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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

弥生/東武日光・高麗

2020年12月10日 17時00分00秒 | カレンダー

(弥生・春まだ浅き下野路@東武日光駅&リバイバルカラー)

3月、春まだ浅き下野路へ、懸案だった東武6050系のリバイバルカラーを見に行く。東武日光で2時間近い折り返し時間を持ったリバイバル4連を、誰もいない東武日光のホームでバシャバシャと激写。黄金色のモケットに取り換えられた、5700系以来の伝統の東武色を堪能致しました。この時期は、横浜港に泊まっていたクルーズ船(ダイヤモンドプリンセス)から徐々に市中に感染が広がり始め、突然の学校の一斉休校が言い渡された時期でした。どうしても今年を振り返るとなると、コロナの話とリンクせざるを得ないんですけど、結局「外出て写真撮って来る」という活動自体、感染の蔓延状況と密接にリンクしてくるので仕方ないんですよね。

3月は東武の6050系、そして西武4000系と関東私鉄が誇る「私鉄急行型」を撮影していた月。西武の3月のダイヤ改正で、土休日の朝に2本残されていた池袋からの「快速急行長瀞・三峰口行き」が消滅すると聞いて撮影しに行ったのであった。あまり西武線沿線に土地勘がないので、とりあえず立ち寄ったのがみんながよく撮影している高麗カーブ。おそらく夕方が順光のこのポイントで朝に撮影したって、こんなお察しな光線状態なのですが・・・(笑)。ライオンズカラーの2ドア車両が4+4の8連を組んで、梅の花咲く高麗カーブをかけて行く様は美しいですよね。

ちなみに、ダイヤ改正以降の西武線=秩父鉄道の乗り入れは、飯能発の列車で引き続き行われる予定だったんですけど、コロナ禍による秩父鉄道の減量ダイヤで乗り入れは現在休止となっています。果たして復活する事はあるんだろうか。

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如月/房前・吉ヶ原

2020年12月08日 17時00分00秒 | カレンダー

(如月・房前の鼻を巡る@高松琴平電鉄志度線・塩屋~房前)

1月の終わりから2月にかけて、泊まりがけの2泊3日で高松・岡山と遠征をして来ました。今のところ宿泊を伴う遠征はこれが最後だなあ。横浜の天理ビルの下から高速バスで出掛けてった讃岐路で、初日・2日目にかけてことでんを満喫。独身時代なら、こんくらいの遠征なんてひと月に一回くらい出来たのかもしれないけど、所帯を持っているとなかなかねえ。最近は23号を皮切りにしたレトロ電車のラストランあり、元京急700系の京急カラーリバイバルありとマニアの琴線をジャラジャラとハープのようにかき鳴らして来ることでんですが、この時は特段のイベント事もなく、普段着のことでんの姿をたっぷりと味わう事が出来ました。夕陽差す塩屋の房前の鼻を廻って来る志度線801号。

3日目は瀬戸大橋を渡り、岡山駅前からバスを3回乗り継いで旧・柵原町にある「柵原ふれあい鉱山公園」へ。片上鉄道保存会の皆様により、平成3年の廃線以降も同線の吉ヶ原駅を中心に往時の気動車たちが動態保存されています。この日は2月の運転会の日だったんですけど、新型コロナの影響によって3月以降の運転会は開催されないまま。結果的にはコロナ禍前最後の運転会となってしまいました。もうこの運転会には・・・簡単に言っちゃえば「古き良き鉄道の時代」とか「昭和のノスタルジー」という事なんですけど、車両や駅舎の「モノ」以上にそこに関わる「ヒト」が輝いていましたねえ。保守管理、運行、駅務、保存運転に関わる方々の姿の中から、黄福柵原駅にいた金のラインの帽子が凛々しい駅長さんのひとコマを。凛とした、その背中に惚れました。

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睦月/君ヶ浜・石橋山

2020年12月06日 17時00分00秒 | カレンダー

(睦月・とっぱずれの青空を駆ける@銚子電鉄・君ヶ浜~海鹿島)

目の前に吊り下がっているカレンダーを見ると、あっという間に残り一枚。12月となりますと、このブログ恒例、来年のカレンダーを作りながら今年一年を振り返るこの企画。正直今年は、全世界的に拡大した疫病の流行により、全ての人が良い年ではなかったのではないかな、と思います。今もその影響は現在進行形で人類の生命と人類が築いた文化や社会、経済を蝕み続けていますが、来たる2021年が、少なくとも今年よりはマシな年になるように祈念して、カレンダー企画の第一弾は房総銚子のとっぱずれ、君ヶ浜の青空を仰ぎ見て。ちなみにこの写真を撮影したのは去年の年末休みの時なんだけど、そこらへんはお許しを(笑)。

今年の一月くらいは、まだ新型コロナの影響は中国の武漢に留まっていて、「なんだか中国は大変そうだなあ」くらいの感じでいたように思う。日本は特に何も警戒する事もなく、テレビやマスコミは「今年はオリンピックイヤー!」なんて浮かれていたのが遠い昔のようだ。正月休みも明けた日曜日、ぼんやりとそろそろ引退すんのかなあ・・・と思っていた伊豆の踊り子185系。午後の光に青く輝く相模灘をバックに、石橋山の大俯瞰で。

