ケンのブログ

日々の雑感や日記

自動化の波

2022年11月17日 | 日記
最近 ろおうそん というコンビニで お弁当を温めてください とお願いすると
「お弁当は あちらでセルフでやってください」と言われることが多い。

セルフの電子レンジは コンビニの くず入れの上とか そんな 場所に設置してあることが多い。

「温めは セルフでやってください」という言葉は どの店舗にかぎらず なんとなく 不愛想に言われることが多い。

ちょっと そのことについて 考えてみたのだけれど どうも 店員の方は 単に機嫌が悪くて不愛想なわけではないと 何となく気づいた。

では なぜ 不愛想なのかというと それは 今まで お弁当の温めは コンビニの店員がやってくれるのが 当たり前で お客も やってくれるのが 当たり前 という感じで 温めを依頼することが多い。

やってくれて当然という感覚で温めを 依頼してくる客に 「温めはセルフで」というのは 人間の普通の感情としては やはり つらいというか 抵抗がある。

だれしも 断りづらい という 感情は おおかれ 少なかれ 持っていると思うから、、。

なので 「温めはセルフでやってください」というときの店員さんは不愛想になるのだと思う。

カードは お持ちですか? と店員さんに聞かれて 「大丈夫です」とぶっきらぼうに答える客が多いのと同じことと思う。

それで セルフで お弁当を温めて イートインのコーナーを見ると 午後9時まで利用可能と書いてあるのに 午後7時で もう イートインコーナーのテーブルの上に 椅子が あげてあったりする。

こういうことがあると 客としては お弁当を セルフで 温めさせておいて イートインコーナーは 書いてある時刻よりも はやく 閉めるのか あまりにも 勝手すぎる と思ってしまう。

たぶん お弁当の 温めを セルフにすることで コンビニと お客の間に こういう 気持ち的な 気まずさや 抵抗が 生まれることは 温めをセルフにすると決めた人の頭の中では あるいは 想定外なのかもしれないと思ったりする。

お弁当の温めをセルフにする という 判断は たぶん 人員削減の 観点 また 自動化推進の 観点などからなされていると思う。

それは それで 今の時代の流れなのだろうとは思う。

しかし そういう お弁当温めのセルフ化による 店員と お客の間に生まれる 気まずさのほかにも 懸念されることがある。

それは どうせ お弁当の 温めが セルフなら ついでに 総菜パンもあたためてしまえ とか やがては コンビニで 買ったわけではない 品物まで 温める人もでてくるかもしれない。

特に 幹線道路沿いの コンビニでは そういうことが おこりがちなような気がする。

先日も ある コンビニに 確認のための電話を入れたら 電話が安心応答モードになっていた。

安心応答モードって何? と思って調べてみると それは まず 自動音声で 相手に名乗るように依頼する。

そして 相手が 名乗る声を聴いてから 人間は 電話に出るかどうかを決める。

相手の 声を聴いてから 電話に出るかどうかを 決められるので きっと 安心応答モード と名前がついていると思う。

でも 客の側からすれば 名乗るときの 声で 電話に出てもらえるのかどうか 選別されるのかと思うと やはり これは とても 不愉快な 対応であると思う。

そのような クレームを コンビニの 店員の方につけたら 「いやあ 僕も 安心応答モードって 知らないんですよ 何かの 拍子で 電話が そういう 設定モードになったと思います。 また 電話の 設定の仕方を 本部に 確認します」という答えが返ってきた。

たぶん 店員の方が言っていることは 本当なのだと思う。

とても うそを言っているような 口調ではなかったから。

本当に 自動化の流れの中で 私たちの 気持ちのあり方も 変わってきてしまっているし 人間の関係も 変わってきてしまう。

また 自動化のために 起きる 気持ち的な 誤解 というものも 数知れないくらいあるように思う。

本当に 最近の若い人の歌を聴いていると 歌詞の 言葉が 抽象的で こまごまとしているな と思うことが多い。

昔のように 「君恋し」みたいな 歌が なくなってしまった。

でも こんな 複雑な 時代に 生きていれば 歌の 歌詞も ちまちま してくるのも また 一つの 流れのようにも思えてくる。

困ったこととは 思うけれど そんな中でも 自分を見失わないように 生きていきたいものだなと思う。




 

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