・日々の出来事を簡単にまとめています。
田中がくBLOG



13日は、藤原市長が亡くなって四十九日になるので、ご自宅のご仏前に手を合わせに行って来ました。 藤原市長との思い出は、語りつくせないほどあります。私が市議会議員に初当選をした平成19年には、藤原市長は副市長でした。当選間もない私に声をかけて頂き、二人で食事に行き2時間ほど様々なお話をさせて頂きました。その後、貝塚市長選挙に出ると相談され全力で応援お伝えをして朝の駅立ち・ビラ配り・お正月には、私が街宣車の運転とウグイスをしながら三が日を過ごしたのは、昨日の事のようです。当選されてからの12年間は、国に対する陳情・要望は、常に二人三脚で頑張って来ました。藤原市長から4期目の出馬断念も誰よりも早く相談を受け、病気なら仕方ないと受け入れ、私が藤原市長の思いを引き継ぐ為に出馬を決意しました。藤原市長は、つらい体を我慢して連日のように応援に来てくれた事は、一生忘れる事はありません!「がくちゃんには、俺の選挙で一番世話になったので恩返しをするからがんばってや」といつも優しく言うてくれていました。選挙の結果は、ご存じのように私が負けました。藤原市長には、本当に申し訳なく思っています。なので、ご仏前に「御恩返しが出来るように頑張ります。」と約束して来ました。次の貝塚市長選挙では、恩返しが出来るように全力で頑張りたいと思います。                藤原たつお市長のご冥福をお祈り申し上げます。                                昨日は、和泉橋本駅での駅立ちが終わってから10時半頃に市役所に行き会派・自由市民の控室で、決算委員会の勉強会を2時間ほど行って10問ほどの質問を作らせて頂きました。これで30項目ほどの質問を作ったので、田畑議員と出原議員が、頑張ってくれると思います。                話は変わりますが、内閣改造が行われ友人の西村康稔経済産業大臣が再任されたのでお祝いメールを送信しました。西村大臣からは「引き続き頑張るから応援してね」と返信がありました。また、初入閣をされた自見はな子さんからは、電話があり「がく先生、今官邸に到着したら万博担当大臣も兼務する事になったので、大阪に行くから時間を作ってね」と言われました。自見はな子大臣は、私の市議会議員選挙・市長選挙そして府議会補欠選挙などで貝塚市に来てくれています。貝塚市長選挙に落選をした時も直ぐに電話をくれ私が東京に行った時には、お疲れ様会を開いてくれました。また、秘書のさぬき君は、北川イッセイ先生の秘書時代から私の後援会行事には、必ずお手伝いに来てくれるので、恩返しの意味も込めて今回は、お手伝いさせて頂きたいと思います。引き続き内閣改造での副大臣・政務官の人事も楽しみです。


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