新聞に松野官房長官が屋外で人との十分な距離が取れる場合には マスクは不要との見解を示したと出ている。
割と 水田地帯にあるようなコンビニで 店員の方が おつりをトレーに乗せないで直接くださったときには 直接 おつりが手渡しだと こんなに楽で速いのかと思いました。
店員の方も 客の雰囲気や様子を見て この人にはおつり 手渡しでも大丈夫と判断したら、そうするようになっているような気がします。
明らかに 中が 汚れて黒ずんでいるトレーを見ると もうトレーがコロナ対策というよりは 知らないうちに トレーにおつりを入れて渡すことがマナー 作法になってしまっているのかと思うこともある今日この頃です。
■つめたい部屋の世界地図
井上陽水さんの「つめたい部屋の世界地図」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。
聴いていただければ幸いです。
「陽水Ⅱ センチメンタル」というアルバムのA面の最初の曲です。
中学生のころ このLPのA面に針を下すと まず オーケストラのチューニングのような混とんとしたストリングスの音が鳴ります。
そのあとギターがアルペジオで規則正しくマイナー(短調)の主和音を奏で始め それに歌が続きます。
素敵な始まり方だなあと思い 音楽に吸い込まれるような気持ちでいつも聴いていました。
「はるかな はるかな 見知らぬ国へ 一人で行くときは 船の旅がいい」という言葉で歌詞が始まります。
この歌が出た当時 もう船で海外に行くという習慣はありませんでした。
ですが、僕は父が船員だったので この歌の心象風景がなんとなく理解できるような気持ちで聴いていました。
「汽笛を鳴らしてすれ違う船 こんにちわのあとは すぐに さようなら」と歌詞にあります。
汽笛を鳴らしてすれ違う船が こんにちわのあとは すぐにさようならをする。
現実からすこし 離脱したような 世界ですが 悲しげな 世界だなと思っていました。
父が船員だったころ 父の船で 急死した人がいました。
太平洋の真ん中で亡くなった人を陸につくまで船に積んでおくことは衛生上できません。
遺族のために 遺骨を残すことはできないので かわりに 爪と 髪を 遺体から切り取って遺族のために形見に残します。
遺体は 板に固定して 板に おもりをつけて 海に 放り込みます。
海に遺体を放り込むと 船は その周りを ぐるりと一周して そして ボーっと汽笛をならして その場を立ち去ります。
なぜ、自分が見たように詳しく書けるかというと 僕は 父に その話を 何度も何度も繰り返して聞いたからです。
「それで どうやったの?」という感じで、、、。
あまりにも悲しい物語だと思うあまりに 父に何度も どうやったの? と繰り返して聞いてしまいました。
父は 淡白な性格ですが このことに関しては 「そんなに何度も同じこと聞くな」と僕に言うこともなく 何度も同じ話をしてくれました。
きっと 父も 船で人が亡くなったことは痛恨と思っていたから 逆に 何度も話してくれたのだと思います。
「汽笛をならしてすれ違う船 こんにちわの後はすぐにさようなら」この井上陽水さんの歌詞を僕は父の話にかぶせて聴くことが多かったです。
「やさしさが 壊れた 海の色は たとえようもなくて 悲しい」と歌詞にあります。
やさしさが壊れた海の色 そのフレーズは知床観光船が事故にあったときの海の色を僕に想像させました。
というか 知床観光船のニュースを見て悲しい事故だなと思っていたら この井上陽水さんの歌が心にうかんだということです。
「飛び交うかもめは 陸が近いのを 教えてくれる」という歌詞は 海でたたずんだことのある人だけにかけるものだと思います。
時には たたずんで 海や山を見つめてみる
そういうことが今の私たちには必要だと思います。
↓井上陽水さんの「つめたい部屋の世界地図」をカラオケDAMの音源で歌いました。