ケンのブログ

日々の雑感や日記

夏に向かって

2020年05月26日 | 日記
コロナによる緊急事態宣言も全国的に解除になって街や公共の交通機関にも人が戻ってきているように思う。緊急事態中は座席を一人分あけてその隣に次の人が座るというルールがかなり守られていたけれど、夕方のラッシュ時になるともうそんなルールとても守っていられないという感じにみんななっている。

やはりこのあたりはコロナウイルスに対する恐れとともに周りの人間同士の空気でみんな行動しているように思う。本当に人の行動の基準というのもその時との時の状況で変わるものだなとしみじみと思う。

世界の情勢を見ると北半球では経済再開という動きになっているのに対して、南米ではコロナが拡大しているというニュースが出ている。

ニュースの中にこれから冬に向かってという表現がなされているのを見て、ええ、冬まで続くの?と一瞬思ったけれど、そういう意味ではなく南半球ではこれから季節は北半球と逆で真冬に向かっていくという事実に今さらのように気づく。

そして一般にインフルエンザは冬のほうが流行しやすいと言われている。

大変なことだなと思う。

気づけば夏至まであと一ヶ月を切っている。

駅の近くの軒下にあったツバメの巣のひなもいつのまにか巣立っている。

空の鳥を見るが良い、まくことも刈ることもしない、蔵にとり入れることもない。しかし天の父は彼らを養っていてくださる。というイエスの言葉を思い出す。この一連の有名な言葉は最後にこのように結ばれる。

だから明日のことを思いわずらうな。明日のことは明日自身が思いわずらうであろう。今日の労苦はきょう一日で十分である。

本当にそういう言葉をこころから信じていけるといいなと思う。

ネットの誹謗中傷でなくなる?

2020年05月25日 | 日記
何気なくネットのニュースを見たら、木村花さんという若い女性が、ネット上の誹謗中傷を苦にして亡くなられた可能性があるというような記事が出ていた。

事実関係をよく知らないのだけれど、本当とすればとても陰湿な出来事で悲しいなと思う。

時々、自分がいくお店の下調べでグーグルのクチコミというのに目を通すことがある。参考になることはもちろんあるけれど、お店に対する誹謗中傷に近いようなコメントがあることも事実。そして一人がそういうコメントをするとそれに同調してひどいコメントが続くということも時々見かける。

そういうネット社会の特性が出てしまったのかなと思う。本当に亡くなられた方はよほど追い詰められてしまったのだと思う。

今の技術なら誹謗中傷した人を割り出すということも十分可能なのではないかと思う。こういう事柄に対しても法整備を整える必要が出てくるのではないかと思ったりする。

人を死に追いやるほどの誹謗中傷者がなんのおとがめもない社会というのもちょっと怖い気がする。

亡くなられた木村花さんのご冥福をお祈りいたします。

最近思うこと

2020年05月24日 | 日記
大阪ではコロナの流行による緊急事態宣言が解除になって、昨日ちょっとだけ北のターミナルを歩いてみた。確かにある程度、人出が戻っている。もちろん平時の場合の半分程度という気がするけれど、、、。

緊急事態が解除になってさっそく街を歩いている人の姿を見るとなんとなく普段街を歩いている人とはちょっと異質であるような気がする。

うまく言えないのだけれど、緊急事態が解除になってすぐに街に出てくる人はやっぱり基本的に少々リスクがあっても街を歩きたいという気持ちが強い人なのだと思う。
街を歩いている人の姿を見てなんとなくそれを感じた。

コロナになって三密をさけるとかマスクをするとか守らなくてはならないルールが多くなった。それ自体コロナを防ぐのに一定の役割を果たしていることと思う。

しかし、今の世の中はコロナであるないにかかわらずルール、マニュアルが多い。みんなそれを守っているけれど、守ることにはそれなりのストレスがあって、マニュアルを守れない人やあるいはそもそも不備のあるマニュアルに対して腹を立てる人、イライラする人も増えていると思う。

例えば僕が昨日記入したマンションの資料に住所を書く欄には、「裏面に記載の当社の個人情報の保護方針に同意いただいた上で記入してください」と但書がしてあって、同意というところにチェック欄が設けてある。そして紙の裏面には個人情報保護法の条文そのままというような感じの文章が印刷されている。

そんな忙しいときに法律の条文のような文章にわざわざ目を通して理解した上で自分の住所を記入する人なんてほとんどいないと思う。そんなこといちいちしていたら時間がいくらあっても足りない。

個人情報の保護方針を紙に印刷する人も、読む人はほとんどいないと思っていても、個人情報保護法の適用範囲が広がった以上、これを省いては法律違反に問われる可能性がある。やっぱり省くわけにはいかないということで印刷していると思う。

