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10月18日に放送されたNHK BSプレミアム『吉田拓郎YOKOSO』にゲストで出演して
いたのは小田和正だった。1963年6月に坂本九の「上を向いて歩こう」がビルボード誌で
週間1位になったことを引き合いに出した吉田は、自分の曲もいつかビルボード誌で1位を
獲得することを夢みていたが、その夢はいまだに叶わず、せめてロッド・スチュワートか
ボブ・ディランでもいいから自分の曲をカバーしてくれればいいのにと嘆いていた。さらに
ビルボード誌で1位を取ろうという野心が感じられない最近の若いミュージシャンを暗に
批判し、何故日本の音楽はアメリカでヒットしないのかという吉田の問いかけに、小田は
「必要性がないから」と事も無げに答えていた。小田によれば日本の楽曲は所詮亜流でしか
なく、アメリカには良い曲がたくさんあるからと言っていた。しかし吉田は知っていたのか
どうか定かではないが、かつてオフコースは1985年8月に『Back Streets of Tokyo』
という全編英語詞のアルバムをリリースしている。日本人がリリースした英語詞のアルバム
の中では中森明菜が1987年8月にリリースした『Cross My Palm』と並ぶ傑作の部類
だと個人的には思ったが、アメリカでのアーティスト契約は出来なかったようだ。
“オフコース/小田和正”のエッセンスが詰まっていたはずのこのアルバムで全米デビュー
さえ出来ないのであるならば、今後も無理だと小田は諦めたに違いない。それにしても
全くアメリカをマーケットとして考えていなかった「SUKIYAKI」が大ヒットしながら、
海外のマーケット戦略を練りに練ったその後の日本発のポップソングがどれも不発である
という皮肉はどのように解釈すればいいのだろう