鉄道員(ぽっぽや)
1999年/日本
2人の‘KEN’に関する比較考察
総合
40点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
北海道のローカル線、幌舞線の終着駅である幌舞で1976年から生真面目に駅長を務め、幌舞線の廃線と共に退職を迎えようとしていた主人公の佐藤乙松を演じた高倉健の演技は確かに第23回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞に値するものではあろうが、彼の演技が素晴らしければ素晴らしいほどに物語に関して観客に誤解を与えているように感じる。
例えば、志村けんが演じた吉岡肇を高倉健が演じて、佐藤乙松を志村けんが演じると考えてみる。閉山した筑豊の炭鉱からわざわざ北海道まで息子の敏行を連れて出稼ぎに来ている高倉健が演じる吉岡肇を見るならば、観客は娘を連れて勝手に出て行った彼の妻にも問題があってあのように酒癖が悪くなったのであろうと邪推してしまい、鉄道員以外に自分に出来る仕事が無いと固執する志村けんが演じる佐藤乙松を見るならば、観客はそんな彼の頑固さが、結婚して17年目にようやく授かった娘の雪子を劣悪な環境の中で死なせてしまい、厳寒の中で生活を続けるうちに妻の静枝までも病気に追い込んだ乙松は仕事にかまけて妻の最期を看取ることさえしなかった冷酷な男と見倣すであろう。吉岡肇は『幸福の黄色いハンカチ』(山田洋次監督 1977年)における黄色いハンカチを妻に掲げてもらえなかった島勇作と見なせるのではないのだろうか?
つまり高倉健の‘オーラ’が、本来ならば女性に対して冷淡であるはずの男を観客に‘不器用’な男として寛容に認めさせてしまい、乙松に都合の良い‘3人の雪子’という幻想を許してしまっているのである。恐らく本人は言わないであろうから私が代わりに言っておくが、このような昔気質の男同士のノスタルジーは女性のみならず、志村けんも納得しないはずである。
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今回の選挙も前回と同様に“謝罪”が功を奏したのかどうかは詳らかではないが、
予想通りに石原慎太郎の余裕の勝利だった。「この津波をうまく利用して我欲を1回
洗い落とす必要がある。天罰だと思う」という失言はあったが、“この津波をうまく利用”
したのが結局石原慎太郎本人だったというが皮肉である。書き方が悪かったのかも
しれないが、私は石原慎太郎の当選を心の底から願っていた。そもそも選ぶ権利が
無かったという前提があるにしても、石原慎太郎のような男がどのように晩節を汚し、
醜態を曝すことになるのか見てみたいからである。東国原英夫の当選を防ぐために、
無理して出馬したらしいのであるが、辞めた後のことまで心配していては切りが無い。