8月ももう6日かと思う。いつもの年なら広島で平和の記念式典があったとか報道される日だけれど今年はそういうのがあまりないなと思う。
また夏の甲子園の出場校も決まり甲子園で練習をする学校のことが報道されたり、対戦の抽選結果が出たりしていよいよ甲子園大会という気持ちになるのもこの時期のように思う。
来年にはもうコロナも収まってと思いたいところだけれど本当に日本だけでなく新聞の国際欄を見ていると日本よりももっと状況のひどい国がいくらでもあり、本当に来年の今頃はコロナが収まっているのかちょっとわからないなと思うこともある。
シンガポールのことを報じた記事にはコロナよりも人間のメンタルヘルスのほうがもっと心配ということが書かれていた。
本当にそうだなとそれを読んで僕は思った。
8月は終戦の月ということでやはりそこに意識が行くけれど太平洋戦争は1941年から1945年までの約4年間。あまり考えたくないことだけれど、まさかコロナは4年にもならないと思うけれどある程度長引くことは覚悟したほうかいいように思えてきた。
しかしコロナがまだ一年も続いていないのにこれだけうんざりする。戦争が4年も続いたときの人々はどんな気持ちだったのだろうとそんなことを想像してしまう。
やはり、平和に暮らせること、それが一番だなと思う。
中村元先生がお訳しになったブッダの真理のことばという本の「象」という章にこんな言葉が書いてある。
‘’戦場の象が、射られた矢にあたっても耐え忍ぶように、我々はひとのそしりを忍ぼう。多くの人は実に気質(たち)が悪いからである‘’
という言葉が書いてある。
本当にすぐに人をそしるという人間の性質はブッダの時代もそして今も変わらないんだなと思う。
そして、そしられたときにそれを忍ぶことの困難もブッダの時代も今も変わっていないのだと思う。
だからこうしてブッダの言葉が今も残っている。
できればこういうブッダのことばを胸に、人をそしらず、もし、そしられても矢にあたった象のようにそれを忍ぶことができれば本当にそれに越したことはないと思う。