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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

愛の園

2017年02月25日 23時00分00秒 | 関西本線

(「愛」こそ最後の楽園@南四日市駅)

はい、と言う訳で二日間の遠征に行って参りました。色んな選択肢はあったんだけど、最終的には中京~信州地区のロジスティクスを支える愛知機関区スペシャルと言う事で初日は関西本線の四日市界隈~稲沢でDD51三昧、二日目は稲沢~南松本でEF64三昧と相成りました。3年前から撮り始めた被写体ですが行く毎にテツの数が増えているような…確かにブルトレ全廃、定期の客レ全廃、新幹線の開通で在来線の特急はどんどん減少、ヨンパーゴに続いてゴッパーサンも引退が決まったこんな世の中ですから、テツ界隈で魅力的だったものがどんどんなくなっている中で相対的に愛知機関区の「電化・非電化とも国鉄機」の価値が上がっているという事なのでしょう。運転台の下に刺さる区名札の「愛」こそ、国鉄型機関車最後の楽園の証であります。


(関西本線5271レ DD51853+DD511802+タキ12B 八田~春田間)

まだ何機かは残ってるでしょなんて思っていた国鉄色も、DD51・ロクヨンともにラスイチとなりまして、噂ではそろそろ関西本線でも北海道で余ったDF200の試運転が始まるとか何とか。そんなこんなで廃止・引退の気配が近付けばにわかに色めき立つのが鉄ヲタの悲しい性。運用を勘案すると朝の5271レがどうやらラスイチの853先頭で走る可能性が高いと言う事で午前一時に自宅を出る。真夜中の東名事故渋滞を華麗にかわし、寒風吹きすさぶ新川の堤防に立ちます。

町工場が立ち並ぶ中京地区の下町風景に、今日も朝日が昇ります。
赤味の強い斜光線を背負って、最後の国鉄色がエンジン音も高らかに通い慣れた道を急ぐその姿…!
300km走って来て良かったと思わせる、至福の光景です。
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ディーゼル聖地巡礼

2017年02月24日 22時32分38秒 | 関西本線

(聖地巡礼@南四日市駅)

今日は世の中を先取りしてプレミアムフライデーと決め込んで名古屋まで(笑)。つーかたまたま前から有給を取る予定だっただけなんですけどね。久々に夜中の新東名を走って、行き着く先は関西本線!毎年の恒例行事ともなって来た感じもありますが、冬の燃料需要期のうちに凸凸を見ておきたかったのでね。訪問も3回目ともなると今まで落としていたシーンも抑えられたりして、また新たな発見があったりします。今日は名古屋のトラックステーション泊まり。明日はどうしようかな。

画像は平日のみに運転される南四日市行きのコンテナ貨物8081レの折り返し8080レ。
架線のないだだっ広い構内、往時は大量の貨物取り扱いがあったと聞きますが、栄華の時代いずこ。
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凸撃冬の四日市DD祭り ファイナル

2014年02月09日 04時45分32秒 | 関西本線

(藍色の空の下で@塩浜駅)

富田に戻って時刻は4時を回り、そろそろ日の入りの時刻が近付いて来た。夕日、と言うには厚い雲が空を覆い、走行写真は厳しい雰囲気。それでも飽くなき執念でDDを追いかける今回の四日市DD祭り、今度は夕方の塩浜駅で重連タンカートレインを狙う事にします。四日市駅発着のタンカートレインが積むのはコスモ石油四日市製油所の製品ですが、この塩浜駅まで下って来る列車は昭和シェル石油のグループ会社である昭和四日市石油四日市製油所の製品を運んで行きます。四日市発着に比べて塩浜発着は数が少ないようですが、かつては石油貨物のほかにも三菱化学の鹿島事業所(茨城)からお隣の海山道にある四日市事業所へ酸化エチレンの輸送があって、その独特のタンクコンテナは地味にファンの多い鹿島貨物の名物と言える存在でした。ただ、東日本大震災の前日に成田線内でエチレンコキが脱線転覆事故を起こしてしまい、その後の震災による鹿島事業所の操業停止などの混乱の中でそのまま廃止されてしまったのよね。


夕暮れ迫る塩浜の貨物駅。貨物駅は近鉄の塩浜駅の隣にありまして、一見すると近鉄の車庫のように見えなくもない。構内を渡る大きなアーチ橋が塩浜のシンボルですか。さてさて狙いの列車は走るかどうか…まあ冬場の需要期だから走るでしょ、とのんびり待っていたら、橋の向こうの詰所から名臨の操車係の方々が歩いて来た。どうやら運転確定の模様です。日が暮れて急に寒くなって来たのでさすが手持ちでは辛く三脚を出しますが、三脚出すとなると停車位置がどの辺りなのかのアタリを付けなくてはいけない。これは名臨の係の方がどこで待っているのかを見ていれば一目瞭然、待っている場所にDDが止まるはずです。

