降圧工事が必要ないというのが大きいのかもしれません。ともに京王帝都電鉄で走っていた2010系・5000系の改造車で、京王帝都→伊予鉄→銚子と3社目の職場。車齢もそれなりに積んではいますが、それでも銚子の最新型車両。デハ2000の2連は、銚子側の先頭車両が湘南マスクの二枚窓になっているのがポイント。元々「グリーン車」と言われた京王の旧型車の、最後の生き残りです。

太平洋の海原から昇る朝日に包まれた君ヶ浜、畑の真ん中の4種踏切で座を構えます。朝露に濡れて光るは「灯台キャベツ」と呼ばれる銚子の主力農作物。ほどなく君ヶ浜の駅の踏切の鐘がカンカンカン・・・とリズミカルな音を立てると、青系のツートンに身を包んだデハ2000の2連が、海鹿島への坂道を登って行きました。

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