置き換える予定のE257の改造がなかなか進まないせいで引退が先送りになっていましたが、つい先日正式な引退が2021年の春となる事が発表されましたね。ブンブンと煩い国鉄モーターの音と、未だに最大15両の長大編成が愉しめるのがイッパーゴの魅力かな、と思います。自分も先日横浜~熱海でお名残り乗車をしてしまいましたが、まだの方はぜひ(笑)。

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師走/相鉄界隈

2019年12月29日 17時00分00秒 | カレンダー

(師走・相州を駆けるE233@相鉄本線・相模大塚)

12月。正確に言えば令和元年の11月30日ですが、相鉄こと相模鉄道線が西谷~羽沢横浜国大間の通称「相鉄直通線」を介してJR線と繋がり、埼京線との直通運転を開始しました。一応夏過ぎくらいから直通線を使ってE233が試運転に入って来てたんで、川越電車区のE233がかしわ台の車両センターにいたところなんかを目撃はしているのだけど、やはり開業となるとまた一味違うもの。短いながらも新設路線としては首都圏では久しぶりの大型案件で、注目度はかなり高かったのではないでしょうか。さすがに一番電車なんて乗る気合も体力もないから、運行初日の朝にメシ食ってからちょっと見に行ってみたんだけど、いきなり来たのが「特急・武蔵浦和」の行き先を表示した埼京線のE233。相州のガラパゴスとして独自に進化を遂げてきた相鉄の開国の日を、スッキリと晴れ渡った空と丹沢の山々が慶び迎えました。

大山の稜線を茜濃く彩る相州の夕暮れ。晩秋のススキの穂波に相鉄12000系のヘッドライトが大仰に輝きます。正直、横浜方面に向かう乗客が8割方の相鉄沿線民ですから、直通線に割り振られた1時間に3~4本のスジ分だけ横浜への利便性は下がっているわけで、朝はともかく夕方の下りラッシュ時間に横浜発の海老名行き急行が14分も来ない時間帯とかあって憤懣やるかたない(笑)。来年3月のJR側のダイヤ改正でどのような動きがあるかでしょうねえ。あと、これは予想された事態でしたけど、開業して1ヶ月は埼京線と相鉄線とお互いの遅延が遅延を呼んで直通線方面のダイヤが全く安定しませんでしたからね。「直通」のメリットに拘り過ぎず、一部の列車は西谷で折り返してもいいんじゃねーのかと思ってはいる。

という事で、2019年をカレンダーで振り返ってみる企画、いかがでしたでしょうか。年とともに撮るものが少なくなって、カメラを置いてしまいそうになる事もあるかもしれませんけども、来年も皆様とそして私の鉄活動が豊かなものになりますようお祈り申し上げております。このブログが上がる頃には、どっかに撮り納めに行ってる予定なんだけど、どこ行きましょうかねえ。

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霜月/奥大井湖上・岳南原田

2019年12月28日 17時00分00秒 | カレンダー

(霜月・青磁の湖上を渡る@大井川鐡道井川線・奥大井湖上駅)

11月。暖かさが続いたために紅葉の色の進みは遅め。最終週に紅葉狩りがてらの井川線を訪問しました。奥大井の大自然を闊歩するDLロコと客車たち。雨続きの秋を象徴するように、濁りの入った長島ダムのダム湖の湖面。崖に色付く見頃の木々を眺めながら、赤いトラスのレインボーブリッジを行く。紅葉シーズンらしく、接岨峡温泉で増結された堂々のロング編成。井川線は全列車客レ、補機連結によるアプト区間あり、大自然のアクティビティが如くの秘境の絶景路線と売りどころが多数ある割には、あまり乗る人も撮る人も多くはない印象があります。みんなSL撮影して千頭で折り返してしまうようですが、ちょっと足を伸ばすだけで、素敵な景色が待っています。

そんな奥大井の帰りに立ち寄った岳南鉄道。貨物を廃止してからはだいぶ長いことご無沙汰になってしまった富士南麓の小私鉄。最近は富士市内に林立する製紙工場のプラント群にスポットライトを当て、工場夜景を楽しめる鉄道として来客誘致に努めているようです。往時はコキ車によるコンテナの貨物扱いがあった岳南原田の駅。駅には「めん太郎」という立ち食いそば屋があって、脂のコッテリした唐揚げがデデンと乗った唐揚げそばが名物でしたね。ED401や502が入換作業に闊歩していた側線は跡形もなくアスファルトに埋められてはいましたが、岳南らしい特徴のあるキノコ型のホーム上屋に井の頭線3000系の両運改造車がやって来ました。後ろの煙突は日本大昭和板紙(現・日本製紙)吉永工場。ここで製造される段ボールの原材料と製品の輸送が、岳南鉄道の主な仕事でしたね。

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