  

時刻17:42はほぼ下調べしていたダイヤ通り、アーチ橋の向こうにDDのヘッドライトが輝いて、塩浜行き貨物列車75レが予想通り名臨の操車係の方の前に到着しました。DD511801+DD51890。更新色ですが、1801はスノープロウを履いているので立ち姿もビシッと決まってますなあ。藍色の空の下、アーチ橋の水銀灯に照らされながら入換作業が開始されます。


牽いて来た14両のタキを開放し、今度は大きく四日市方に向かって機回し。側線に止めてあった8両のタキ、3両のタキをごちゃごちゃと入換しつつ返しの編成を仕立てて行きます。入換のたびにタキのボディがガッシャーン!ドッシャーン!と結構な音を立てるので間近に見ているこっちはビックリしてしまうのでありますが、近所に住んでいる住民とか気にならないのかしら。まあ一日中ガシャガシャやってる訳ではないとは言え…


何回かの入換を経て返しの組成完了。返しは少し短い11両編成となりましたが、傾向からして積載のタキは11両が基本なんですかね。すっかり日も暮れて夜の帳の中で静かに出発の刻を待つ6286レDD重連、信州内陸の寒冷地へ燃料を届ける大事な大事な仕事です。石油を輸入に頼る我が国日本では、港に荷揚げした油を内陸部に届けるにはいずれにしろ何らかの輸送手段を必要としますのでねえ。一編成でタンクローリー何十台分もの油を運べる鉄道輸送の利点はここにあるんじゃないかと。


水銀灯が煌々と構内を照らす塩浜の夜。遠くにコンビナートの灯りと白煙を眺めながら、跨線橋の踊り場で出発前のDD重連を眺める。今回は朝から晩まで一日関西本線のDD51と四日市周辺の貨物列車を眺めていたのですけど、今や日本最後のDD51の聖地となった四日市界隈を回ってみて、気付いた事をぼんやりとまとめてみます。

1.関西本線は亀山まで電化されていても、四日市駅の入換線や荷役線には架線の張られていない区域がまだまだ多い事
2.また、近辺の工場群への専用線も同様な事
3.コスモ石油、太平洋セメントを中心とした物量はそれなりにある事
4.かと言って、鉄道貨物の先行きを考えるに後継の機関車を投入するほどでもなさそうな事
5.更新機を中心に機関車は整備されている事

以上のような理由で、しばらくは更新機を中心としたDD51で貨物輸送を続けて行くんだろうな、と言う感じがしましたね。
但し、東藤原からのセメント輸送は1日3~5往復程度とやや心許なく、荷主の太平洋セメントが抱える三岐鉄道の機関車も老朽化している事から、三岐側で貨物を続けられなくなる事情が発生すれば局面は変わって来るのかなと。コスモ四日市からの出荷はなくならないでしょうから、塩浜貨物を廃止かHD300化した上で四日市の入換線を電化し、そっからEF210で牽引と言う時代が来る可能性はなくはなさそうです。DD重連ってのも単機で牽ける機関車に比べたら手が掛かる話ですしねえ。


折り返しのDDが出て行くと、塩浜の駅に静けさが。
駅常備のタキ1000の向こうに、三日月とJSR四日市工場の煙が昇る。力強いDDの足音、歴史ある跳ね橋、国鉄原色機、それぞれに良かったけど、ひっくるめて産業の動脈としてしっかりと鉄道が生きているんだなあと言う事を実感出来た四日市の旅でした。今度はもうちょっとダイヤを把握してから来たいと思いますがw

さて、寒くなった体を温めに湯の山温泉でも行って来るか。
終わり。
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凸撃冬の四日市DD祭り その6

2014年02月08日 06時30分06秒 | 関西本線

(JR東海の金太郎飴@313系)

末広橋梁で2回、四日市駅の周辺で2回、クオリティはともかく(?)カット数は稼げたので、DD51の原色重連さまのお姿を堪能した後は少し四日市界隈から離れ、関西本線の中でも特に貨物列車の密度が高い富田~四日市間でどこか撮れるところはないかしら?と言う事でロケハンしつつ撮り進めて行くことに。富田の駅裏にある某大型ショッピングセンターに失礼して、ここからは徒歩鉄。JR東海管内で架線が走っていればほぼ凡てコイツがやって来ると言っても過言ではない313系、関西本線も例外ではありません。今でもどんどん増産しているみたいで、車内の近郊型の普通車を1車種で統一しそうな勢い。乗ってみるとそのスピード感やハイスペックなしつらえになるほど、と思わなくもないのだが、基本的に車種統一による効率化最優先のJR東海の考え方と言うものを趣味人としては良しとしない(笑)。新幹線はN700、在来線は313系、極端に言えばそれ以外いりませんって感じなんだものw

