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神と自分はごまかせない・・・だからこその決断
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さて、この作品のオードリーは、他の作品と少し趣が異なります。
くるくると動く大きな瞳の、元気で愛くるしい彼女は、
尼僧の制服に身を包み、ひたすら自分を押し殺そうとします。
彼女は恋人も家族も捨て、修道院に入りました。
なんとなく修道院というのは、
愛する人を失って、生きる意味を見失って入る、
そんなイメージがあったのですが・・・。
これは大変に失礼な話でした。
そこにいれば安泰の裕福で温かい家族や
将来自分で築くかもしれない結婚生活をも捨て去り、
神に一生を捧げようという、
これは大変に崇高な行為なんですね。
ガブリエルはそのような理想に燃えて、修道院に入り、
シスター・ルークとなります。
おしゃれなファッションに身を包むオードリーも素敵ですが、
尼僧服の彼女は、いっそうその清楚さがきわだちますね。
でも、あまりにも華やかな顔立ちに、かえって痛々しい感じもします。
修道院の世界は、沈黙・謙譲・没我を基調とする厳格な世界。
シスター・ルークは、
ともすると服従の教えに反してしまう自分自身をいつも反省しています。
彼女の父は医師で彼女も看護師を勤めていたため、
実は、コンゴの医療施設で看護僧として勤めることを望んでいたのです。
紆余曲折がありながら、ようやく望みの地コンゴへ派遣されました。
やっと自分の居場所を見つけたかのように、彼女は献身的に働きます。
しかし、やはり尼僧であることには変わりなく、
患者に対している途中でも鐘の合図で祈りの場に行かなければならない。
次第に尼僧でいることに疑問が生じてくるのです。
シスター・ルークは、尼僧でいるためには、
生きる力がありすぎたのではないでしょうか。
尼僧服に身を包んでも、なおあふれ出る、
人のために尽くし、前進したいという意欲。
宗教者は人に尽くすよりも、
自分を律し神に仕えることがまず第一義なんですね。
シスター・ルークの希望は、
時として分を超えたわがままや自尊心の発露として、退けられたりもする。
見ようによってはこの教会や修道院のシステムは、理不尽でもあるのですが、
第一目的が「神」にあるとすれば、
理不尽なのは当たり前でもあります。
多分、こういうことは向き不向きがあって、
このような戒律の中で生きることにこそ歓びを感じる人は確かにいるのでしょうし、
このシスター・ルークは、そうではなかった。
修道院はよそ者を侵入させない安全な砦であると当時に、
逃げ出すことができない監獄でもあるわけです。
どちらに感じるか・・・それはその人次第ということですね。
さて、ベルギーにドイツ軍が侵攻してきた時に、彼女は一つの決断をします。
人をごまかすことはできても、自分と神はごまかすことができない。
真摯な彼女の思いが伝わるラストシーンでした。
1959年/アメリカ/152分
監督:フレッド・ジンネマン
出演:オードリー・ヘップバーン、ピーター・フィンチ、エディス・エヴァンス、ティム・ペギー・アシュクロフト
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