MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

NHKの受信料論争

2018-04-09 00:36:13 | Weblog

ワンセグ受信料訴訟、NHKが逆転勝訴。携帯電話は受信機の「設置」に該当 放送法の改正を求めたい
強引手口でかつて物議のNHK契約受信料収納代行業者が上場
個人には厳しいけど…NHK「ワンセグ受信料」支払いない官庁も、復興庁は4月から
NHK受信料がイヤなら…ワンセグ非対応スマホという選択肢

 昨今のNHKの受信料問題に関する意見をいくつかピックアップしてみたい。まずは2017年12月21日付毎日新聞の武田徹の「受信料論争 原点に返れ」から。

「個々の市民は知る権利と同時に民主主義社会で主権者として判断を下す前提となる情報を知る義務を帯びていると筆者は考える。ところがテレビを所持せず、ネットでも(視聴)アプリは不要と考え、知るべき情報にアクセスする道を自ら閉ざしてしまう人が同時に配信時代に現れる可能性がある。市民側の知る権利と義務に応える義務が公共放送にあるとしたら、そうした人の出現を防がなければならず、NHKには今まで以上に『受信料を払って見たい』と思える番組作りが求められよう。」

 上記の議論に異論はないのだが、問題は民放は見たくてもNHKは見たくないという人の存在が無視されているところである。そこで2017年12月27日付毎日新聞のデーブ・スペクターの「『テレビ、やーめた』の危機」から。

「自分がNHKを見ないから受信料を払わないというのではなく、故郷に住む親や祖父母が朝ドラなどを楽しむために一種の『社会保障』『文化援助』と考えれば、受信料を払うことを納得できるかもしれない。」

 例えば、「民放は(福祉をテーマにした)『ハートネットTV』のような番組や聴覚障害者らに向けた番組、能や歌舞伎などの伝統芸能を扱った番組はなかなかやってくれない」というデーブの意見は一理あり、そのために受信料を払うという道理は理解できる。
 ところが2018年1月21日付毎日新聞「みんなの広場」の65歳の男性の「年金生活者からNHKに一言」という投書は驚くべきものである。

「年金生活のために日々節約で四苦八苦しながら過ごしています。先日、NHKから受信契約の手続きの人が来ました。節約のためテレビはないことを伝えましたが『携帯電話はあるか』と言われ、見せるとワンセグ携帯なのでテレビ受信できるということでした。私は節約のため安い携帯電話を持っているだけで、メールもめったに使用しません。他の機能はよくわからないので使っていません。まして、テレビは見ていません。
 しかし、法律に基づきテレビが映る携帯は契約が必要だとしつこく迫るため、渋々契約となりました。」

 いくらなんでもこれは酷い話だと思う。この場合NHKはワンセグ非対応のスマホやiPhoneの存在を男性に伝えなければ、何のためのNHKなのかわからない、ただの電波の押し売りであろう。
 似たような話は最近もあった。2018年4月2日付毎日新聞「みんなの広場」の65歳の男性の「払いたくないNHK受信料」から。

「NHK受信料には昔から不満がありました。私の両親は、私の家と同じ敷地内の別棟に住んでいましたが、どちらも受信料を払っていました。その後、家族割引があることを知りましたが、何年も割引を受けずに受信料を払っていました。」

 とにかく「隙あれば奪う」というのがNHKの受信料の徴収時のモットーなのである。筑波大学准教授の掛谷英紀はNHKだけが映らない装置(イラネッチケー)を開発したらしいのだが、まだ万能とは言い難い状況である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする