映画と本の『たんぽぽ館』

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「真田太平記(三)上田攻め」 池波正太郎

2010年10月05日 | 真田太平記
5倍の敵軍を退けた!!

真田太平記(三)上田攻め (新潮文庫)
池波 正太郎
新潮社


            * * * * * * * *

さて3巻目。真田昌幸が大急ぎで作った上田城。
そこに、徳川・北条の連合軍が攻めてくる、というところだね。
そもそも何でこうなったわけ。
えー、話せば長いことながら、ですね。
沼田の地を巡って真田と北条が以前から争っていたんだね。
この時点では沼田は真田のもの。
けれども北条氏がそこは元々こちらのものだから返すように言ってよ・・・と、
家康に執拗にせがむわけ。
家康は、今のところ真田とは争いたくないので渋っていたけれど、
あまりにも北条氏がうるさいので、根負けして真田に沼田を北条に渡すように言ったんだね。
しかし、真田はきっぱり拒否。
・・・ということで、こういう状況になってしまった。
徳川軍が一万に対して真田軍は二千。
普通なら勝ち目がないと言うべきところだね。
でも、その圧倒的有利さが、徳川の油断をよんだわけでもある。
まともでは勝てないから、頭を使うわけなんだな。
天正13年(1585年)8月。
先鋒は信幸。20歳。若いですねー。
約500の部隊を引き連れ、徳川軍の中核へ突入。
何とも鮮やかでかっこいいです。
この部隊は、思うさま敵をかき回し攪乱させて、さっと城へ逃げ帰る。
逃がしてたまるかと、徳川軍が一斉に後を追い、城門の前に固まったところへ・・・
石垣の上から、大量の樹木や石が落ちてきて徳川軍を打ちのめす。
その混乱のさなか、弾丸や矢が襲いかかる。
更にはいよいよ真田勢も場外へ打って出て・・・。
こうして、真田軍は見事に徳川の真田攻めを防ぎきったわけだね。
ただし、この場に家康は来ていませんが。
この勝利が、真田の名を広く世間に知らしめたんだ。


その頃、幸村は上杉景勝の元に人質として差し出されていたのだけれど、
この争いの時には上田に戻ってきていたんだね。
けれど上杉家に気に入られた幸村は、人質ではなく出仕の扱いを受ける。
その上杉家は秀吉に忠誠しているわけです。
秀吉の権力はもはや動かしがたいものになりつつあり、
秀吉の反感を買うことは、すなわち身の破滅。
結局、秀吉の調停で真田・徳川は和解するんだね。
さらに、家康の家臣、本田忠勝の娘をいったん家康の養女とした上で、信幸に嫁がせる。
なるほど・・・と言うことで、このあたりで既に、
豊臣・徳川との複雑な関係が芽生えてきているんだねえ。


真田父子が秀吉の大阪城を訪ねるシーンがありましたが、
その大きさ、豪華さに度肝を抜かれていましたね。
そうだね。上田城跡は、先日実際に見てきたけれど、
それほど大きなものではなかった。
・・と言うか、たぶんそれが普通だったんでしょう。
大阪城は普通じゃない!! 
どんどん造り足して、完成までに7年をかけたとか。
屋根瓦に金箔が貼ってあったとかいうのね。
ひえ~、絢爛豪華!・・・ああ、でも、
上田城にも金箔を貼った瓦があったとか・・・。
先日の博物館にもあったよ。
のちに、大阪城をまねて、上田でも金箔瓦を作ったのかも知れないね。
で、そこでまた秀吉が息子を1人人質に差し出せという。
結局幸村は上杉家から秀吉の下にうつることになるんだね。


さてこんな風になって、秀吉にとって最も目障りなのが北条家となってきた。
今や九州もほぼ手中にし、徳川も配下についた。
しかし、北条家だけがプライドが高いというか空気が読めないというか、
秀吉にご機嫌伺いにも行かない。
で、秀吉の反感を買っちゃったんだなあ・・・。
まあ、事実はわかりませんよ。
でもこの物語中では秀吉の策略によって、罠にかけられ、
北条氏は降伏に落としやられた・・・ということになっています。
まことに、何においても油断ならないこの時代。
生き抜くのは大変ですねえ・・・。