 

富田の街を関西本線沿いにクネクネと歩きながら、踏切と言う踏切で撮れるかな?とアングルを考えてみるのだが、なかなかいいところがない。何のアングルも見つからないまま富田浜駅。ちょっとくたびれて来たが、そろそろどっかで撮る場所見つけておかないとさっきの原色DDの返しが来るような気がして、気ばかり焦る。夜通し運転して、レンタサイクルも漕ぎ、テンションが上がっているうちは良かったけど、この辺りから普段怠けているアタクシの足腰がだんだん悲鳴を上げて来た(笑)。色々と体力の限界ッ!なのだが、それでも線路を跨ぐ陸橋があれば登ってみたり。この執念、「仕事の時になぜ出来ないのか」と言われそうだがw
結局、アングルを探し続けたあげく午前中に来てスカだった海蔵川の築堤へ出てしまった。
富田駅から約3km、1時間。もうヘトヘト。

 

田んぼのあぜにリュックサックと三脚を投げ出しとりあえず一息付く。一応ロケハンしながらつぶさに線路は見てたんで、まだ原色のDD貨物は行ってないと思うんだけど、ここまでのgdgdっぷりから考えると流れが悪い。ひょっとしたら何かの隙にもう通過してしまったのかもしれない。午後遅くになってすっかり曇りベースになってしまった四日市界隈、光線も弱くおまけに上り線側は車体横にケーブルが走っていて決して満足の行くアングルではないのだが致し方なし。とりあえず15時便の返空セメント列車が富田へ向けて戻って行く時間ではあるので、こっからジタバタ動いてもあまり良いことはなさそうだし…と思っていたら、セメント便の前走りで原色DDがやって来た。光はないし、タキも11両とやや寂しいのだが「原色のDD51の走行写真」が撮れた事をひとまず喜ぶべきなのかもしれないですね(笑)。


何とか原色DDを捕まえたんで、とりあえずクルマを置いてある富田まで戻ろう。さすがにここから歩いて戻るのは辛いので、スマホで調べたところ一番近いのが近鉄名古屋線の阿倉川駅。それでもここから1.5km程度はあるようだが、また3km歩くよりマシだし…しかしずーっと歩き詰めですが、富田界隈ってのは何だかレトロな街ですね。旧街道の宿場町的にやたら趣のある裏路地と建物があって、街だけを歩いても面白そうな感じがしましたが。

  

帰りがけの駄賃と言う訳ではないですが、阿倉川駅の近くで近鉄特急を何枚か。ここは羽津城と言う小さな城跡の下を名古屋線がくぐり抜けて行く、割と近鉄ファンには知られたスポットだそうです。ってさっきスマホで「近鉄 阿倉川 撮影地」とググってみただけなんだけど(笑)。スマホって便利だね。15分でクマンバチみたいなACE、伊勢志摩ライナーの赤、そしてアーバンライナーPlusをテキトーに。「しまかぜ」とか来ないかなあとかヨコシマな思いもありましたが来るわけないっつーの(笑)。アタクシ関東では特急車の種類が比較的多い私鉄の沿線に住んでおりますけども、さすがに近鉄サンにはかないまへんわあ、と言った感じですね。実際、近鉄の特急車って何種類あるんでしょうか?


阿倉川から普通電車に乗って近鉄富田まで戻る。やって来たのは馬蹄形の尾灯がいかにも近鉄らしいお顔をした1000型。地元の方々にはありふれた顔なんでしょうけど、ヨソモンにはこんな車両が嬉しいものです。車内は部活帰りの朝明高校サッカー部の生徒で満員でした。高校があるのは三岐鉄道線の保々駅らしいので、こっからお乗り換えですね。保々が最寄駅って事は、毎日三岐のセメント貨物見れていいなあ(違)。

いや~、夕方を迎えて相当疲れているのだが、最後の元気を振り絞って続く。
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凸撃冬の四日市DD祭り その5

2014年02月07日 23時46分35秒 | 関西本線

(魅惑のエメラルドグリーン@タキ243884)

ここ四日市界隈には、東藤原から走って来る太平洋セメントのセメント列車、名古屋方面から走って来るコンテナ列車、そして四日市や塩浜のコンビナートから運ばれて行く石油列車と大まかに言って三種類の貨物列車が集まって来ます。どの列車もそれぞれの魅力がありますけども、ひときわ目立つのはこの鮮やかなエメラルドグリーンを身に纏ったガソリン専用のタキ43000、このカラーリングが結構好きなんだよなあ。ほぼ同じ形でタキ43000をさらに高速仕様にしたタキ1000ってのもありまして、これはタキ43000の最高時速75kmに対し95kmで走る事が出来る。ほとんど見た目の差はないんだけどハキモノ(台車)が違うんで、気になった人は見てみるがよろし(笑)。