一方それを読まずに記入する側は、これで個人情報保護の方針に同意したことになったから何かあっても文句は言えないなという気持ちになってしまう。

結局、みんなが決まりに縛られるというのはそういう心理的側面があると思う。

決まりを守りたくて守るというよりも、守らないと、あとで何を言われるかわからないから守らなければまずいと、、、。

マニュアルどおりにすることにのみ気持ちを奪われてしまって人間らしい心遣いがなくなってしまっている場合もある。

キリスト教の歴史では新約聖書の時代の位置づけというのは、律法、つまり宗教上の戒律を守ることにみんな意識を奪われてしまって、本質を見失っていたときに、イエス、そしてパウロという人が出て、大切なのは律法を守ることではない、信仰と愛をもつことが大切でそれこそが律法であるという主旨の教えを説いた。

今、私達はマニュアルを守らないことに後ろめたさを感じることが多いけれど、パウロも同様に律法からは罪の意識が生じるだけだという主旨のことを書いている。

つまり、律法を守れないという罪の意識が生じるだけだと。

今の時代は、当時の言葉で言えば律法、今の言葉で言えばマニュアル、マニュアルで固まってしまって、本当に私達の心が本来どういうことを求めているのか、それが見失われてしまっているように思える。

今はそういうことをもう一度問い直す時代なのではないかと、そんなふうに思うことが最近多くなった。

緊急事態宣言も解除になって

2020年05月23日 | 日記
だんだん気候も暑くなってきて、歩くときはマスクをしていない。そして暑さのせいかお店に入るときもマスクをするのを忘れてしまう。店内アナウンスで「マスクの着用にご協力ください」と言っているのを聞いて、あっ マスクするの忘れてた とあわててポケットからマスクを出してすることも多くなった。

大阪北のターミナルの書店に入ろうとしたら「誠に申し訳ございませんがマスクの着用と手の消毒にご協力頂いております」と入り口を番している店員の方に言われた。ああ、暑くてマスク忘れてたと思い、ポケットから出してマスクして、消毒液を指の間にもすりこんだ。

しかし、この暑さで本を立ち読みすると汗でマスクが曇ってしまう。仕方がないので鼻の穴はマスクの外に出して口だけ覆う形にした。

店内で「体調の悪い方の来店はご遠慮ください」とアナウンスしている。別にコロナでしんどいわけではなく歯が痛くてしんどいというときでも下手にしんどいというとコロナと間違われそうでしんどいとも言えないなと思う。

自宅の近所の小さい本屋さんに「体調の悪い方の来店はご遠慮ください。店内ではお客様同士の距離をあけてください」と張り紙がしてあるのを見ると、あんな張り紙をして客に敬遠されないだろうかと思ったこともあるけれど、ターミナル付近の大きな本屋さんで客にマスクを要請したり体調不良の方の入店を断るアナウンスがなされているのを見ると、近所の小さな本屋さんの店主にも同情的な気持ちになってしまう。

本当に人間の気持ちってその時どき。でかわるものだなと思う。

東京高検の黒川弘務検事長の辞職が承認されたと新聞に出ている。緊急事態宣言中にかけ麻雀をした責任をとるとのことらしい。

そんな緊急事態宣言の最中にかけ麻雀をするなんて許せない、どんな人なんたと思って写真を見ると、なんだか、渡瀬恒彦を思わせるようななんとも甘いマスクの男前に僕には見える。とても悪い人には思えない。というかこんな顔の人がもし自分の身近にいたら自分から話しかけて友達になってもらいたい人のように見えてしまう。

もうこういう社会の上層部のことは私達、平民の理解と想像を超えたところにある。
黒川さんもここでやめたのが長い目で見らがおかげさんだったということも十分にありうるのではないかと直感的に思う。

緊急事態宣言解除 大阪

2020年05月22日 | 日記
大阪で昨日新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除された。しかし、これで平和になるというわけにもなかなかいかないようだ。電車などに乗ると徐々に人が増えてきているようには思うけれどまだまだみんなおっかなびっくりで乗っているようにも思える。

大阪北のターミナルの百貨店が営業を再開したということで入り口にとぐろをまくように並ぶ人の姿が新聞写真に出ているけれど、それを見てもまあ並ぶ人は並ぶんやくらいの印象しかない。緊急事態が解除になったからこれからさあ、どのように一度中断したものを再開していくかという段階なのかなと思う。

5月いっぱいくらいは再開の準備で6月からやっと再開が始まるという感じなのだろうか。そのためには今から緊急事態を解除しておく必要があるのかもしれないと想像をめぐらせている。

コロナの感染防止ということでレジにビニールのシートを垂らしている店舗が多いけれどあまりやりすぎると逆に空気の通りが悪くなって大丈夫だろうかと思ってしまう。なにしろコロナは目に見えないから結局みんな主観で考えてしまうところがあると思う。コロナがハエくらいの大きさでちゃんとビニールのシートで止まっているとうことが目に見えれば安心というか目に見えたら見えたでもっと怖いかもしれない。

まあ見えないから怖いし、見えたらもっと怖くなるし、怖いということはようするにそういうことなのだと思う。
なんとか無事に過ごせますようにと念じていきたいと思う。