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フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

一杯の水

2018-06-09 07:09:34 | Weblog

一杯の水と書けば乾いたのどを潤すものを想像するが「いっぱいの水」と書けばあふれ出た収拾不能のものを想像する。CVIDも完全に検証可能な不可逆的な非核化なんて言うから想像できない。はっきりと目に見えるドタキャンなしの非核化実行と言ってくれた方が想像できるこれは国と国との約束なんだなと。最近の日本人は日本語の想像力が欠如してるんだろうか。日本人に育てられたアメリカ人だからかな。メイサートンの「一杯の水」という詩に「ここにあるのは井戸から汲んだ一杯の水、舌にのせれば石と木の根と土と雨のあじわい」とある。彼女は砂漠か荒野をイメージしたのだろうかそれとも草原?英語で見るとなんか乾いたイメージでとらえるけど日本語だと苔の匂いを想像する。「いつの日か名も知らぬ人がこの家に立ち寄りこの水に癒されて旅路を続けることもあろうか」英語では西部劇を思い日本語では時代劇を思う。文化のグローバル化はできないんだとフムフム。へたに英語を話す日本人は見たくないもんだとブツブツ。近いうちにAIがトランスレートで日本語と外国語のスムーズな交換をしてくれるだろうからそんだけ心配はいらないか。それでいけばAIが文化を守る一杯の水になるのかな。

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