12時便の往復と跳ね橋の格納を見学した後、缶コーヒーを飲みながらチャリンコを漕いで四日市の駅に戻ると、目の前に現れたのはなんとDD51の国鉄原色機重連。まさにたった今四日市に到着したようで、タキ編成を切り離しての機回しの真っ最中。そーか、さっき海蔵川に集まっていたお鉄の面々はこの国鉄色重連狙いだったのね…と気付いても後の祭り、道理で12時便の末広橋梁に鉄の姿が少なかった訳だよ。きっと三脚畳んでチャリンコで立ち去ったアタクシは「あいつ散々待っておきながら原色も撮らないで何で帰っちゃったんだ???」と言う目で見られていたに違いない。そーだそーに違いない。ダッシュで四日市の駅に駆け込み、入場券をゲットし構内へ。


ともあれ国鉄色のDD重連ともなれば、この国鉄色原理主義ブームの中では垂涎の被写体と言っても過言ではありません。美祢線の石灰貨物、山口線のフライアッシュ輸送は終了、北海道も石北貨物が終了、大阪も城東貨物線電化により撤退と「DD51の国鉄色」が走る場所と言うのはほぼなくなってしまったと言うのが現状でしょう。この色のDD51と言えば、何と言っても寝台特急出雲を牽引して山陰本線の餘部鉄橋を渡って行く姿を真っ先に思い出します。夜明けの荒れた冬の海をバックに走るDD51の姿、あれは子供心に「夜汽車の旅」ってものに対する憧れを抱かせるには十分なものでしたなあ。ちょっと鉄道が好きな人ならきっと見た事ある写真だと思うんですがね。


四日市側がDD51852、名古屋側がDD51847の原色コンビ。悔しいのでタキを牽引している体で写してみました(笑)。どちらも三菱重工で昭和47年に製造された40年選手。やはりどちらも山口県の厚狭機関区に配属された文字通りの同期の桜コンビであります。たぶん新製当時は美祢線の大嶺や重安あたりから宇部港へ石灰貨物を引っ張っていたのではないかと思われますが、852は最後に検査を受けたのが平成19年1月(広島車セ)、847が平成19年6月(大宮車セ)との表記が見え、そろそろ次の検査期限が近付いているようで。両車ともやや色も褪せ気味で、塗装がひび割れちゃってる辺り次の検査を通して貰えるのか(または通す気があるのか)と言う懸念はありそう。ちなみにこのDD51852は、門司機関区の時代に東日本大震災に伴って開始された磐越西線経由の郡山への燃料迂回輸送の重責を担った歴戦の勇者でもあります。


名古屋側から半逆光気味に。こうして撮るとDD51の特徴である足回りの砂箱が浮かびあがって来てまた一興。惜しむらくは愛知機関区にはスノープロウを付けてるDD51がほとんどいないって事で、正面の足回りが何だかふんどしのようなT型のバンパーガードで固められちゃってる。俗に言う「暖地向け」の装備なんですが、DD51だとやっぱ旋回窓とスノープロウを装備した「寒地型」のほうがよりサマになるように思えますね。


今度は横に回って一枚。DD51の特徴であるセンターキャブと、その下部に据え付けられた軸重逃がしの補助台車。キャブを挟んだ前後にそれぞれ大型エンジンを積んでいるDD51、そのまま2つの台車では全体の重量を支え切れないので、このように無動力の小さな補助台車を付けて全体のバランスを確保しています。こうして近くで写真を撮っているだけでも、エンジンと冷却用ファンの音がダイナミックに伝わって来る。自分含めて4~5名の鉄が入れ代わり立ち代わりこの原色重連を飽きもせず眺めているのだが、隣のホームで折り返しの発車を待っている伊勢鉄道のウテシ氏が呆れたようにその光景を見ていたw


更新機と原色機を並べてみる。朱色、白帯、灰色と使っている色は同じでも、並べて見てみるとやはり落ち着きというかしっくり加減と言うのは国鉄原色機に軍配が上がる。更新機は朱色がちょっときついのと、原色ではアイラインにある白帯が腰回りに下がり上半身が単色に覆われているので、ちょっと重く見えるような気が。って言っても国鉄色じゃなくたって、更新色でもカッコイイ。それだけの魅力が、この凸型には詰まっていると思いませんか。

架線のないヤードに似合う、非電化王者のパラダイス。
十分原色を堪能したところで、四日市からちょっと離れてみます。
続く。
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